中国史

【砂漠に眠る絶世の美女】3800年前のミイラ「楼蘭美女」が語る消えた文明の謎

世界を驚かせた「楼蘭美女」の発見

画像 : 運び出される楼蘭の美女 wiki c Dan Lundberg Eric Feng

1980年、タクラマカン砂漠の東端、楼蘭(ろうらん)遺跡北部の鉄板河デルタ地帯で、考古学の歴史を塗り替えるような発見があった。

新疆文物考古研究所の穆舜英(ムー・シュンイン)女史を中心とする調査隊が発掘したのは、3800年前の女性の自然ミイラだった。

保存状態は驚くほど良好で、その容貌は「美女」と呼ぶにふさわしいものであったことから、彼女は後に「楼蘭美女」と呼ばれるようになる。

毛布に包まれ、木の針で胸元を留められた彼女は、栗色の長い髪を肩に垂らし、フェルトの尖帽に鳥の羽根を挿していた。
足元には羊皮のブーツ、そばには草で編まれた籠やウールのポシェットが添えられていた。
上半身は素肌をさらし、下半身には羊皮の下着を着用していたという。

彼女の体内には内臓が残されており、まさに「生きているかのような死者」が砂漠の底から甦ったのである。

炭素14年代測定では、紀元前1880年頃という結果が出され、これは中国本土で殷王朝が成立しつつあった時代にあたる。

X線検査では、彼女の肺が黒く染まっていたことが判明している。これは、砂漠の細かい塵を日常的に吸い込んでいた証拠と考えられる。
生前、彼女は極端な乾燥と粉塵の多い過酷な環境で暮らしていたのだろう。

一方で、この乾燥気候こそが、遺体の腐敗を防ぎ、臓器を含む遺骸全体を驚くべき状態で保存した要因でもあった。

発見の翌年、NHKと中国の共同制作によるドキュメンタリー番組《シルクロード》が放映されると、「楼蘭美女」は世界的な注目を集め、シルクロードブームの火付け役となった。

彼女はなぜここに葬られたのか。そして、その背後にはどのような文明があったのだろうか。

彼女は何者だったのか?DNAが明かす「東西混血」の真実

画像 : 楼蘭の美女 wiki c Dan Lundberg Eric Feng

「楼蘭美女」の発見は、東アジアの歴史認識に新たな問いを突きつけた。

とりわけ注目されたのは、その容貌である。

深く彫られた眼窩、高くて細い鼻梁、赤褐色の肌、長い睫毛…
いずれも東アジア系の典型的な顔立ちとは異なり、ヨーロッパ系に近い特徴を備えていた。

21世紀以降、ミイラのDNA解析が進むと、その疑念は確信へと変わった。調査によれば、「楼蘭美女」の遺伝子の約70%がヨーロッパ起源のもので構成されており、彼女がコーカソイド系の血統を色濃く受け継いでいたことが判明した。

これは、ユーラシア大陸東西の交流が、従来考えられていた時代より遥か古代から始まっていた可能性を示している。

従来、西方諸国との本格的な接触は、前漢時代の武帝が外交官・張騫(ちょうけん)を西域へ派遣した、紀元前138年以降に始まったとされてきた。

画像 : 張騫の道のり public domain

だが、「楼蘭美女」が生きていた紀元前2千年紀の時点で、すでに人の移動や定住が行われていたとすれば、文明間の接触史は大きく書き換えられることになる。

実際、楼蘭遺跡や周辺のタリム盆地では、彼女と類似した容貌のミイラが他にも複数体見つかっており、これらの人々が一定規模の集団として生活していた可能性も否定できない。
その衣服や副葬品などの習俗は、東アジアとは異なる文化であり、彼女たちは他地域から移動してきたのではないか、という説もある。

楼蘭美女のルーツは、どこにあるのだろうか。

考古学的な仮説のひとつとして注目されているのが、インド=ヨーロッパ語族に属する吐火羅人(トカラ人)の存在である。

彼らは、中央アジアからタリム盆地へと移動してきた白色人種とされている。現段階では断定できる根拠はないものの、楼蘭美女もこの吐火羅系の流れを汲んでいた可能性は高い。

また、楼蘭美女の皮膚は変色しているが、発見当初は色白だったと記録されている。

幻の古国、楼蘭はなぜ消えたのか?

