「まったく、ものぐさなヤツめ」
今どきあまり使わないでしょうか、何事も面倒がる者を「ものぐさ」と言いますが、今も昔もこういう手合いは絶えなかったようで、鎌倉時代から江戸時代にかけて面白い説話を集めた『御伽草子(おとぎぞうし)』にも、そういうキャラが登場します。
彼の名は「ものくさ太郎」。まんまやないかい!というツッコミはおいといて、今回はこちら「ものくさ太郎」のエピソードを紹介したいと思います。
ものくさ太郎のプロフィール
今は昔、信濃国筑摩郡(つかまのこおり。現:長野県南西方面)のどこかに、あたらしの郷という村里があり、そこに「ものくさ太郎ひじかす(以下、太郎)」という男が住んでおりました。
「あたらしの郷」とは「新しい」なのか「可惜(あたら、お)しい」のか分かりませんが、どっちの意味も含めて「せっかく若い(新しい)のに、あたら無駄に過ごすとはもったいない」というネーミングかも知れません。どのみち架空の地名です。
それはそうと、この太郎というヤツはまったくもってものぐさで、働くのはもちろんのこと、遊ぶことさえ億劫で、四方に竹を立てた上に筵(むしろ)をかけただけの粗末な小屋に、日がな一日寝転んでいたと言います。
きっとこの小屋も自分で建てたのではなく、誰かが見かねて建ててやったのかも知れませんね。ここから一歩も動くことなく、雨の日も晴れの日もずっとゴロゴロしていたと言いますが、排泄はどうしていたのでしょうか(あまり考えたくありませんね)。
当然のごとく身なりにも無頓着で、身体も洗わないのでノミやシラミがびっしりとたかり、挙げ句は肘(ひじ)に苔が生えてしまったそうで、それで「ひじかす」という諱(いみな。実名)なのでしょうか。
もしそうであれば、子供のころからずっとゴロゴロしていて、そのまま大きくなって元服?したものと考えられます。諱も自分で考えたのではなく、周囲から「お前の名など『ひじかす』で十分だ」と笑われたものを、そのまま採用したのでしょう。
こんな暮らしをしていてはすぐに飢え死にしてしまいそうなものですが、どういう訳か放っておけないオーラでも放っていたようで、腹が減ると誰かが食べ物を恵んでくれるので、自堕落な生活をずっと続けられたのでした。
地頭とのやりとり
とまぁ、そんな具合に今日も恵んでもらった餅を頬張っていた太郎ですが、5つあった餅の4つを食って、残り1つはまた腹が減った時のためにとっておくことにしました。
でも、ヒマなのでせっかくの餅をしまい込まず、お手玉にしたり胸の上に置いて眺めたり、自分の鼻に浮いた脂垢をつけたり(汚いなぁ)して遊んでいましたが、手もとが外れて餅を落とし、ちょっと(5歩くらいでしょうか)離れたところに転がってしまいました。
「うーん。とれないなぁ」
起ち上がればたったの5歩で拾える餅を、何とか寝転がったままとろうと手をのばしても、持っていた竹竿を使ってもとれません。やがて、餅を狙ってカラスや野良犬などが群がって来ます。
「こらっ!それは俺の餅だぞ!盗るんじゃないっ!」
太郎は竹竿を振るってカラスや野良犬などを追い払いますが、さっさと拾った方がよほど楽なんじゃないかと思うのは、きっと筆者だけではないはずです。
するとそこへ、馬に乗った地頭(じとう。京都にいる公家に代わって現地を治める領主)がやってきました。
「あ、ちょうどいいところに来た。ねぇ地頭さん。そこの餅をとってくれませんか?」
は?そんなの自分でとれよ……と思ったのかどうかは知りませんが、地頭は太郎の呼びかけを無視します。
「ちぇっ……何だよ。馬からちょっと下りればすぐとれるのに、何てものぐさなヤツなんだ!」
太郎は舌打ちして地頭をなじりますが、一体「どの口が言うんだ」ですよね。
