古代文明はなぜ発生したのか
世界古代文明がそれぞれ離れた場所で、同時多発的に発生した理由として「ある気候変動が大きな影響を及ぼした」という、とても刺激的な説があります。
「メソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明」の四代文明が発生した背景には、すべて同じある気候条件が存在するのです。
紀元前5000年頃からアフリカ・中東・アジアに広がった“ある条件”は、人類を大河周辺に集住させ、水資源の管理を発達させました。
この水資源の管理が、文字の発明や政治統制の強化を引き起こし、古代文明を形成する基礎となりました。
今回の記事では「古代文明の発生を引き起こした気候変動」について考察したいと思います。
乾燥化が文明発生の鍵となる理由
すべての文明は大河の流域で発生しているのですが、その背景には広範囲にわたる「乾燥化」の影響があったと考えられます。
メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川の地域で発生しました。この地域は紀元前5000年頃から乾燥化が進み、前3000年頃には都市国家が発達しています。
エジプト文明は、ナイル川流域で発生しました。サハラ砂漠の拡大に伴い、紀元前3000年頃からナイル川流域で農耕文化が花開いています。
インダス文明は、インダス川流域で栄えました。中央アジアの乾燥化の影響で、紀元前2600年頃から都市文明を形成しました。
黄河文明は、中国北部の黄河流域で発達しました。中国北部でも紀元前5000年頃から乾燥化が進み、黄河文明が生まれました。
大河の水資源を求め合う過酷な環境が、これら文明の技術的・社会的発展を促したと言えるでしょう。
乾燥化と文明発生の関係
紀元前5000年頃から、アフリカ北部のサハラ砂漠をはじめとして、中東、西アジア、中央アジア、インド北西部に至る広大な地域で乾燥化が始まりました。
これまで湿潤な気候で緑に覆われていた地域が、次第に砂漠化していったのです。
アフリカ北部では、それまで緑豊かであったサハラ地域が砂漠になり、「グリーン・サハラ」から現在のサハラ砂漠へと変貌を遂げました。
中東ではアラビア半島全域で乾燥化が進み、人々はティグリス・ユーフラテス川流域へ集住するようになります。西アジアや中央アジアの広域でも同様に乾燥化と砂漠化が進み、オアシス都市が形成されていったのです。
中国でも黄河・長江流域を中心に乾燥化の影響を受け、黄土高原などの乾燥地帯が拡大しました。
インド北西部とパキスタンでも乾燥化が進展し、これがインダス文明の興隆につながりました。
この時代における地球規模の乾燥化は、文明の形成に大きな影響を与えたといえます。
水資源をめぐる環境変化が、文明の技術的・社会的発展を促した側面が強いと考えられるのです。
乾燥化がもたらす社会の変化
乾燥化の影響で、人類は生存に必要な水を確保するため、大河の周辺に集まるようになりました。
ナイル河畔では、乾燥した周辺地域からナイル川流域に人口が集中します。
メソポタミア地域では、ティグリス川とユーフラテス川の肥沃な地域に人々が集まりました。
インダス文明では、インダス川とその支流域に集落が形成されるようになり、中国でも黄河や長江の周辺地域に人口が集中しました。
乾燥化で利用できる水資源が限られる中、大河の周辺は貴重な水と肥沃な土地を提供してくれたため、人々はこうした地域に集中したのです。
大河流域には水害のリスクもありましたが、乾燥地域と比べればはるかに生活しやすい環境であったと考えられます。
人口集中と政治統制の形成
大河周辺に人口が集中すると、水をめぐる争いが発生するようになります。この争いを防ぐため、水の配分と利用の管理が必要となりました。
河川の水を農地に引く灌漑施設の建設が進められ、ダムや水路の建設などが行われます。
水の配分ルールが作られ、これを記録する必要から文字の利用が促されました。
大規模な水の資源管理は、政治的統制と官僚制の発達を促します。
このような過程を経て水の資源管理が発達したため、都市国家として文明の基盤が整っていったのです。
限られた水資源の「最適な配分」という課題が、文明の根幹を成す社会システムの発展を促したと考えられます。
乾燥化の社会的意義
文明の発展に伴い、人々の活動が活発化し、取引などの記録が必要となります。
はじめは印や象形文字で簡単な記録を取っていましたが、取引の複雑化とともに、より詳細な記録ができる文字が必要になりました。
領域国家の形成で、政治・経済活動の記録も重要になり、王や支配階級の活動記録も文字の利用目的となっていきます。
このように実務上の必要性から文字が発明され、社会の複雑化に伴い、徐々に使用領域を広げていったのです。
文明の出現に伴う社会の複雑化が、文字発明の主要な要因だったと考えられます。
文明の起源に関しては、農耕の開始、人口増加、社会構造の変化など、さまざまな要因が提唱されてきました。
しかし、これらの要因がなぜ同時期に発生したのかを考えると、その背景には「乾燥化」という気候変動があったと考えられます。
広範囲にわたる乾燥化による水資源への依存が、文明発生の決定的な要因となったのです。
参考文献:本村凌二(2016)『教養としての「世界史」の読み方』PHP研究所
この記事へのコメントはありません。