「楼蘭美女」が発見されたのは、現在の中国新疆ウイグル自治区にある乾燥地帯、ロプノール周辺である。

ロプノールとは、かつてタリム盆地の東部に存在した巨大な塩水湖で、古代には豊富な水があり、周辺に人々の集落を形成していた。
現在では完全に干上がってしまったが、古代の交通路の要衝であり、東西を結ぶシルクロードの一部をなしていた。

このロプノールの北西岸に築かれていたのが、「楼蘭古城」と呼ばれる古代都市である。

画像 : 楼蘭故城 wiki c 罗布泊

楼蘭は、紀元前2世紀から5世紀ごろにかけて、西域交通の要地として繁栄した国家であり、歴史書にもその名が頻繁に登場する。

古代中国の記録において「楼蘭」が初めて登場するのは、前漢時代の『史記』である。
そこでは、楼蘭は匈奴の支配下にある西域諸国のひとつとして記されており、すでに王を戴く独立国家として認識されていた。

地理的に見ても、楼蘭の位置は非常に戦略的であった。

北は車師、南は且末・精絶、西は焉耆、東は敦煌へと通じる要衝にあり、東西交易の交差点に位置していた。

画像 : 楼蘭の推定位置 紀元前2世紀頃の中央アジアの地図 public domain

このため、漢の武帝が西域への勢力拡大を図る中で、楼蘭はしばしば外交上の争点となり、ときに匈奴に、ときに漢に服属するという「二重外交」を余儀なくされた。

紀元前77年、漢の使者・傅介子が匈奴寄りだった楼蘭王・安帰(あんき)を暗殺し、漢に従う新王・尉屠耆(いとき)を擁立。
このとき国名は「鄯善(ぜんぜん)」に改められ、首都もロプノールの西岸から南岸の伊循城(いじゅんじょう)へと遷された。

旧都・楼蘭古城には漢の軍政が敷かれ、屯田や灌漑によって軍事・交通の拠点として整備された。

だが、この繁栄も永遠ではなかった。5世紀初頭には楼蘭古城は放棄され、歴史の表舞台から姿を消す。

文献上では「鄯善国(ぜんぜんこく)」として、北魏時代までその名が見られるが、実際にはもっと早く人の気配は途絶えていたとされる。

画像 : 鄯善国(楼蘭国)最大勢力範囲。1世紀頃に形成され、途中変動しつつもこれに近い領域は3世紀頃まで維持された。public domain

その最大の要因とされているのが、環境の激変である。

ロプノールに水を供給していた河が流路を変えたことにより、湖は徐々に干上がっていった。水を失えば、農業も生活も維持できない。

住民たちは水を求めて南方へと移住し、都市は砂漠に取り残されたのである。

こうして楼蘭古城は、長い時を経て人々の記憶からも忘れ去られていったのだ。

思い出された人類史の交差点

画像 : 楼蘭の美女の復元図 public domain

楼蘭の存在が再び明らかになったのは、1900年、スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンによる発見であった。

彼が発掘したのは、砂に埋もれた正方形の都市遺構であり、仏塔や木造建築、絹織物、貨幣、紙文書など、多くの貴重な遺物が世界の注目を集めた。

だが、掘り起こされたのは、楼蘭という古代国家の記憶だけではなかった。

1980年に発見された「楼蘭美女」によって、この地域自体が、さらに奥深い歴史を秘めていることが明らかになったのだ。
彼女が暮らしていたのは紀元前1900年頃、つまり楼蘭国が登場するよりはるか昔の時代である。

彼女が眠っていた砂漠の地は、数千年の時を超え、数多の民族と文明の栄枯盛衰を見届けてきた、人類史の静かな交差点だったのだ。

参考 : 『史記』『漢書』『シルクロードの旅(新疆ウイグル自治区博物館)』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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コメント

  1. アバター
    • あかねこ3号
    • 2025年 3月 30日 9:24am

    ありがとうございます。
    小学生の時に学校で共同購入があって、たしか15少年漂流記と一緒に、楼蘭の花嫁だったか表題は確かではありませんが2冊選んで買ってもらって読んだ記憶が蘇ってきました。それで、ロプノールですね。さまよえる湖!砂の堆積で湖底が上がり水流が逆転して別の場所に湖をつくる。しかしそこも安住の地ではなく、同じ原理で水流が再逆転し、またロプノールが形成される。これが1000年ほどの周期で永劫に繰り返される、と覚えています。感情を排した文筆も相まって形容し難い深い印象を与えてくれました。

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