「……ものぐさなヤツに限って、他人をものぐさ呼ばわりするものだ。見ての通り、わしは領内の見回りで忙しい。いい若い者が、日がな寝転がっておってはもったいない。土地がないなら与えるゆえ、畑で何か作るといい」
初対面の浮浪者に土地を与えようとは随分太っ腹な地頭様ですが、太郎はそんなものには興味がありません。
「泥にまみれて働くのは嫌と申すか。ならば元手に銭をくれてやるから、それで商いでも始めるがいい」
何だか「放蕩息子を何とかして自立させようとする父親」みたいですが、やはり太郎は興味がないようです。
「素人がいきなり商いなど始めても、なかなか上手くは行かないのが世の習い……せっかくの銭が無駄になってしまいますよ」
まったく、あぁ言えばこう言う……でも、決して頭は悪くなさそうな太郎の様子に何を見込んだのか、地頭は太郎の小屋のすぐそばに、こんなお触れを出しました。
【ものくさ太郎に毎日三合の飯と、夕には酒を与うべし。従わぬ者は領内に留め置かず】
「「「えぇ……」」」
地頭の命令とあれば仕方なく、村人たちは渋々ながら太郎に飯と酒を与えるようになり、三年の月日が流れたのでした。
夫役に出た京都で妻探し
さて、ある年のこと。
都から各村々に長夫(ながぶ。長期間の夫役)が求められ、ここ「あたらしの郷」でも人手の確保に悩んでいました。
「これから刈り入れの時期だし、これ以上男手が減ったら、年貢も納められんわい」
「ウチの郷で余っている男と言ったら……あの太郎しかおるまい!」
そうだそうだ……という訳で、さっそく郷の代表で太郎の説得に当たります。
代表「太郎さん、今回ウチの郷が、長夫に当たったんですよ」
太郎「長いものに当たったのかい。何だかわからんがめでたいね」
代表「長期間、都に人手を出さなきゃならないで、太郎さんに頼みたいんだよ」
太郎「嫌だよ。拙者、働きたくないでござる」
代表「お前この野郎、何のために3年間もタダ飯食わせてやったと思ってんだよ」
太郎「それは地頭の命令であって、俺が頼んだ訳じゃないでしょ」
代表「ぐぬぬ……でも、この案件は太郎さんのためにもなるんだよ」
太郎「と、言うと?」
代表「都には面白いモノがたくさんあるし、美人もたくさんいて楽しいですよ。せっかくのイケメンが、いつまでもこんな片田舎にいてはもったいないと思いますがね」
太郎「……いいね、欲しいね、美人妻」
代表「でしょ?ここは一つ、ドーンと男を上げに行っちゃいましょうよ!」
太郎「そうだな!ドーンと行っちゃいますか!」
……という訳で、京の都へやって来てみれば、結構いろいろ面白く、また仕事もやってみると楽しいもので、太郎は夢中になって働きました。
そんな働きぶりが評価されたのか、当初の約束だった3ヶ月を過ぎて半年も過ぎ、そろそろ冬になろうとしたころ。
「そろそろ帰るかな……」
仕事に遊びに満喫した京都ともそろそろお別れ……と思ったら、そう言えば忘れていました。当初の目的「美人妻」を。
「誰かいいアテはないかい?」
太郎に訊かれた同僚は「結婚ってのは一生の大事だから、いっとき遊びたいなら、その辺の遊女でも呼んだ方がいい。もし本気で妻が欲しいなら、近ごろ流行りの辻取(つじどり)でもしたらどうだ」と促します。
辻取とは要するに女性を「拉致」することで、もちろん犯罪なのですが、道路が交差する辻は魔物も多く行き交うため、か弱い女性が「神隠し」に遭ってしまうこともありえなくない……というとんでもない理屈で黙認されてしまうことも少なくありませんでした。
※女性からすれば恐ろしい話ですが、これを逆手にとって「一緒になりたくないorいたくない相手から、一緒になりたい相手に拉致してもらう」こともあったようです。
狙うのは伴侶や男性のお供を連れていない(≒成功率の高い)女性で、太郎は清水寺(きよみずでら)に参詣する客の中から、これはと言った女性を探し続けるのでした。
はじめての辻取に挑戦……結果やいかに?
