
画像 : ベルリンの壁 public domain
人生にはしばしば、思いもよらぬ困難が立ちはだかる。
それらはしばしば「壁」として語られ、人はどうにかして乗り越えようとする。
神話や伝承の世界でもまた、行く手を阻む怪物や神が登場し、人々や神々が知恵や力を尽くしてそれを突破する物語が語られてきた。
今回は、そうした「道を塞ぐ存在」にまつわる伝承をいくつか取り上げてみたい。
中国における伝承

画像 : 䍺 public domain
古代中国の地理志怪書『山海経』には、䍺(かん)という名の不思議な生き物が記されている。
その姿は山羊に似て青い目を持ち、足は地中にめり込み、人の力では動かせないとされる。
後世、4世紀の志怪小説『捜神記』において、この䍺は道をふさぐ怪物として描かれた。
前漢の武帝(紀元前156〜紀元前87年)が巡幸の途上、突如として巨大な山羊の怪物が現れ、一行の進路を塞いだ。
押しても引いてもびくともしないその姿に、従者たちは困り果てたが、博識な東方朔(紀元前154〜紀元前93年)という人物がこう告げた。
「これは獄中の罪人の憂いが凝って生まれた怪物・䍺である。酒をかければその憂いが晴れ、消えるだろう」
助言どおり大量の酒を浴びせると、䍺は跡形もなく消え去ったという。
日本における伝承

画像 : ぬりかべ『化物之繪』より public domain
塗壁(ぬりかべ)
日本を代表する「道を塞ぐ妖怪」といえば、やはり塗壁(ぬりかべ)の名が挙がるだろう。
塗壁は九州北部、特に福岡県遠賀郡の海岸地方に伝わる怪異で、その姿形は不明だが、一般的には壁のような形をしていると解釈されている。
民俗学者の柳田國男(1875〜1962年)が『妖怪名彙』(1938年)に記したところによれば、夜道を歩く人の前に突如現れ、左右にもどこまでも続くため避けられない。
しかし足元を棒で払うと、不思議と消え去り、先へ進めるという。
大分県では、この怪異を狸やイタチの仕業とする説があり、狸が大きく広げた陰嚢で人の顔を覆い視界を奪うという伝承もある。
この場合、路傍で腰を下ろし、タバコを一服すると怪異は消えるとされる。
このように、塗壁はもともと地方のマイナーな妖怪にすぎなかった。
その後、漫画家・水木しげる(1922~2015年)が『ゲゲゲの鬼太郎』内にて、ユーモラスな姿の塗壁を描き登場させたところ、一気に知名度が上昇し、こなき爺・砂かけ婆・一反木綿などとともに、国民的妖怪へと上り詰めたのである。
野襖(のぶすま)

画像 : 野襖 イメージ 草の実堂作成(AI)
こういった「目の前に現れる壁のような妖怪」の伝承は、実は日本各地に存在する。
たとえば、高知県には野襖(のぶすま)という、ふすまのような姿をした妖怪の伝承が残る。
夜道を歩く人間に立ち塞がる点は塗壁と一緒だが、野襖は上下左右全ての方向に、無数に連なった姿で出現するのだという。
だがやはり、落ち着いてタバコで一服することで、自然と野襖は消滅すると伝えられている。
また、長崎県の壱岐島には「ヌリボー」と呼ばれる怪異があり、夜道に山側から突き出してくるとされる。
柳田國男は『民間伝承 第三十七号 妖怪名彙(四)』で「ヌリボウ」と表記し、塗壁と同種の妖怪であると分類している。
魔除けの神

画像 : 道反之大神 草の実堂作成(AI)
道を塞ぐ存在には、人の行く手を阻む怪物だけでなく、災厄を防ぐ「防壁」としての神もいる。
『古事記』『日本書紀』には、道反之大神(ちがえしのおおかみ)にまつわる次のような物語が伝わる。
(意訳・要約)
イザナミとイザナギは夫婦の神で、日本列島を生み出したとされる。
しかし、イザナミは火の神カグツチを生んで命を落とし、黄泉国へと赴いた。
嘆き悲しんだイザナギは、彼女を取り戻そうと黄泉国へ向かう。
イザナミは再会を喜びつつも、「黄泉戸喫(よもつへぐい)をしてしまったため、掟により現世には戻れない」と告げた。
ただし黄泉の神々と相談するので、それまで決して姿を見ないようにと約束する。
しかし長く待たされたイザナギはしびれを切らし、禁を破って覗いてしまう。
そこには全身が腐り果て、雷を発する恐ろしい姿のイザナミがあった。
怒ったイザナミは黄泉の醜女(よもつしこめ)や兵を追手として放つが、イザナギは何とか振り切り、黄泉比良坂まで逃げ延びる。
そして巨大な千引の石を転がして坂を塞ぎ、現世への侵入を防いだ。
この石に宿る神を「道反之大神」と名付け、魔除けの神として祀ったという。
参考 : 『山海経』『捜神記』『古事記』『日本書紀』他
文 / 草の実堂編集部
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