西洋史

『6人の女の城』 シュノンソー城 ~女城主たちの数奇な運命を刻んだ優美な名城

シュノンソー城

画像 : 画像 : シュノンソー城外観 public domain

まるでファンタジーかおとぎ話の世界に迷い込んだかのような美しいヨーロッパの古城。
そんなお城に一度は訪れてみたいと思う人も多いのではないでしょうか。

特にフランス中部、国内最長のロワール川が流れる渓谷沿いには西洋屈指の名城がいくつも点在しており、かつての王侯貴族達の絢爛な生活ぶりを忍ばせます。

中でもシュノンソー城は、その優美な姿から訪れる者の心を今日も惹きつけています。

かつてこのお城でどんな暮らしが営まれ、そしてどのような人物がこの城を治めたのか、調べてみるとそこには女性城主たちの数奇な運命が刻まれていました。

絵画のごとく城が映える風光明媚な立地、実は元々製粉所

画像:ロワーヌ川 wiki c Philippe49730

シュノンソー城は長い歴史の中で幾度も増改築を重ね、現在の姿となりました。
城はロワール川からの支流であるシェール川をまたぐかのように築城されており、豪奢な建築と広大な敷地の自然を誇っています。

しかし、この風光明媚な地も当初は城のための土地ではありませんでした。領地の歴史を遡ること11世紀、シェール川にあった「古い製粉所」がその元々の姿だったのです。

この製粉所が名城へと変遷していく発端となったのは1411年のこと。

この地に最初に邸宅を構えたジャン・マルクという人物が国王の軍から扇動罪を問われ、ここに火を放たれるという憂き目にあいます。

ジャンは後に城と水車を再建するも多額の負債を抱え、1513年には彼の相続人がヴァロア朝第7代フランス王・シャルル8世宮廷下のトマ・ボイエにこの城を売却します。

城の再建、陣頭指揮を執る女性たち

その後、財務長官として多忙を極めるボイエに代わり、城の再建と執り成しはボイエの妻カトリーヌに委ねられます。
これを皮切りに城主を務めるのはいずれも貴婦人であったため、シュノンソー城は後に別名「6人の女の城」とまで呼ばれるようになります。

中でも城の歴史に色濃く名を残した城主は、ディアーヌ・ド・ポワチエカトリーヌ・ド・メディシスです。

ディアーヌはフランス王アンリ2世の20歳年上の愛妾、元はアンリ2世の教育係の女性でした。一方カトリーヌは王と同じ1519年に生まれ、イタリアのメディチ家からアンリ2世の元へ嫁ぎ王妃となります。

シュノンソー城は1536年にフランソワ1世がボイエから買い取っており、アンリ2世の頃にはその所属は王家と定められていて、正妻ではないディアーヌには譲渡できない状態でした。

愛妾と王妃、そして城を巡る王の謀略

シュノンソー城

画像:ディアーヌ・ド・ポワチエ public domain

シュノンソー城の譲渡以前にも、既にアンリ2世のディアーヌに対する寵愛ぶりは目を見張るものがありました。

新王妃カトリーヌは、わずか20万リーブルの王室費を与えられただけにすぎなかったのに対し、ディアーヌは王冠用のダイヤを始め他の領地や城を与えられ、宮廷内の役職に就いた者に課せられた税収までもが国庫を介さず直接ディアーヌの懐に入っていました。

そのうえ「シュノンソー城を何とかディアーヌに譲り渡したい」と考えたアンリ2世は、この譲渡に対する一切の反対を抑え、非合法な贈り物を合法化しようと寡婦であった彼女の身分を利用して一計をはかります。

画像 : ヴァロワ朝第10代のフランス王 アンリ2世 public domain

アンリ2世は「亡き父である前王が、ディアーヌの夫であった故ブレゲ卿の忠誠に対して十分な報酬を与えておらず、そのため遺族であるディアーヌに報酬を与える」との公書を発布したのです。

