古代文明

3万年前の航海を徹底再現!旧石器時代について調べてみた

「旧石器時代」

それは、日本列島に最初に人類が住んだとされる約4万年前から、縄文時代が始まる約12,000年前までのこと。約28,000年続いた「日本史上最も長い時代」である。

一方で研究の歴史は浅く、その存在が認められたのはおよそ70年前のことだった。

それまでは「日本列島に人類が住みついたのは縄文時代から」と考えられていたためである。
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旧石器時代 の存在

旧石器時代

【※約2万年前の氷河期最後の更新世後期の日本の高度地図。オレンジは海面上の地域、白は植物の生息しない地域、黒の線は現代の海岸線を指す】

その定説が覆されたきっかけは、昭和21年(1946年)、旧石器時代に相当する赤土層(群馬県の岩宿遺跡)から槍先に用いたと考えられる黒曜石が発見されたことにある。

その後の調査でナイフ形石器や石斧などが出土し、否定されていた旧石器時代の存在が認められたのだ。以降、全国で調査が盛んになり、現在までに1万ヵ所以上の旧石器時代遺跡が発見されている。現在も調査は続けられ、旧石器時代は日本史上「最も新発見の多い時代」となっている。

旧石器時代、日本列島周辺の海水面は現在より約80m低く、大陸と地続きになっていた部分があり、大陸からオオツノジカやナウマンゾウなどの大型哺乳類が渡来し、生息していた。

人類はこの大型哺乳類を追って大陸から渡ってきたと推測されている。

南方の民族の謎


【※国立科学博物館の展示されている港川人の復元模型】

旧石器時代の人々の骨の発見例は極めて少なく、20件ほどしかない。そのうちの多くは琉球諸島で見つかっている。

なかでも保存状態が良いのが、沖縄本島南端の「港川フィッシャー遺跡」で発見された「港川人」の人骨である。港川人の身体は現代人に比べて手や足、腰、臀部が身体のわりに大きく、脚は特に筋肉が発達してたくましい。研究によれば、成人男性の平均身長は155cm、女性は144cmである。

平成22年(2010年)、旧石器時代人に関する研究で新たな見解が発表された。
港川人はオーストラリア先住民やニューギニア高地人に似ており、日本列島にいた旧石器時代人とは別ではないか」と推測するものである。

北海道、本州域の旧石器時代人にはまた別の特徴があったのかもしれないが、現在はまだ謎のままである。

遥かなる航海

平成28年(2016年)7月、国立科学博物館の主催により、人類学や考古学、海洋学の研究者と海洋探検家らで構成されたプロジェクトチームが「日本列島への人類到達の歴史」を追及する実験を行った。大きな海を越えて沖縄の島々へ渡ってきた祖先の航海技術を、証拠をもとに復元、実験航海する「3万年前の航海・徹底再現プロジェクト」である。

現在の人類「ホモ・サピエンス」は、誕生地であるアフリカを出て世界を陸伝いに進み、およそ5万年前にアジアに到達した。日本へは約38,000年前以降にやってきたというのが最新の定説だ。

我々の祖先がたどったと想定される日本列島までのルートは次の3つ。

  • ①朝鮮半島から対馬を経由して北部九州に至る【対馬ルート】(経由地前後で約40kmずつの航海が必要)
  • ②大陸の北側(シベリア)からサハリン(樺太)を経由し、陸続きだった北海道に入る【北海道ルート】
  • ③大陸の一部だった台湾から、約1,200kmの間に大小およそ100の島々が並ぶ琉球列島を転々と渡ってゆく【沖縄ルート】(数十kmから200km以上の航海が必要で、なおかつ黒潮により行く手を阻まれた可能性が高い)

最新プロジェクト

プロジェクトチームは、この中で最も高い航海技術を必要とする沖縄ルートに注目。

黒潮を越える難関、台湾→与那国島の航海再現(想定日数3日間)」を最終目標とし、平成25年(2013年)年から準備が進められた。3万年前の航海の可能性のひとつとして考えられる草(ヒメガマ)舟が製作され、テスト航海を経て、平成28年(2016年)7月に最初の実験航海へとたどり着いたのだ。

実験コースは、与那国島からほぼ東へ75kmにある西表島。2艙のヒメガマ舟(長さ約6.3m、幅約1.3m)にそれぞれ7人の漕ぎ手が乗船した。テスト航行時に確認された舟の速度、時速3kmが維持できたとして、約30時間の航海と予測された。しかし、折悪く悪天候が続いた直後の出港であったために、人力による航行は約12時間に留まり、残りは伴走船によるけん引によって、約28時間の航海を終える結果となった。

残念ながら人力での航海は成功せず、3万年前の航海の難しさを証明することになったのである。

3万年前の航海プロジェクト

環状キャンプ

旧石器時代の遺跡はいずれも小さく、人々は十数人ほどの集団を形成し、簡易的なテントや洞窟、岩陰などで暮らしていたと考えられていた。

しかし、昭和58年(1983年)に群馬県赤城山麓の下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡で環状ブロック群(群が環状に分布しているもの)が発見されると「人々は環状キャンプを形成し、50~100人の人々が集まって生活していた」という新しい旧石器時代像が見えてきた。

その後、全国100ヵ所にも及ぶ環状ブロック群が発見されたが、いずれも3万年前までの遺跡であった。人々が環状キャンプを張っていた理由はこれまで解明されていないが、ナウマンゾウなどの大型獣を狩猟するために集結していたなど、諸説ある。

最後に

旧石器時代の調査は、まさにこれからである。
新しい発見が続く一方、新しい謎も増え続け、その輪郭が浮かび上がるのもまだ先のことだ。

しかし、少ない情報からみえてきたのは、旧石器時代の人々は今まで考えられてきた以上の文化を持ち、コミュニケーションも発達していたという驚きの事実であった。

 

 

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