昔話を読んでいると、よく「山で道に迷っていると、一軒の家があったので泊めてもらうことにしました」などというストーリー展開に出くわしますが、その家に入ると大抵はロクなことがありません。
キツネやタヌキに化かされているくらいならまだ可愛いもので、ひどい場合だと鬼や山姥(やまんば)や山男(やまおとこ)に食われかける……なんてパターンもしばしば。
これは恐らく「見知らぬ場所で出逢った見知らぬ相手をやたら信用するな」という教訓なのでしょうが、中には「出逢えたらラッキー」な物件もあるようです。
そこで今回は、岩手県の伝承『遠野物語(とおのものがたり)』より、マヨイガのエピソードを紹介したいと思います。
山奥で見つけた不思議なお屋敷
下閉伊郡の小国村(現:岩手県宮古市)にいた三浦某は村一番の長者でしたが、その二、三代前までは貧しい農家だったと言います。
その当時、三浦家に嫁いでいた妻は少し魯鈍(ろどん)だったようで、ある日、彼女が家の前の小川で蕗(ふき)を採ろうとすると、手ごろなものが見つからないままどんどん上流へ行ってしまいました。
「……あれ?ここはどこかな?」
気づけばすっかり山奥まで来てしまい、目の前には黒く立派な門構えのお屋敷がありました。
「こんな山奥に、家なんてあったっけ……でも、ちょっと入ってみようかしらねぇ」
いやいや、何で他人の家に入るんだと思ってしまいますが、それもまぁ魯鈍ゆえなのでしょうか。
「わぁ、広いお庭だなぁ」
そこには赤や白の花が一面に咲き誇り、あちこちで鶏が楽しげに遊んでいるのか、ミミズでもついばんでいるのか、のどかな光景が広がります。
裏庭に回ってみると牛小屋にはまるまる太った牛がぎっしり、馬小屋には立派に肥えた馬がびっしり。よほど裕福なお家に違いありません。
「ごめんくださーい!」
玄関から声をかけたけれど人は誰もいないようで、のそのそと上がってみると朱や黒で美しく塗り上げられた漆器(膳碗)がたくさん並べてあり、その奥の座敷には火鉢があり、かけられた鉄瓶がしゅんしゅんと沸いていました。
「あれま。人もいないのに火をかけっ放しで、不用心だこと」
でも、やっぱり人はいません。みんな神隠しにでも遭ってしまったのでしょうか。
「もしかして……ここは山男の棲家なんじゃなかろうか」
ふとそう思うとにわかに恐ろしくなり、あわてて逃げ帰った妻は山奥にあった不思議なお屋敷の話を家族にしたものの、
「お前の事だから、どうせ夢でも見てたんだろうよ!」
とまぁそんな具合に、誰もとりあってくれません。
「やっぱり夢でも見ていたんだろうか……」
そのうち、妻も今日のことを忘れてしまいました。
赤いお椀と、尽きぬケセネ
あれからしばらく経ったある日、妻が目の前の小川で洗濯物をしていると、上流から赤く塗られたお椀が一つ流れてきます。
「あれまぁ、何とも綺麗なお椀だこと」
見れば見るほど美しいので、ぜひとも使いたく思ったけれど、食器に使ったら「拾った器に飯など盛るな!汚いだろう!」などと叱られそうだったので、これをケセネギツに使うことにしました。
ケセネとは米や稗(ひえ)、粟(あわ)など主食の穀物で、キツとは櫃(ひつ)、要するに米櫃(こめびつ)のことです。
炊飯の計量カップとして使っていたところ、いつまで経ってもケセネが尽きませんでした。
「一体どういうことじゃろうか」
誰かが勝手にケセネを補充するとも思えないし、不思議に思った妻は家族みんなに事の次第(山奥の不思議な家と、川上から流れて来たお椀のこと)を話すと、誰かがこんな話をします。
「それはきっと、マヨイガ(迷い家)じゃろう。山の神様が福を授けるために見せたもので、マヨイガにたどり着いた者はそこの家畜でも家財道具でも何でも持って帰ってくるべきところを、お前は何も持ってこなかったから、あまりの無欲に神様が呆れて、何とかお前に拾わせようと、そのお椀を川に流したのじゃ」
「はぁ、そうだったのですね」
以来、三浦家は大いに栄え、今の長者ぶりに至ったのでした……めでたし、めでたし。
終わりに
よく昔話では「正直で無欲なおじいさんは、神様からどっさりとお宝をさずかって幸せに暮らしたのでした」という結末を見ますが、ここではさずかったお宝に気づかず帰ってきてしまい、神様の方が「ホラ、持っていけったら」と家の前まで宝を持ってくるのがユーモラスですね。
『遠野物語』ではこの妻が少し魯鈍(鈍く、愚か)という話になっていますが、許可なく他人の家に入り込んでしまうなど少し天然さんっぽいものの、他人の家から家畜や家財を盗み出さないなど善良な気質であり、そんな無欲な彼女を神様は愛したのでしょう。
もっとも、これがマヨイガ(何でも盗ってOK、むしろ盗るべし)と知ったら彼女がどう反応したかも見てみたいところですが、いつか遠野の山中を歩いていて、マヨイガに巡り合ってみたいですね。
※参考文献:
柳田国男『遠野物語』集英社文庫、2011年6月
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