「……いた!」
太郎が見つけたのは、いかにもやんごとなき風情をたたえた美しい姫君。市女笠をかぶっていても、身体の線や身のこなしから、絶対に美女と分かります。そして何となくよい香りも漂うではありませんか。
「もし!これを落とされましたよ!」
ウソでも何でもいいから気を惹こうと駆け寄った太郎から、姫君は当然逃げようとします。
「放して下さい!ここでは人目もありますから、用があるなら我が家へ訪ねてくればよろしい」
「ホント?やったぁ!……で、家はどこ?」
ここで正直に住所を教える馬鹿がいるものですか……姫君は太郎に謎をかけ、考え込んだ隙に逃げることにしました。
「私の家は……松のもとです」
「松は松明、その下は明るい……明石の浦ですか?」
「えーと……日暮れの里です」
「日が暮れれば暗くなるから鞍馬ですね。鞍馬のどの辺ですか?」
「ともし火の小路(こうじ)……」
「ともし火には油がいるから油小路ですね?」
「恥ずかしの里」
「つまり、しのぶの里と」
太郎があまりにスラスラ答えるものですから、姫君はなかなか逃げられません。苦し紛れに、和歌を詠んでやることにします。
唐竹を杖につきたるものなれば
ふしそひかたき人をみるかな【意訳】
あなたは硬く節ばった竹の杖をついているので、伏し添う(共に寝る)ことはできません。
唐竹の杖とは、太郎がかつて餅をとろうとしていたあの杖を、ずっと愛用していたんでしょうか。
それはそうと「竹の節のように何度も何度も……しつこい男はお断りです!」と言わんばかりですが、太郎も負けずに和歌を詠み返します。
よろづ世の竹のよごとにそふふしの
など唐竹にふしなかるべき【意訳】
いつの世も竹には節がついているものですから、どうして私が毎晩(夜ごと)あなたに添い伏せられないことがあるでしょうか。
何としても逃がすまいぞ……そんな太郎の執念が恐ろしくなり、姫君は続けて和歌を詠みます。
おもふなら とひてもきませ わが宿は
からたちばなの 紫の門(かど)【意訳】
そこまで私を思うなら、唐橘の花が咲く紫の門構えの我が家に訪ねていらっしゃい。
「紫の門……?」
ここで太郎に隙が生まれたのか、姫君は辛うじて逃げ出すことに成功。太郎も追ってはみたものの、見失ってしまいました。
……となれば、太郎が目指すのは「唐橘の紫の門」一択でしょう。
潜入成功!?
……さて、「唐橘の紫の門」という手がかりを元に方々を探し回った太郎は、七条にある豊前守(ぶぜんのかみ)の御所がそれらしいと突き止め、縁の下にもぐり込みました。
「しばらく様子を見ることにしよう」
この時点でストーカー&不法侵入で100%アウトですが、昔は良くも悪くも色々オープン≒セキュリティなど無きに等しい状態でした。
「……あの男が、やって来なければいいのだけれど……」
太郎がもぐり込んだちょうど真上で、先ほど聞いた美しい声がします。やはりこの家で間違いなかったようです。
「おお、その美しき声は我が妻よ!」
太郎が部屋に上がろうとすると、庭にいた犬が吠えたてました。
「まずい!」
太郎は急いで姫君の部屋へ駆け込み、几帳の陰に隠れます。一方の姫君も「こんな男と一緒にいる所を見られて(通じたと疑われて)しまったら、恥をかくどころではすまない」と恐ろしくなり、太郎を奥の部屋に閉じ込めました。
「決して声を立ててはなりませぬぞ!」
ドサクサに紛れて太郎は追い出されずにすみ、表ではきっと姫君が必死で取り繕っていることでしょう。やることもないので、とりあえず仮眠をとることにしました。
最後の決め手は誠実さ
そろそろ表が静かになったころ、太郎の部屋に果物の籠が差し入れられました。
「何だ……まるで牛馬にでもやるエサのように一つ盛りとはずいぶん風情のない……いや、待てよ?これは『二人一緒になろう』というメッセージに違いない!」
なかなかポジティブですが、太郎は籠に盛られた栗を「あなたの気持ちはわかったから、もう『くり』返さなくて大丈夫」、梨を「あなた以外に男は『なし』」と解釈。そして柿は……
