
画像 : ワニの噛む力は1トンを超える! pixabay cc0
「ワニ」は、恐るべき捕食者である。
鱗に覆われた巨大な体と、ひとたび獲物を見つければ容赦なく襲いかかる獰猛さ。
その姿に、太古の人類は畏れを抱いた。
世界各地には、奇怪な怪物にまつわる伝承が数多く残されているが、中にはワニを正体とするものも少なくない。
今回は、そんなワニにまつわる恐怖の伝承をひもといていく。
1. 鼍

画像 : 鼍 平住専安/橘守国『唐土訓蒙圖彙』より public domain
鼍(だ)または猪婆龍(ちょばりゅう)は、中国に伝わる妖怪である。
古くから知られた存在であり、さまざまな文献にその名が残っている。
学者である李時珍(1518~1593年)が著した『本草綱目』によると、鼍は長江(中国最大の川)や洞庭湖(中国で2番目に大きい湖)に生息する怪物であったとされる。
全長は約6mほどあり、その姿はヤモリやセンザンコウに似ているという。
凶暴で力強く、恐ろしい鳴き声を発し、雨雲を呼ぶなどの神通力も持つ厄介な化け物だが、鱗・肉・脂・肝などには優れた薬効があるとされ、狩猟の対象になることもあったそうだ。
作家である劉義慶(403~444年)の著作『幽明録』では、人間に化ける鼍が登場する。
ある夜、劉余之という人物の家に賊が10数人ほど入りこみ、娘を誘拐しようとした。
劉余之は侵入者どもを抹殺すべく抜刀すると、賊のリーダーと思しき者が、「湖の主である我が会いに来てやったのだぞ!それなのに殺そうというのか!者ども!であえであえ!」などと言い出した。
しかし、劉余之は取り合う様子も見せず、ただ無言で刀を振るい続けた。
激しい応酬の末、賊たちは散り散りに逃げ去り、家の庭先には奇妙なものが残されていた。
それは、狸(たぬき)と鼍(すっぽんに似た巨大なワニのような水獣)の死骸であったという。
鼍の正体は、絶滅危惧種である「ヨウスコウアリゲーター」のことだと考えられている。
2. オロボン

画像 : オロボン アンドレ・テヴェ『La cosmographie universelle』より public domain
オロボン(Orobon)もしくはオラボウ(Orabou)は、フランスの探検家アンドレ・テヴェ(1516~1590年)の著作、『La cosmographie universelle』にて言及されている生物である。
体長は約3mで、ワニと猫を足したような姿をしているという。
その肉は驚くほど不味く、しかも食べた者には尿路結石ができる可能性があるとされている。
できた結石は表面が激しく尖っており、腎臓や膀胱を傷つけながら移動し、やがて尿道にまで達することもある。
その痛みは凄まじく、意識を失う者さえいるという。
それでも、紅海近くの「Marzouan」と呼ばれる山に暮らすアラブ人たちは、ある工夫を凝らしてこの肉を口にする。まず多量の水を飲み、さらにハーブを用いた利尿剤を服用することで、体内に石ができるのを防ごうとするのだ。
どれほどの効き目があるのかは定かでないが、毒にも薬にもなるその肉は、奇怪な生物オロボンの名にふさわしい異様さを持っている。
3. ラガルト

画像 : ラガルト 草の実堂作成(AI)
ラガルト(lagarto)は、ワニに似た姿を持つ異形の怪物で、海外から日本に伝わったとされる。
その名はポルトガル語で「トカゲ」を意味する。
江戸時代の天文学者、西川如見(1648~1724年)が著した地理書『華夷通商考』に、この怪物の情報が記されている。
ラガルトはきわめて獰猛で邪悪な性質を持ち、陸上では絶えずヨダレを垂らしながら徘徊する。
その粘ついた唾液で足を滑らせた獣や人間は、倒れた拍子に生きたまま喰われてしまう。
ただし、臆病な一面もあり、獲物を追いかけることはあっても、自らが追われるとすぐに逃げ出す。
水中では魚を主に捕食するものの、動きが鈍く狩りは不得手で小魚には見向きもしない。
この性質を逆手に取り、小魚たちはあえてラガルトの周囲を泳ぐことで、大型魚から身を守る術としている。
体表は硬い鱗で覆われており防御力に優れるが、腹だけは無防備で柔らかい。
また、雑腹蘭(サフラン)が生えている場所には、どういうわけか近づくことができないそうだ。
江戸後期の中国学者・秦鼎(1761~1831年)の随筆『一宵話』には、蝦夷(北海道・東北地方)でラガルトが目撃された事例が記されている。
あるとき、体長約3メートルのラガルトが3匹現れ、魚や獣を食い荒らした。
これに対し、蝦夷の人々は討伐に乗り出した。
初めは数人が噛まれたが、腹部が弱点であることに気づき、毒矢を用いて3匹すべてを仕留めたという。
この出来事を蝦夷人がオランダ人に語ったところ、さらなる情報がもたらされた。
そのオランダ人によれば「ラガルトには舌がない。それにもかかわらず、人間の泣き声をそっくりに真似る能力を持つ」というのだ。
この声に引き寄せられて近づいた者は、ヨダレによって足元を奪われ、逃げる間もなく捕食される。
子どもの泣き声を利用して敵を誘き寄せるという話は、実際の戦争の中でも時折語られることがある。
人間の庇護欲を利用した卑劣な手段ではあるが、効果が高いため、残念ながらそうした手法が完全に消える日は遠いのかもしれない。
人の想像力が生み出した「怪物」は、ただの空想にとどまらず、時に現実の脅威や恐怖を映し出す鏡でもあるのだ。
参考 : 『本草綱目』『幽明録』『La cosmographie universelle』他
文 / 草の実堂編集部
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