日本最古の漫画
日本最古の漫画は「鳥獣戯画」と言われています。
正式名称は鳥獣人物戯画といい、平安時代末期から鎌倉時代初期の間に様々な作者から成る絵巻物で、全4巻で成り立っています。
漫画誌の誕生
日本初の漫画雑誌は1862年発刊の「ジャパン・パンチ」です。
発行者はイギリス人のチャールズ・ワーグマンで英語で書かれていました。
1887年に横浜居留地に住むフランス人ジョルジュ・ビゴーが風刺雑誌「トバエ」を刊行します。日本文化に共感したビゴーは開国後の日本の欧米化、軍国化に警鐘を鳴らしていました。
岡本太郎の父の岡本一郎は新聞にストーリー漫画の先駆けとなる絵と文章で綴る漫文を掲載していました。後の「日本漫画会」となる「東京漫画会」を1915年に14人のメンバーで設立し、日本の漫画の歴史に絶大な影響を与えた一人です。
漫画の変遷
1920年代
1923年、横島勝一(画)織田小星(作)の「正チャンの冒険」が連載スタートします。
同時期に夕刊報知新聞でも掲載スタートした「ノンキナトウサン」と合わせ世界恐慌や関東大震災の影響で暗い世情に明るい娯楽作として人気となりました。「吹き出し」「コマワリ」など現在主流となっている漫画の表現方法がこの頃確立されました。
1930年代
1931年「少年倶楽部」に連載された田川水泡の「のらくろ」は単行本化やキャラクターグッズが販売されるなど1大ブームの社会現象となります。
1940年代
1940年代前半戦時下統制により相次いで漫画誌は休刊となり、主要な新聞から漫画が消えていきます。
戦後、漫画はまた花開きます。
戦争が終わってわずか2週間後に漫画誌が復刊。翌1946年に長谷川町子の「サザエさん」が連載スタートします。
当初新聞の4コマ漫画であったサザエさんは単行本化され、1969年からはアニメ化もされ現在に続く歴代最長アニメとなっています。作者の長谷川町子氏は日本の漫画及びアニメ界に大きく貢献したと、1992年に国民栄誉賞が授与されています。
1950年代
1952年に連載スタートした手塚治虫は「鉄腕アトム」を皮切りに「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「火の鳥」などのヒット作を次々と飛ばしながら、ストーリー漫画の基礎を確立します。漫画の基礎を作り、世界観を広げた手塚治虫の考え方、描き方は同時代や後世の漫画家へと受け継がれています。
手塚治虫がヒットする傍ら、1950年代後半、辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」「忍者武芸帖」などの青年向けのリアルな描写の「劇画」がブームとなります。
1950年代は10円を握りしめたこどもが貸本屋で漫画を借りることが一般的でした。正規の出版社以外にも敷居の低い貸本専門の出版社もあり、多くの漫画家が生まれやすい時代でした。そこで誕生するのが少女漫画家です。戦争孤児があふれる当時、母子もののサクセスストーリーや波乱万丈の末のハッピーエンドのメロドラマ的ストーリーが人気でした。戦争で封じ込められたフリルやリボンなどの少女趣味が強調されたものも当時の女の子たちに受けていたようです。
当初少女漫画を描いていたのは男性でしたが、ストーリーの平板さから受けなくなり、原稿の持ち込みやすさも手伝って女性漫画家が到来します。
1954年講談社から月刊少女漫画誌「なかよし」、1955年集英社から月刊少女漫画誌「りぼん」、1959年講談社から「週刊少年マガジン」、小学館から「週刊少年サンデー」が刊行されます。
1960年代
1960年代、東京に才能あふれる漫画家たちが集結します。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が多数トキワ荘というアパートに居住し切磋琢磨して作品を作りました。(トキワ荘は老朽化のため1982年に解体されています)
同時期にさいとう・たかおや川崎のぼるらを中心に劇画作家たちも活躍します。
社会派漫画の「ゴルゴ13」やスポ根漫画の「巨人の星」など当時盛んだった学生運動と相まって社会ブームとなりました。
ゴルゴ13の連載は現在まで続いており、現行の漫画としては最長の作品です。2019年9月現在コミック数は194巻にものぼります。
