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軍事評論家リデル・ハートの【大戦略・間接的アプローチ】

グデーリアンに影響を与えたリデル・ハート

軍事評論家リデル・ハートの【大戦略・間接的アプローチ】

Basil Liddell Hart wikiより

大戦略」はイギリス人の軍事評論家としてその名を知られている、バジル・リデル・ハートが唱えた戦略論のことです。

第一次世界大戦に従軍したリデル・ハートはその経験からこの概念を提唱し、国が最終的な目的を果たすため全ての要素・手段を最大限に活かした策を行うべきとしたものでした。

リデル・ハートは古くは中国古代の孫子や、プロイセンのクラウゼヴィッツなどの戦略思想に学び、逆にリデル・ハートが影響を及ぼした人物としては、第二次世界大戦時のドイツの電撃戦の立役者ハインツ・グデーリアンなどが挙げられます。

第一次世界大戦への従軍

リデル・ハートはイギリス人ですが、当時フランスに在住していた両親の下に生まれました。

後にケンブリッジ大学に進み歴史学を学びますが、その時点ではさほど注目を浴びる成績ではなかったと伝えられています。

リデル・ハートの転機となったのが1914年に勃発した第一次世界大戦で、ここでイギリス陸軍へ志願し大学在学中であったリデル・ハートは士官候補生となりました。

同年末に少尉に任官したリデル・ハートは西部戦線に従軍し、フランスの前線へと送られました。しかしすぐに負傷兵となってイギリス本国への帰還を繰り返し、3度目となった1916年のソンムの戦いでも負傷を負い、前線にいた期間は短いものでした。

軍事評論家リデル・ハートの【大戦略・間接的アプローチ】

※イギリス軍の塹壕

この後、歩兵戦術に関するパンフレットを作成して注目を集め、更に歩兵のマニュアル作成に従事して陸軍内の教育担当者に起用されています。

しかし将校としての適性がないとの烙印を押され最終階級は大尉で1927年に陸軍を除隊することになりました。

ナチス・ドイツへの対応による批判

リデル・ハートは除隊後に軍事評論家としての著述活動を開始し、1929年に「歴史上の決定的戦争」を上梓しました。

この中で後年の「大戦略」に通じる軍事戦略の概念を提唱しました。第一次世界大戦に自らが従軍し、複数回の負傷を負った経験から、最前線の兵の消耗戦の有様を鑑みて、無謀な正攻法による武力行使で国力を消耗せずとも、戦争の最終的な目的の遂行には「間接的アプローチ」による実行が可能だという考えを示したものでした。

先の著作を始め、軍事評論家としてその名を知られるようになったリデル・ハートでしたがこの「間接的アプローチ」の概念が、思わぬ評価を招きました。

ナチス・ドイツが政権を獲得し、再びヨーロッパに戦乱の機運が立ち込めると、リデル・ハートの唱えたこの理論はヒトラーの恫喝に譲歩するに等しいものとして、当時のイギリス政府のとった融和策と同様に激しい批判に晒されることになったのでした。

イギリスの没落と冷戦の予想で復活

リデル・ハートは、第一世界大戦の教訓から第二次世界大戦においても、ドイツと正攻法で総力戦を戦うとなれば、結果敵に勝ちを治めたとしてもイギリス経済は崩壊し、海外の植民地を消失し、イギリスの国力は弱まって国際的な地位は低下すると主張しました。そしてナチス・ドイツを壊滅に追い込むことはむしろ欧州にソ連の勢力を拡大する可能性を与え、新たな緊張関係を招くと指摘しました。

しかしこの考え方は、ナチス・ドイツへの譲歩が現在の危機を招いたとするイギリスの主戦派から批判され、リデル・ハート自身がナチス・ドイツのを擁護する人物として排斥されることになりました。

ところが、第二次世界大戦が終了してみると、リデル・ハートの予想通りソ連が台頭する冷戦状態が発生し、同時にイギリスは国際的な地位を大きく低下させ、奇しくもリデル・ハートの予想通りの展開となりました。

このため、リデル・ハートの「間接的アプローチ」の理論は再び評価され、1954年に「戦略論」として上梓されて世界的な名声を得ることになりました。

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