中国史

『古代中国』夫が妻を他人に貸して子を産ませていた?清代まで続いた「典妻」とは

妻を他人に貸す古代の婚姻慣習

画像 : 明代《男女画像軸》public domain

古来より中国の婚姻は、時代ごとの社会状況や人々の暮らしぶりに応じて姿を変えてきた。

豊かな時代には夫婦の結びつきが重んじられたが、戦乱や飢饉、貧困が広がると、家族のかたちすら大きく揺らいだ。

その中で現れた風習のひとつが「典妻(てんさい)」である。

典妻とは、夫が自分の妻を一定期間、他人に「貸し出す」形で成立した特殊な婚姻慣習のことである。

「典」とは抵当や質入れの意味を持ち、妻を物品のように他者に譲り渡す契約を指していた。
契約が成立すると、妻は承典人(しょうてんにん : 妻を借り受けた者)に移り、事実上の妻として過ごすことになる。

期間が満了すれば、妻は元の夫のもとに戻ることもあったが、そのまま戻れずに他人の妻として売られてしまうことも少なくなかった。

重要なのは、この慣習が単なる性的な貸与にとどまらず、「子を産ませる」ことを大きな目的にしていた点である。

承典人の家で生まれた子はその家の子として扱われ、姓を継ぎ、財産の相続権を認められる場合もあった。
つまり、女性は単なる労働力や慰みではなく、家を継がせるための出産をも担わされていたのである。

契約内容によっては、家事や奉公などの労働を伴う「典貼(てんてい)」の形もあり、実質的に奴婢と変わらない扱いを受けることも多かった。

また「典妻」は妻に限定されず、妾や婢女も対象となった。

社会的に地位の低い女性ほど対象にされやすく、彼女たちは夫の経済的困窮や負債の犠牲となったのだ。

「典妻」が広がった時代背景

画像 : 典妻イメージ 草の実堂作成(AI)

「典妻」という慣習が生まれ、広がっていった背景には、いつの世にも戦乱や飢饉といった社会不安があった

古代から中世にかけて、中国の庶民生活は戦争や天災に左右されやすく、米や衣服といった最低限の生活資源さえ欠乏することが珍しくなかった。

家族を養えないほど困窮した夫が、最後の手段として妻を「典妻」に出し、その見返りで生活をつないだのである。

史料に残る記録をたどると、その発端は戦国期(紀元前5世紀から紀元前3世紀頃)からすでに見られる。

戦国時代の法家・韓非が著した『韓非子』六反には、次のようにある。

「天饑歲荒,嫁妻賣子者,必是家也」

意訳 : 天候不順や飢饉で食糧が不足すると、妻を嫁に出したり子を売ったりする家が必ず出てくる。

『韓非子』六反より

こうした光景はその後の時代にも見られ、前漢から南北朝時代にかけては「質妻」「質子」といった記述が残されており、重い税や戦乱に追い詰められた人々が、妻や子を抵当にして金を得る習慣が広まっていたことがうかがえる。

やがて宋代に入ると、この慣習はより広く民間に定着し、役人や富裕層があえて貧しい農民に金を貸し付け、返済条件として妻女を差し出させるといった不正も横行した。

元代以降もこの流れは止まらず、元の法律書『元典章』にも「典妻雇子成俗久矣(妻を典に出したり、子を雇わせたりすることは、すでに長く当たり前のことになっている)」と記されている。

特に江南や浙江といった、人口が集中し商業も活発な地域では、典妻は「一時的に家計を支える方策」として常態化していた。

明末から清代にかけて社会不安が増すと、典妻はさらに広がり、貧困家庭にとっては「生きるための選択肢」の一つとなっていった。

つまり典妻は、時代ごとの社会不安と庶民の貧困が作り出した産物だったのだ。

法令による禁止

このように、典妻は中国史において長らく庶民社会に根を下ろしたものの、各時代の為政者たちはそれを容認していたわけではなかった。

唐律では典妻した場合は婚姻を解消とみなし、夫に刑罰を科すと定められていた。
明代には夫に杖一百、妻に杖八十という厳しい罰まで設けられた。

清代もそれを引き継ぎ、法律の上では典妻は禁止されていたのである。

ところが、現実はまったく違っていた。

画像 : 太平天国の乱(清で起きた大規模な宗教反乱) public domain

清の時代、とくに「太平天国の乱」のあとは社会が大きく乱れ、農民の生活は困窮を極めた。

食べるものもなく借金に追われた家庭では、典妻して当座の金を得るしかないという状況が広がったのである。

典妻された女性は承典人の家で子を産み、その子はその家の姓を継ぐ。
妻を貸す側も借りる側も「仕方ない選択」として受け入れていたが、犠牲になるのは女性だった。

清政府はたびたび禁令を出したが、地方では黙認されることが多く、典妻は庶民の暮らしの中で続いていった。

この慣習がようやく減っていったのは、20世紀に入ってからである。

中華民国の時代にも農村では典妻が続き、文芸作品の題材として女性の悲劇が描かれた。
都市では、妻を社交や利益のための道具として扱うような、新しい形の「典妻」を描いた小説も生まれている。※柔石『为奴隶的母亲』など。

中華人民共和国成立後は、旧来の封建的な婚姻慣習を一掃する運動のなかで、典妻は完全に廃止された。
しかし、それまで続いた長い歴史と女性の犠牲は、文学や民間の記憶として今も語り継がれている。

典妻は、単なる過去の慣習ではなく、戦乱や貧困が人々の倫理や家庭をいかに揺るがしたかを示す、生々しい歴史の痕跡といえるだろう。

参考 :『韓非子』六反『元典章』『南齊書』他
文 / 草の実堂編集部

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