1963年の1月1日日本初の週間テレビアニメとして「鉄腕アトム」が放送開始されます。制作は後の虫プロダクションとなる手塚プロダクションで白黒放送でした。
これを皮切りに連載漫画とテレビアニメが連動するメディアミックスが一般的になっていきます。
1963年集英社から月2回刊の「マーガレット」、1968年集英社から「週刊少年ジャンプ」小学館から「ビックミミック」、1969年秋田書店から「週刊少年チャンピオン」が刊行されます。1966年には「巨人の星」の大ヒットにより「少年マガジン」の発行部数が100万部を突破します。
次々とヒットを飛ばす人気漫画雑誌やテレビアニメの影響で「貸本」は1960年代をピークに一時衰退していきます。
1970年代
1970年代、「ベルサイユのばら」「エースをねらえ!」などが大ヒットし、少女漫画ブームに火がつきます。
1975年、第1回「コミックマーケット」が開催され、愛好家を意味する「オタク」という言葉が生まれました。
コミケと共にサブカルの発展に貢献した専門店「まんだらけ」は2000年に株式上場までこぎつけるオタクの成り上がりの究極系と語り継がれています。
70年代後半、ベビーブームと経済が安定期に入ったことも影響し、メディアミックスが本格化します。
劇場アニメ「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」は大ヒットとなり、雑誌連載人気漫画の単行本化が定着します。
1976年小学館から「月刊ちゃお」、1977年小学館から「月刊コロコロコミック」、1978年集英社から「週刊ヤングジャンプ」が刊行されます。
週刊少年ジャンプと競い合う形でスポ根、学園もの、ホラー、お色気、ギャグといった全ジャンルを網羅した週刊少年チャンピオンが、1977年1月に発行部数が200万部を突破します。
1980年代
鳥山明、あだち充、大友克洋、宮崎駿らの出現により漫画は立体的な奥行きのある絵に進化します。
「ドラゴンボール」「AKIRA」「風の谷のナウシカ」「タッチ」などの大ヒットで日本の漫画とアニメは世界から注目を集めるようになります。
70年代にヒットした「ドカベン」「ブラックジャック」の連載終了によって「少年チャンピオン」の発行部数が減少する一方「タッチ」を連載するラブコメ主力の少年サンデーや「ドラゴンボール」の少年ジャンプが勢いを増し始めます。
80年代後半は少年ジャンプの黄金時代に突入します。「キャプテン翼」は日本にサッカーを広めました。メッシ、ジダン、デルピエロもキャプテン翼に憧れてサッカーを始めたと公言しており、漫画の影響力は世界に広がっています。
1990年代
90年代に入ってもジャンプの勢いは続きます。「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」など多数の人気作を持つジャンプは1995年に653万部を販売してギネスブックに登録されました。
90年代後半になると漫画喫茶や再びブームが到来したレンタルコミックなどの普及により、漫画雑誌の発行部数が減少します。
2000年代以降
少年少女のものであった漫画が青年誌での人気に圧される様になります。
2005年の流行語大賞ノミネートの「萌え」関連の作品も多数生まれます。2008年にはじまった「マンガ大賞」の受賞作品ではジャンルは多様化しています。
漫画と小説のミックス、「ライトノベル」や、漫画アプリ、電子書籍の登場で新しい漫画の形が生まれました。
インターネットの普及は日本の漫画を世界でアクセスすることを可能にしました。それにより人気漫画「ONE PIECE」の単行本発行部数を圧倒的にし、ギネス登録されました。
漫画が抱える問題
近年漫画家や出版社は、ブックオフなどの古書店の拡大や2018年にニュースとなった「漫画村」のような違法アップロードや閲覧により印税が入らないという問題に悩まされています。
紙媒体の書籍は簡単にデジタル化されてしまうために違法サイトの出現が後を絶ちません。
著作権侵害に対し出版業界がネット対応に素早く動くことが急務ですが、もぐらたたき状態で被害が後を絶たないのが現状です。
めっちゃ楽しかったし、わかりやすかったです。