津の国の 難波の浦の かきなれば
うみわたらねど 塩はつきけり【意訳】
摂津国(現:大阪府北西部)の難波でとれた牡蠣(かき)なので、京都まで運ぶのに海を渡る必要はないのに、もう塩気がついています。
牡蠣は果物の柿にかけ「海渡らねど」は「熟(う)みわたらねど」つまり機は熟していないものの、すでに塩がついている≒二人には前世から縁(えん=塩)がついている、というシャレです。
「……まったく、さっきのやりとりと言い、実に頭の回ること……せっかくだから、もっと和歌を詠ませてみましょう」
と、姫君は侍女に命じて紙を持たせたところ、太郎はまたこんな和歌を詠みます。
ちはやふる かみを使ひに たびたるは
われを社と 思ふかや君【意訳】
紙≒神を使いに寄越されたのは、あなたは私を神社と思っているのでしょうか。
「……何を言っているの」
苦笑した姫君は、直接じっくり話をしてみようと太郎を呼び出しましたが、真新しい畳になれない太郎は、足を滑らせて姫君の大切なお琴につまづき、割ってしまいました。
「あっ……!」
お気に入りの琴が割れてしまった姫君は、その悲しみを詠みました。
今日よりは わが慰みに 何かせん
【意訳】
大切なお琴が割れてしまって、今日から何を楽しみに生きていけばいいのでしょう……。
心から申し訳なく思った太郎は、その歌に下の句をつけます。
ことわりなれば ものも言われず
【意訳】
あなたのお悲しみはごもっとも(ことわり≒琴割り)、もう音が鳴らず、私も弁解のしようがありません……本当にごめんなさい。
心から謝っている太郎の姿に感動した姫君は、やはり前世からの因縁なのだろうと腑に落ちて、太郎と契りを結ぶことにしたのでした。
家柄に収入、ルックスにスキル……何だかんだと言っても、やっぱり最後に心を動かすのは誠実さなのだと思います。
エピローグ
さて、ここまで来ればもう後はハッピーエンドのおまけみたいなものですが、めでたく姫君と結婚した太郎は風呂に入って立派な服を着替えると、玉のような美男子に生まれ変わりました。
また、もともと頭がよかったため和歌の才能を現して都じゅうの評判になり、やがて帝の御前で和歌を披露する機会に恵まれます。
鶯の ぬれたる声の 聞こゆるは
梅の花笠 もるや春雨【意訳】
しっとりと美しい鶯の声は、きっと笠のようにびっしり咲き誇る梅の花から洩れた春雨にぬれたためだろう※太郎が披露した和歌の一首。
いたく感心された帝が祖先について尋ねられると「先祖などいません」とそっけない返事。
そんな事はなかろうと帝が当局に調べさせると、第54代・仁明(にんみょう)天皇の第2皇子・二位中将(にいのちゅうじょう)が信濃国へ流罪となった折、善光寺の阿弥陀如来から授かった私生児と判明したそうです。
仁明天王の第2皇子と言うと宗康(むねやす)親王ですが、彼にそのような記録はなく、調べた限りで信濃国にご縁がありそうな皇子は、信濃守を経験して正二位となった源多(みなもとの まさる)でしょうか(身分的に、恐らく信濃の現地には行っていなかったでしょうが)。
つまり太郎は仁明天皇の庶孫に当たり、源多の生没年(天長8・831年生~仁和4・888年没)から、太郎が生まれたのは9世紀半ばごろとなります。
「そういうことであれば、信濃国を与えるゆえ、夫婦仲良く治めるがよい」
ということで太郎は信濃中将を拝命して故郷に錦を飾り、夫婦仲良く末永く(120歳まで!)暮らしたということです。
さらに死後は「おたが(お多賀?穂高?愛宕?諸説あり)の大明神」、姫君は「あさい(朝日)の権現」とそれぞれ祀られ、恋の願いを叶える神様として篤く信仰され、今日に至ります。
何だか話が出来すぎた気がしなくもありませんが、だからこそのおとぎ話と言ったところでしょうか。
他にも「一寸法師」や「酒呑童子」など馴染みの深い話も収録されているので、興味があったら『御伽草子』読んでみると楽しいですよ!
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