アサド政権の崩壊
11月26日、シリア解放機構を中核とする反政府勢力が同国北東部イドリブ県から進軍を開始し、アレッポやハマ、ホムスなどの都市を次々に制圧し、12月8日に首都ダマスカスが陥落が発表された。
シリアで50年以上にわたって権力を掌握し、圧政を続けてきたアサド政権はあっという間に崩壊し、シリアは独裁や圧政から解放された。
今回のクーデターを実行したシリア解放機構とはヌスラ戦線という組織を前身組織とするが、ヌスラ戦線とはどういう組織か。
ヌスラ戦線とは
ヌスラ戦線は2012年1月に初めて自らの存在を公表し、アサド政権の打倒を宣言した。
米民間調査会社サイトインテリジェンスグループの情報に基づけば、ヌスラ戦線は他のアルカイダ系グループと同じように、ダマスカスやアレッポなどで警察や軍などを標的とした自爆テロや車爆弾テロを繰り返しては、犯行声明をインターネット上に発表するなどした。
アルヌスラ戦線は、自由シリア軍など世俗的な政治目標を掲げる反政府組織とは違い、厳格なイスラム法による宗教国家建設を目標とするイスラム原理主義組織であり、イラクで活動するISIの支援によって設立された。
アルヌスラ戦線幹部のイラク人アブ・ムハマド・ジャウラニは、ISIトップのアブ・バクル・バグダディによって指名され、ライフルや銃器などの武器面での支援だけでなく、爆弾製造の専門家や戦闘員などもISIからアルヌスラ戦線へ送り込まれた。
よって、当時からヌスラ戦線はアルカイダに属するイスラム過激派であるとの見方が一般的で、米政府は2012年12月、豪政府は2013年6月、そして英政府は2013年7月にそれぞれアルヌスラを国際テロ組織に指定した。
また、ヌスラ戦線にはイラク、サウジアラビア、リビア、チュニジア、アルジェリア、クウェート、レバノン、モロッコ、イギリスやフランス、オランダ、ドイツ、スウェーデン、ベルギー、カナダ、中国、オーストラリアなど多くの外国人戦闘員が流入し、アルカイダ指導者アイマン・ザワヒリも、シリアにおける聖戦へ参加するよう世界中の支持者たちに呼び掛ける中で、ヌスラ戦線は2013年4月にアルカイダへの忠誠を誓うとする声明を発表した。
それに続くようにバグダディがISIとアルヌスラを合併させた「イラクとレバント地方のイスラム国」の誕生を宣言したが、ジャウラニはそれを否定し、アルヌスラはそれとは別活動として武装闘争を継続していくと宣言した。
ヌスラ戦線はアルカイダ系組織の中で最も急速に成長した組織であり、また米国からの強い外交圧力もないことから、当時のシリアはアルカイダにとって最も魅力的な聖域と化していると言えた。
上述のように、ヌスラ戦線に参加するため外国から多くの支持者たちが集結したが、その中にはシリアに残りヌスラ戦線の活動に参加する者、爆弾製造や攻撃の準備方法などを学びながらネットワークを構築し、それぞれの母国へ帰国する者などがいたことから、国際社会ではヌスラ戦線に対する警戒が強くなっていった。
しかし、ヌスラ戦線は対外的な攻撃にそれほど興味を示さず、アサド政権の打倒に専念したため、国際的な脅威となることはなかった。その後、ヌスラ戦線はいくつかの関連組織と合併し、シリア解放機構となった。
今後の行方
長年の目標を達成したヌスラ戦線、シリア解放機構だが、今後新生シリアをどう上手く束ねていけるのか、多くの難題が残っており、今後再び民族間、宗教間の対立が激化する可能性もある。
中東諸国はシリアにある大使館の業務を再開したり、新生シリアと外交関係を樹立しようとしている。
欧米諸国もシリア解放機構に対して排除するような姿勢ではなく、オープンな対応を示している。今後の動向が注目される。
参考 : 『国際テロリズム要覧』他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部
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