「4分33秒」という曲がある。
ステージにピアノが1台置かれている。観客が見守る中、ピアニストが舞台袖から登場し、ピアノの前に座る。
演奏が始まる。だが、ピアニストはピアノを弾かない。音を鳴らさないのだ。
曲は3つの楽章から成る。第1楽章は33秒、第2楽章は2分40秒、第3楽章は1分20秒。どの楽章もピアノは鳴らず、ただ時間だけが過ぎていく。
4分33秒の沈黙のあと、おもむろにピアニストが立ち上がる。曲が終わったので、ピアニストは退場する。
以上はピアノで演奏した場合の流れだが、楽器の指定はないため、どんな楽器で演奏してもよい。マラカスでも、ジャズバンドでも、フルオーケストラでも構わない。
この型破りな曲を作ったジョン・ケージとは、一体どのような作曲家だったのか。詳しく解説する。
初期のジョン・ケージ
ジョン・ケージは1912年、アメリカのロサンゼルスで誕生した。
幼少期からピアノを習い、クラシック音楽に親しんでいた彼は、音楽家としてのキャリアを1930年頃スタートさせる。
最初のうち、ケージは極めて論理的な方法で作曲を行っていた。
例えば、「3声のためのコンポジション(Composition for 3 Voices)」(1934)は、高さの異なる25個の音が1度ずつ現れるように音を並べ、その音の並び(音列)をもとにして曲が作られている。
1934年には、当時前衛的な作曲家として知られていたアルノルト・シェーンベルクに弟子入りし、「十二音技法」という論理的な作曲法を学んでもいる。
先進的な作風ではあったものの、この時点ではまだクラシック音楽の範疇にとどまっていた。
しかし、徐々にケージは問題意識を強め、既存の価値観にとらわれない新しい音楽を模索し始める。
ケージの発想
新しい音楽を生み出すため、ケージはクラシック音楽を構成する諸要素についてじっくりと考察した。その例をいくつか見てみよう。
・音高(ピッチ)
音楽にとって「音の高さ」は極めて重要な意味を持つ。音楽の三大要素メロディ・リズム・ハーモニーのうち、音高はメロディとハーモニーに関わるからだ。
だが、ケージは音高に頼っている限り過去の音楽からは抜け出せないと考え、明確な音高を持たない打楽器に目を向けた。
4人の打楽器奏者のために書かれた「第3コンストラクション(Third Construction)」(1941)は、メロディやハーモニーよりもリズムを重視した作品である。
・楽器
伝統的なクラシック音楽はバイオリンやトロンボーンなどの「楽器」によって演奏されるが、楽器以外にも音が出るものはいくらでも存在する。机を叩けばドン!と大きな音が鳴るし、新聞をめくれば紙の音がする。
こういった発想をもとに作られたのが「居間の音楽(Living Room Music)」(1940)で、ケージはこの曲で楽器以外の音を音楽に取り込もうとした。
・作曲
ケージは「作曲」という行為そのものにも注目した。
長らくの間、作曲とは「音を適切に配置することで音楽を作り、感情などを表現すること」だと考えられていた。しかしそれは主体的すぎる、というのがケージの主張だ。
「易の音楽(Music of Changes)」(1951)では、コインを投げて出た面をもとに、音高・リズム・テンポなどが決められている。ケージは自身で音を選ぶのをやめ、作曲を偶然に任せた。これを「チャンス・オペレーション」という。
・演奏/聴取
音楽は作曲者だけでは完成しない。演奏者と聴き手がいて初めて成立する。
ケージは「演奏」「聴取」という行為にも偶然を介入させた。これを「不確定性の音楽」という。
「心象風景第4番(Imaginary Landscape No.4)」(1951)はラジオ受信機を楽器代わりに使った作品で、ラジオからどんな音が鳴るかは、演奏日時や場所によってランダムに変わる。
「チャンス・オペレーション」と「不確定性の音楽」を合わせて「偶然性の音楽」といい、ケージはこの作風を推し進めた。
もはやケージはクラシック音楽ではなく、「実験音楽」の作曲家になっていた。
「4分33秒」の意図
1952年、ケージは「4分33秒(4′33″)」を発表する。
この曲のコンセプトは、「沈黙の中で音を聴くこと」だ。ピアノが演奏されなくても、聴き手の耳には周囲の様々な音が飛びこんでくる。床がきしむ音、服の衣擦れ、誰かの咳払い……などなど。
ケージは完全な無音は存在しないと考え、聴き手の意識をあらゆる音に向けさせようとしたのだ。
なお、この曲の演奏時間は、時間が書かれたカードをシャッフルしてランダムに抜き出すという方法で決められている。
以上の内容を踏まえたうえで「4分33秒」を聴くと、それまでのケージ作品に登場した発想を、随所に見いだすことができる。
・音高 →ピアノが演奏されないので、音高は存在しない。よってメロディもハーモニーもない。さらに言えば、この曲にはリズムもない。音楽の三大要素から完全に解放されている。
・楽器 →聴き手はピアノの代わりに周囲の環境音を聴く。楽器以外の音が音楽を形作っている。
・作曲 →演奏時間はランダムに決定された。典型的な「チャンス・オペレーション」。
・演奏/聴取 →演奏会の会場でどんな音が鳴るかは予想できない。観客の座席位置によっても聴こえ方は変わる。聴き手の耳に届く音は偶然に左右される。
ケージは熟慮の末、この曲にたどり着いたのではないだろうか。
※参考文献
松平頼暁(1995)『現代音楽のパサージュ 20・5世紀の音楽 増補版』
近藤譲(2019)『ものがたり西洋音楽史』
芳野靖夫監修(2013)『クラシック作曲家大全-より深く楽しむために-』ジョン・バロウズ(原書監修),松村哲哉(訳)
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