辮髪とは
辮髪(べんぱつ)とは、中国清朝のシンボルと言っても過言ではない。
ドラマや映画で見たことのある人も多いのではないだろうか。
中国清朝の時代に流行した男性の髪型である。流行といっても、現在の流行の概念とは少し違っている。日本の武士の「丁髷 : ちょんまげ」とほぼ同じ概念であり、残した髪をどうするかは日本と中国では違いがある。
清朝を興した満州族が男性に強要した髪型である。つまり清朝時代の中国の男性は必ずやらなければいけない髪形だったのだ。
辮髪は、頭の前半分(頭頂部よりも後ろ)を剃り、後ろは長く伸ばして三つ編みをする。
私たち日本人からすると、なんとも奇妙な髪型である。その感覚は外国人が武士の丁髷を見るのと同じであろう。
外国人は辮髪を「ネズミのシッポ」「ブタのシッポ」「牛のシッポ」という言葉を使って表現している。
清朝の時代の中でも辮髪は微妙に変化がある。これはいわゆる現代の流行にも当てはまるであろう。
清前期は後頭部に残す髪の範囲は少なく、三つ編みは短い。清中期は残す髪の範囲は少し増え、三つ編みは長くなる。清後期は残す神は頭のほとんど半分、三つ編みもそれにつれ長く太くなっている。映画やドラマで最も馴染みのある辮髪のイメージになっている。
このどう見ても奇妙な髪型はどのようにして生まれたのか?
3つの由来
1: 清朝の前は後金の時代であり、その前身は女真族である。
その女真族に「束机能」という英雄がいた。彼はもともと髪がない禿頭であった。
頭頂部から後ろだけに髪があり、後ろを伸ばして束ねていた。そして清朝の創始者はこの特徴ある髪型を(本人は故意にそうしていた訳ではないが)一つのシンボルにして団結力を高めようとした。そしてこの英雄を記念するものとして後の世代に伝えたという。
2: 満族の祖先は騎馬民族で狩りを生業としていた。狩の最中に髪が木や枝にひっかかったり、視界を遮ることを避けるために頭の前半分の髪を剃ったという。
3: 彼らには薩満教と呼ばれる宗教があった。その教えの中に「頭頂部は天に最も近い部分であり、そこに魂が住む場所である」という教えがあり、非常に神聖な場所とされていた。
辮髪の導入
満州人が中国を治めることになり、1621年、彼らは全ての男性に「辮髪」を強要した。
1644年にはかなり強制力の高い命令が出された。それは「髪を剃らなければ命はない」というものであった。
満州人にとってこの長く伸ばして編んだ三つ編みは、とても意味のあるものだった。
もし本人が戦死した場合、遺体はその場に埋葬するが三つ編みの髪は持ち帰って名前を付して埋葬されたという。その髪がまるでその者の魂かのような扱いであった。
ところが漢族の男性にとっては、辮髪は非常に受け入れ難いものであった。
なぜなら漢人にとっては髪の毛も父母から賜ったものだからだ。「父母から賜った大切なものをどうして剃る事ができようか」という考え方であった。
当時はこのようなスローガンまで生まれた。
「留頭不留髮,留髮不留頭」(頭を残したいなら髪を残すな。髪を残すなら頭は残せない)
つまり「命を守りたいなら髪を剃れ、髪を守りたいなら命を落とすことになる」というものだった。
辮髪は、清朝に忠誠を誓い、満州人と同化するということを表す印となった。
この頭を巡っては反乱が起き、なんと数十万人の命が奪われたという。
このなんとも奇妙な髪型には多くの意味があり、そして多くの物語があったのである。
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