人類は古来より、死者を敬い、その魂を丁重に弔ってきた。
その葬儀の方法は、地域や宗教、文化によって多岐にわたり、現代の日本では考えられないようなものも存在する。
現在、日本では火葬が主流となっているが、世界にはさまざまな形で死者を送る風習が残っている。
ここでは、現代日本では見られない世界の葬儀5選を紹介する。
鳥葬
鳥葬は、主にチベットで見られる、遺体をハゲワシなどに食べさせる葬儀方法である。
チベットでは人が死ぬと、僧侶を呼んで祈祷をしてもらい、遺体を屈ませてロープで縛り、葬送の日まで喪家の片隅で安置する。
葬送の日には、遺体処理人が遺体を鳥葬用に指定された山頂まで運び、肉を切り刻んで鳥が食べやすい状態にする。その後、僧侶が再び祈祷を行い、ハゲワシが飛来して遺体を食べ尽くすという。
チベットの死者の葬り方には独自のランクがあり、宇宙生成の五元素である地・水・火・風・空のうち空が最も尊く、地が最も卑しいとされていることから、火葬や鳥葬などの曝葬(風葬)が重んじられる。
なお、僧侶に関しては一般的には火葬で葬られる。
崖葬
崖葬は、かつて中国、インドネシア、フィリピンなどで見られた、遺体を崖に吊るす葬儀方法で「ハンギング・コフィン」とも呼ばれる。
フィリピンのサガダの例では、遺体を胎児のように小さく丸め、腐敗臭を抑えるため煙でいぶして燻製状態にする。
その後、小さな棺に収めて崖に吊るす。
サガダでは「遺体をより高い位置に安置することで、魂が天に近くなる」と考えられていた。
また、野生動物や首狩り族による、遺体荒らしを防ぐためでもあった。
他に崖葬に近いものとして、樹木の上部や股の部分に遺体を安置する「樹上葬」なども挙げられるが、現在はどちらも廃れた葬儀方法である。
サガダでは、2010年に行われた崖葬が最後とされている。
水葬
水葬は、主にインドのヒンズー教徒の間などで見られ、火葬した後の遺灰を川に流すという葬儀方法である。
死者が幼児の場合は火葬せず、遺体に石の重りをくくりつけて川に流す。
ヒンズー教徒は、「死後には肉体は滅びるが、魂は輪廻転生するため墓は作る必要がない」と考えている。
インド独立の父と称されるマハトマ・ガンディーも、ヒンズー教の慣習に則って遺灰は川に流された。
しかし、火葬費用が用意できない低所得者、または伝染病などで大量に死者が出て葬儀場が間に合わない場合などは、大人でも火葬せず、そのまま川に流されることもあった。
近年では、コロナの影響で火葬場が過密状態になった結果、インド北部で一部の遺体がガンジス川に流される事態が発生し、社会問題となった。
余談ながら、かつてインドには夫が亡くなった際に、その妻が火葬の炎と共に自ら命を絶つ「サティ」と呼ばれる慣習が存在した。
英国統治下の1892年に法的に禁止されたものの、現在でも稀にサティが行われ、ニュースになることがあるようだ。
風葬
風葬は、遺体を野ざらしにして自然の力で風化させる葬儀方法であり、かつて日本でも行われていた。
曝葬、空葬とも呼ばれ、前述した鳥葬や崖葬なども風葬に含まれる。
風葬が行われる理由としては、宗教の教えに則ったものや、地理的または経済的に火葬が困難な場合などが挙げられる。
日本では平安時代、特に京都の郊外で庶民の間で行われていた。
現在でも風葬が行われる地域はあり、棺の有無などは地域によってさまざまである。
遺体を安置する場所については、人里離れた洞窟などを墓地として利用しているケースが多い。
インドネシアのスラウェシ島南部に住むトラジャ族では、遺体を「トンコナン」という家屋の居間に安置する。
死から葬儀が行われるまでにかなりの時間を要し、その間は生でも死でもない「病気の状態」とされる。(遺体はミイラ化していく。)
葬儀の際は「タウタウ」と呼ばれる木像が遺体に添えられ、僻地の洞窟にある墓地に葬られるそうだ。
食葬
食葬は、かつてパプアニューギニアの一部の地域で行われていた葬儀方法の一つである。
この地域では、長老の葬儀が数日間にわたり、盛大に行われる。その中で、長老の継承者がその血統を引き継ぐために、食葬が行われていたとされる。
この風習は現在では禁止されているが、歴史的には特定の地域で同様の慣習が報告されている。
日本の一部地域では「骨噛み」と呼ばれる風習があり、葬儀後に近親者が遺骨を分け合って食べることで、故人の魂を体内に宿すとされた。
この風習は今でも残っているが、遺骨には「六価クロム」という発がん性物質が含まれているため、無害化するか少量にするなどの注意が必要である。
おわりに
今回紹介した葬儀方法以外にも、世界にはさまざまな形式の葬儀が存在している。
中には儀式の一部として、家畜や奴隷を生贄に捧げた例も見られる。
こうした世界各地の多様な死生観や伝統に触れることで、「生と死、そして命とは何なのか」と改めて考えさせられるものがある。
参考文献
「世界葬祭事典」松濤弘道
文 / 小森涼子
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