三星堆遺跡最大の謎
三星堆遺跡(さんせいたいいせき)とは、中国の四川省広漢市、三星堆の鴨子河付近で発見された文化遺跡である。
その出土品の多さと奇妙さに魅了される専門家や歴史ファンは多い。
ルーツすら特定できないその不可思議な出土品から、「宇宙人が降りてきて、文化を築いていたのではないか?」と言われるほどだ。
「宇宙人文化」と言われる理由は一つだけではない。
遺物が発掘される場所は、いわゆる宗教儀式、崇拝のために用いられた場所のみなのである。一般的な他の遺跡にも、もちろん宗教儀式で使われていた祭壇などは含まれている。だが、大部分は人々の生活区なのである。
通常の遺跡では「人々は何を生業とし、何を食べ、どのようなコミニュティーを作っていたのか」などを垣間見ることができるのだ。
生活で用いていた様々なもの(例えば、狩に使っていた武器や食事に使っていた器、衣服や布団など)からも当時の人々がどのような技術を持ち、何を重視していたかなど、多くのことがわかる。
また、墓の発掘により人骨を研究すると、当時の人々がどのような姿をしていたのかも憶測可能となる。
ところが三星堆遺跡では、宗教儀式に使われるものばかりが出土し、専門家たちは「人の気配がない」と首を捻っている。
人骨すら出土していなかったのだ。
彼らは宇宙から降りてきて、また宇宙に帰ったのだろうか?
まるで人々が蒸発してしまったかのように住んだ形跡がなかったのだ。非常に奇妙である。
ついに人骨発見!?
1983年から始まった三星堆遺跡。その発見は城壁から始まった。
初めに北側の壁が発見され、ついで東、西、南と相次いで発見されることで大体の大きさがわかった。
そして、発掘開始から長い時を経て、ついに「第一村人」が発見されたのである。
発見されたのは既に発掘が終わった場所で、なんと長い間見過ごされていたのである。
最初に発見された北側の城壁に位置する場所で、そこには3つの墓坑があった。
面積はさほど大きくなく、幅は1.5メートル、深さは2メートルほどの土坑であった。
その中の一つに、遺骨が埋葬されていたのだ。
中に眠っていたのは?
中に眠っていたのは、一体の遺骨であった。
身長は約160センチほど。手指から踵の骨に至るまで保存状態は非常に良かった。
研究室で調査した結果、新石器時代の人骨であることが判明した。
その年代は今から5000年ほど前の、古蜀国時代の人物であった。
※古蜀国とは古代中国の蜀にあった国。詳しくは下記参照
https://kusanomido.com/study/history/chinese/77475/#i-2
そしてその遺骨の骨盤の大きさから、女性と断定された。
三星堆遺跡の「第一村人」とはどんな人物だったのか
しかし、この遺骨には奇妙なことがいくつかあった。
通常、遺跡から発見された墓からは、必ずといっていいほど大量の埋葬品が出土する。遺体と一緒に埋められた大量の宝物が発掘されるのだ。
身分が高ければ高いほど、高価な物品が共に埋葬される。それが盗掘に遭うというのは有名な話だ。
ところが、この遺体の周りは非常に綺麗に片付いており、何の埋葬品も見当たらなかったのである。
上記画像のように、墓の中にポツンと埋葬されている。
これでは、この女性がどのような人物だったのか知るよしもない。
元々埋葬品がなかったのか、朽ちやすい素材でできた埋蔵品が共に埋葬されていたのか?
しかし、何かが朽ちたような形跡すら見当たらなかったのだ。
さらにその人骨についても調べが進んだが、この遺体の人物の体は、いたって「普通」であったという。
三星堆遺跡では「縦目人」と呼ばれる不思議な青銅巨大仮面も発掘されているが、この仮面のような不思議な骨格でもなかった。
遺物は不思議なものばかりなうえ、唯一発見された人骨も一切の埋葬品が見当たらず、研究が進めば進むほど謎が深まる形となっている。
参考 : 四川廣漢三星堆發現疑似古城牆及人骨 | 每日頭條
関連記事 :
【古代中国の宇宙人遺跡?】 三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは
【古代中国の謎の像】 大立人は一体何を持っていたのか? 「三星堆遺跡」
この記事へのコメントはありません。