無論異議も上がりましたが、アンリ2世はそれらを退け1555年6月、ついにディアーヌが名実ともにシュノンソー城の主として治まったのです。

ディアーヌは国王の庇護にありつつ実務の才にも長けた女性でした。法的に城主となる以前からシュノンソー城の管理に辣腕をふるい、城にも見事な造成を加えていきます。城と対岸をアーチ型の橋で結び、川岸からの氾濫も警戒してテラスを石で補強させました。

こうした土木工事だけでなく、花や果樹を植栽させ庭園を作り、彼女の手で城はさらに美しく洗練されていったのです。

愛妾の失墜により、城は王妃の手中に

しかし、ディアーヌのそうした権勢が突如暗転します。

城の所有者となったわずか4年後の1559年、アンリ2世が突然の事故で急逝してしまいます。シュノンソー城の主は寵姫から一転、王という最も大きな後ろ盾を失ったのです。

シュノンソー城

画像:カトリーヌ・ド・メディシス public domain

そして王妃としての面目は保ちつつ、ディアーヌの元に通い詰める夫に目を瞑り続けてきたカトリーヌは、アンリ2世の死を機にディアーヌに対して「シュノンソー城の明け渡し」を要求したのです。

城の所有は王家を離れていたため、形式上は召し上げではなく領地からの収入が多いショーモン城との交換となりましたが、カトリーヌの真意については今でも諸説があります。

かくしてシュノンソー城の主となったカトリーヌは、自身の趣向にあわせた庭を付け加え、かつて夫が手だてを尽くして愛妾に贈ったこの城に好んで滞在するようになります。

そしてカトリーヌの死後も城は城主となった貴婦人達に守られ、フランス革命の破壊も免れて、その姿を現在に至るまで伝えているのです。

おわりに

今日のフランスでは、ヴェルサイユ宮殿についで数多くの訪問者が訪れるといわれるシュノンソー城。

シュノンソー城

画像 : ディアーヌのアーチ橋 wiki c Raph

その姿は、ディアーヌの架けた橋の上にカトリーヌが新たな城館を建設してギャラリーとした16世紀半ば以降、外観を殆ど変えることなく時を経てきました。

優美な城の趣向には、女城主たちがそこで生きた証がそこかしこに名残として感じらるのではないでしょうか。

美しい城に秘められた城主たちの熱情と駆け引きに、思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。

参考文献 :
公妃ディアヌ・ド・ポワチエ フランソワ一世の時代 (ルネッサンスの女たち) 桐生 操 (著)

 

  • Xをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

草の実堂Audio で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 古代ローマ人の娯楽 コロッセオで行われていた残虐な催し
  2. 魅力満載のカラフルなポルトガル宮殿 「シントラのペーナ国立宮殿」…
  3. 【アール・ヌーヴォーからアール・デコへ】 ルネ・ラリックが広げた…
  4. 【20世紀最大の人災】 ウクライナで400〜1500万人が餓死し…
  5. 「19世紀の基礎 」ナチズムに影響を及ぼした反ユダヤ主義の聖典
  6. 今も残る ジャンヌ・ダルクの生家「ドンレミ村」神のお告げを聞いた…
  7. 「自分の身体はガラスでできている」中世ヨーロッパの謎の精神疾患“…
  8. 残虐な王妃として名高い カトリーヌ・ドゥ・メディシス

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

おやつ(お菓子)の歴史について調べてみた

おやつの語源は1日2食の江戸時代の食生活に小腹を満たすために午後2時から4時頃を示す、「八つ…

70年以上「鉄の肺」と共に生き抜いた弁護士 〜ポール・アレクサンダー

あなたはポリオという感染症をご存じだろうか。安全性の高いポリオワクチンが普及した現代…

【世界三大美女】クレオパトラの生涯と悲劇的な最後 ~実はギリシャ人だった

クレオパトラ7世は、「世界三大美女」として名高く、古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の女王…

【世界が驚いた100万人都市】 江戸の人たちの暮らしの知恵 「超リユース社会だった」

およそ260年という泰平の世が続いた江戸時代。その中心となった「江戸」は、江戸時代中期には1…

枕草子はなぜ生まれたのか?その誕生について調べてみた

『枕草子』と清少納言『枕草子』は平安中期、清少納言によって執筆された世界最古の随筆である。…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP