宗教

仏教の広がりと仏陀が悟りを開くまでを調べてみた

仏陀(ブッダ)とは「目覚めた人」を意味する。

2,500年前、インドに始まった仏陀の旅は、遥かな時を経てアジア各地の人々に引き継がれていった。

仏教発祥の地

折からの豪雨により、海のように波立つガンジス川。河畔の街路は膝まで冠水し、階段を滝のような雨水が流れる。

インドは季節や天候により、その表情を大きく変える。自然も暮らしも大いなる循環のなかにあるのだ。

満月の夜、インド東北部にあるブッダガヤでは、仏教徒が集まり灯明(とうみょう)が行われる。灯明とは、神仏に火を供える儀式のことで、仏陀はこのブッタガヤで誕生したといわれている。仏陀の教えである仏教はブッダガヤがあるこの地で、2,500年前に生まれた。

仏教は、キリスト教やイスラム教と並ぶ世界的宗教だが、今のインドでは仏教徒はごくわずかしかいないという。インドで生まれ、アジアに広まっていった仏教は、各地で独自の花を咲かせていったのだ。

仏教発祥の地
【※ブッダガヤの大菩提寺】

そのため、今のブッタガヤでは、アジア各地から訪れる巡礼者の姿が目立つようになった。巡礼者は仏陀が悟りを開いたという菩提樹の下に必ず立ち寄り、あちらこちらから色々な国のお経が聞こえてくる。

タイ、ミャンマー、チベット、中国など、各国の人々が各国の言葉でお経を唱えるブッタガヤこそ、仏教徒の聖地である。

仏教のアジアへの広がり

仏陀の唱えた教えは、弟子たちの言葉として現代に残されている。確かなのは、仏陀は2,500年前に実在し、80歳で人生を終えたということだ。

仏陀は80歳になると死を予見し、弟子たちと共に故郷に向かって最後の旅に出た。旅の途中で出された食べ物に当たり、病に倒れながらも、どうにかクシナガラにたどり着いた仏陀は、二本の沙羅の木の下に横たわる。そして、弟子たちに

「私が死んでも嘆き悲しむな。人は誰でも死を免れない。すべてのものはうつろいゆくものであり、それに追いすがってはならない」

と語ったという。

この言葉を最後に仏陀は入滅した。

仏陀自身は、そうした教えを何も書き残してはいない。しかし、弟子たちが仏陀の言葉を記している。

「すべてものもは変化して止まない。修行によって執着を断ち、心の平安を得よ」

仏陀の最後の場面に、仏教の根本が凝縮されているというのだ。そうして、弟子たちの手により、インドで生まれた仏教がアジア各地に広まっていった。

まずは、スリランカへ、そして、タイやミャンマーなどの東南アジアへと広がり、「南伝仏教」と呼ばれるようになった流れがある。上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)とも呼ばれ、パーリ語の三蔵(仏教の聖典)を伝えることから「パーリ仏教」とも呼ばれる。

偶像崇拝へ

もうひとつの流れが、インドの西方に位置したガンダーラ王国を抜け、ヒマラヤを迂回するようにシルクロードのオアシス地帯に向かった「北伝仏教」である。ネパール、チベット、中国、そして、韓国を経て日本にまで伝えられた北伝仏教は、日本においては「大乗仏教(だいじょうぶっきょう」と呼ばれるようになった。

東南アジア最大の仏教国であるタイでは、雨季になると多くの男子が仕事を休み僧侶になる。タイでは仏陀の生き方が理想とされ、僧侶になることはその第一歩なのだ。

また、ミャンマーでは国中に「パゴダ」と呼ばれる仏塔が建てられている。仏教徒にとって仏陀は身近な存在であり、わずかな収入からでもお布施を行い、より良い来世を願う。


【※アフガニスタン・バーミヤンの石仏。タリバン政権によって破壊されてしまい、今は残されていない】

そして、興味深いのは、仏陀の死後500年も経って始めて仏像が作られたことだ。これにより、人々は仏陀を神のように崇拝するようになった。

中国へと伝えられた仏教は、この地で「阿弥陀」「弥勒」「観音」などの神の姿を通して、民衆の願いを聞くこととなる。

仏陀の教えが偶像崇拝へと変化していったのである。

それぞれの国で仏陀の旅路は、異なる形となって伝えられている。

苦しみに満ちた世界

仏陀が生まれた時代、ヒマラヤ山脈の麓、ガンジス川の中流域ではこの肥沃な大地にはいくつもの都市国家が栄え、互いに覇権を競い合っていた。そして、現在のネパールにあるルンビニーという都市で、釈迦族の王子「ゴータマ・シッダールタ」が誕生した。後の仏陀である。

釈迦族も強大な都市国家に滅ぼされる危険と隣り合わせであった。やがて、釈迦族の都市も近隣の都市に併合されてしまい、仏陀は29歳にして出家し、ガンジス川中流域を旅するようになる。当時、この地域は水運や幹線道路が発達しており、商業や農業が発展するインド文化の中心地であった。

ガンジス川中流域のパトナーの街では、当時、交易や商業で栄え始めていたが、同時に貧富の差が激しくなり、人々の間で争いが起こっていた。仏陀にとって、そうした様子は城を出て初めて目にしたものばかりである。

仏陀は、世界に苦しみが満ちているのを知ったのだった。

仏の悟りを開いた者

激しい社会の動きのなかで争う人々の姿。それを見て、仏陀は修行を始める。

現世を「苦しみ」と捉えた仏陀の出発点がそこにあった。すでに子供ももうけていた仏陀だったが、修行を決めると地位も家族も捨てて、故郷から400kmも離れた山に入り、中腹の洞窟で修行を始める。

6年にも及ぶ苦行を終え、仏陀は「肉体とは死によって消滅するはかないものだ」と気付き、同じように世の中もまたうつろいゆくものであることを知った。

人間の苦しみは変わりゆくものに捉われることから起こる」ことを悟った仏陀は山を降り、王子シッダールタから「仏の悟りを開いた者」の意味である仏陀となったのである。

そして、ここから仏陀の本当の旅が始まった。

仏陀の旅路

仏陀の旅路はとても長い。当時のインドの社会的背景と相まって、複雑な物語となった。

しかし、仏教の教えの根本である「人生とは苦しみそのものであり、苦しみからの解脱を果たすために修行をする」という考えは、このようにして誕生したのである。

機会があれば、さらにその旅路を追ってみたい。

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