江戸時代の天才浮世絵師・葛飾北斎の作品が海外の画家たちに多大な影響を与えたことは有名である。
だが、どのようなポイントが西洋人の琴線に触れたのか。北斎が死去したあとに広まったジャポニズムの流れを追ってみた。
神が神を描く
※雷神図
北斎は亡くなる2年前、88歳にして「雷神図」を描いている。
線の細さに衰えを指摘する声もあるが、この圧倒的な迫力の前では瑣末ごとである。暗雲を背に、溶け込むように存在する雷神。しかし、その存在感からは目を離せなくなる。このように宗教や超自然的なものをモチーフにした作品は北斎の晩年の作品に多いが、それらは特に西洋人には大きなインパクトを与えたことだろう。
日本は事実上の鎖国状態にあり、針の穴を通るように美術品もわずかにしか世界に流出しない時代。北斎に2巻の絵巻を注文したオランダ人医師が、代金を値切ろうとした。しかし、北斎は同じ作品を別のオランダ人にも同じ価格で収めたことを理由にこれを拒否する。いさめる妻に北斎は「屈辱より貧困を選ぶ」といったという。その後、その話はオランダ側に伝わり、2巻を正規の価格で受け取ると共に、大口の契約を交わすことが出来た。
そのようにして、北斎の絵はヨーロッパに伝わる。
風穴
※『ダンス教室(バレエ教室)』
本格的に日本の芸術作品が西洋のアートシーンに影響を与えたのは、19世紀後半から20世紀の初めである。日本の開国により、日本の文物が急激にフランスやイギリスに流れ込み、ジャポニズムは欧米の芸術各分野に影響を与えた。
そこにあるのは単なる「エキゾチシズム」だけではない。確かに、それ以前に海を渡った作品もあるが、美術的価値というよりも「物珍しさ」、日本という国への興味の窓口といった位置にあった。
しかし、ジャポニズムの本質は、これを機に西洋の美的感覚を見直したことにある。
ルネサンス以来の伝統が生み出す閉塞感に、日本の文化が風穴を開けたのだ。表現の手法や形式の多様化を促したといえよう。
例えば、エドガー・ドガの『ダンス教室(バレエ教室)』では、腰に左手を添えたバレリーナの少女が描かれているが、後の『踊り子たち、ピンクと緑』では同じような少女が、両手を腰に添えてより自然なポーズとなっている。そのモチーフとなったのが『北斎漫画』の登場人物だという。
※北斎漫画の一部。右下の男がモチーフとされる。国立国会図書館デジタルコレクションより。
当時の西洋美術の常識にはない、人間味溢れるポーズに刺激を受けている。
構図への影響
※『陽を浴びるポプラ並木』
西洋の芸術作品に影響を与えた日本文化のなかでも、北斎の存在はとりわけ大きい。ジャポニズムの最初期である1850年代後半ばにヨーロッパの人々が目にした北斎作品は『北斎漫画』に代表される絵手本(スケッチ画集)だった。この時点では北斎の作品も芸術作品というより、日本を知る説明書といったところである。
しかし、彼の認知度は徐々に高まり、1860年代の終わりには日本を代表する芸術家として広く知れ渡った。そのなかでもクロード・モネは北斎の空間の構成に影響を受けたという。『陽を浴びるポプラ並木』では人物だけではなく、風景画にもヒントを与えたことが分かる。
※『富嶽三十六景 東海道程ヶ谷』
北斎の『富嶽三十六景 東海道程ヶ谷』に見られる木々の列とその奥に見える景色との対比は、『ポプラ並木』では手前の木々が垂直に力強く描かれ、その奥にある並木とのバランスを考えると通じるものがある。
モチーフへの影響
※『ばら』
無論、北斎に影響を受けたのはモネだけではない。ゴッホも『ばら』では、それまで西洋画のルールであった「花を描くなら、切り花を花瓶に挿して描く」という新たな表現方法にたどり着く。『ばら』以前の彼の花をモチーフにした作品のほとんどが花瓶に指したものか、切り取って花を置いたものであった。有名な『ひまわり』もそうだ。しかし、ゴッホ自身が広重の模倣をしたりと、浮世絵にも並々ならぬ興味を示している。
当時の西洋では、「滅びの美」を描くことが良いという風潮があり「メメント・モリ(死を思え)」が合言葉となっていた。そうしたなかで、ゴッホは野に出て生命力に溢れた薔薇の木を自然に、それでいて流れを出すように生き生きと描いている。これも自然のなかでしか見ることが出来ない北斎特有の「動きの付け方」に通じるものがある。
呪縛を解く者
北斎の影響というのは、そのいずれもが西洋美術が長年にわたり守ってきた伝統的な「型」を打ち破るきっかけとなっている。人物画においても、西洋の伝統では裸体の描写は神聖な行為とされた。神に賜ったしなやかで美しい身体だけが描くことを許される。先の『北斎漫画』の男のように小太りの男など考えられない時代。しかし、北斎の作品には誤魔化しのない人間の本来の姿が描かれている。
西洋画家が、堅苦しいとどこかで意識しながらも、なぜか破れずにいた殻を破らせるほどのエネルギーを北斎の絵は秘めていた。
こうして、モネ、セザンヌ、ゴッホらは呪縛から解き放たれたのである。
最後に
北斎の作品が西洋で高く評価された理由のひとつが「捉われない心」だった。描きたいものを描き、より高みを目指すために描く。大衆に受け入れられたのは結果であり、媚びたからではない。
版画から肉筆まで幅広い手法で貪欲に様々な対象を描いていった。これこそ北斎の強みであり、当時の西洋芸術に足りなかったピースなのだ。
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