燒紙とは?
燒紙とは、中国、台湾で信じられている民間信仰である。
清明節(4月5日墓参り)中元節(農暦7月1日)寒衣節(農曆11月初一)故人の命日、毎月農暦の15日(初一)に行われる儀式だ。
中元節は7月に行われるのだが、七月は「鬼月」と呼ばれ、死者の世界の門が開かれる月とされる。死者はこの1カ月現世を彷徨う。
悪い霊も一緒に出てきてしまうということから「鬼月」と呼ばれる。
農暦の7月は、結婚、新車や家を購入、引っ越しなどはなるべく行わないようにするという。
不吉な月とされているため、喜び事は慎むのが古くからのしきたりだそうだ。不吉な事が身に降りかからない様にするためだ。
この風習は後に道教にとりこまれ、ここ台湾でも多くの人が行っている。
おそらく方法は様々だろうが、一般的なのは「丸い炉の中で紙のお金を燃やす」というものである。
紙のお金を燃やして死者に届け「あの世で不自由なく生活できるようにする」という意味合いがある。
炉は家庭用の小さなものから、人間が二人くらい入れる大きな物まで様々である。
近所で次々と燃やすものだから、煙と灰で窓を開けられなくなるという。
燒紙には様々な関連商品があり、日本でいうと仏具屋の様な店で売っている。
ちなみにアジア大手のショッピングサイト「shopee」でお値段を調べてみた。
炉は小さいものが日本円で約3600円、大きなものは一万近くする。
紙のお金は50枚入りで約200円であった。
燒紙の由来
このしきたりの由来には諸説あるようだが、一人の人物が関係しているといわれている。
それは蔡倫(さいりん)という東漢時代の宦官である。
彼は、宮の物品を管理したり製作したりする仕事をしていた。
蔡倫は、紙を発明した人物とされている。
中国の古代四代発明の一つ「製紙術」である。
実は紙は蔡倫の時代以前にも存在していたが、蔡倫はその技術を確立、改良した人物として知られている。紙が民間に出回ったのも、彼の開発した製紙術のお陰である。
初期の頃、紙の原料は非常に高価であり、民間に出回るには時間がかかった。
そこで蔡倫は身近な物を紙ができないかと考えた。
そして樹皮や亜麻、古い布や使われなくなった魚網などに圧をかけたり、磨り潰したり、焼いたり…様々な方法で繊維を取り出す方法を研究した。
しかし出来上がった紙の質は非常に悪く、ザラザラしていて粗く、見栄えも悪い物だった。
これでは売り物にならない。だがすでに大量に作ってしまった…
そこで蔡倫は、ある策に打って出たのである。
蔡倫は人目を引く大通りに倒れ、口からは偽の血を流して死んだふりをした。
そこへやってきた父母と妻は、大声で叫んだ。
「哀れな蔡倫!人生をかけて紙を発明したというのに一向に普及しない。誰も買おうとしない。発明の途中で疲れ果て、ついに黄泉の国に行ってしまった。」
そして蔡倫の遺体の横で火をつけ、蔡倫の紙を燃やし始めた。
すると多くの人が何事かと集まってきた。舞台は整った。
そこで蔡倫はゆっくりと復活し、こう話したのである。
私が黄泉の国への橋を渡ろうとした時、突然沢山の金が空からゆっくり降ってきた。
そのお金には私の名前が書かれていた。それを見ていると一人の鬼が通りかかった。
鬼は言った「金を分けてはくれないか?そうしたら、もう少し長生きできるよう手助けしてやる」
そこで私は金を全部鬼にやった。すると鬼は現世へ帰れる秘密の道を指差した。
そして私はその道を通って、こうして現世へ帰ってきたのだ
この蔡倫の復活劇は瞬く間に広がり、多くの人が彼の紙を買い求めた。こうして蔡倫は大金を手にしたという。
この蔡倫のエピソードが広まったことで、燒紙の風習が生まれ、現代に至っているという。
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