中国史

【古代中国の宇宙人遺跡?】 三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは

三星堆遺跡とは

三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは

画像 : 貼金銅人頭像 金箔でできた金面を被せた青銅人頭像。wiki c momo

三星堆遺跡(さんせいたいいせき)と検索をかけると、面白い結果が出てくる。

多くの人が「三星堆遺跡 宇宙人」とか「三星堆遺跡 外星人」といったキーワードで検索しているのである。理由はこの三星堆遺跡から出土した遺跡の多くが、奇妙な姿の像や謎の仮面だったからである。

大きく目が飛び出ているものや、異常に大きな耳や鼻を持つ像たちは、この世のものとは思えない異様な印象を与えている。これまでの中国遺跡から出土した物品のイメージとは一線を画しており、なんとも特異なものばかりだったのだ。

そしてそのルーツも年代も謎に包まれており「三星堆遺跡は宇宙人文化ではないか」と考える人がいてもおかしくはない。

では、三星堆遺跡とは一体どのような遺跡なのだろうか?

三星堆遺跡は、中国の四川省広漢市、三星堆の鴨子河付近で発見された文化遺跡である。
今からおよそ3000年から5000年前の古蜀文化の遺跡とされ、新石器時代から春秋時代まで、およそ2000年ほどの期間存在していたと推定されている。

三星堆遺跡は、20世紀最大の偉大な発見として世界を驚かせた。

発掘調査の度に、青銅器や黄金の装飾品など数々の物品が出土しているが、その技術の高さと作りの精巧さに考古学者たちは驚きをみせている。

その素晴らしい出土品の数々については後ほど取り上げることにして、まずは2000年もの間続いた古蜀文化について見てみよう。

古蜀の最初の王は「目が縦」だった?

三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは

画像 : 初期の戦国列国 wiki c Yeu Ninje

古蜀(こしょく)とは古代の蜀にあった国である。
蜀は三国志の時代で言えば、劉備元徳が治めた国といえばイメージしやすいかもしれない。そのはるか昔にあった国である。

東晋時代の地誌『華陽国志』にはその歴史が詳しく記されているが、司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍・司馬錯(しばさく)に滅ぼされたということが記されるのみとなっている。

ここでは古蜀の歴代王について解説しよう。

①第一代蜀王 蚕叢(さんそう)

蚕叢(さんそう)は、古蜀を建国したとされる人物である。
『華陽国志』には、「周王が衰退してから最初に王を名乗った」と記述がある。

彼は養蚕家であったため、後に神話の神「蚕神」と呼ばれるようになった。

そして『華陽国志』には驚くべき記述が残されている。

「蜀先称王、有蜀侯蚕叢其目縦、始称王」

なんとこの王様・蚕叢(さんそう)は「目が縦」だったとういうのだ。

目が縦と言われてもどういった状態なのかは文字だけではイメージしにくい。そして、あまりに異様な記述なのでこれまでは空想の産物とされてきた。

しかし、この蚕叢を模したとされる仮面が三星堆遺跡から発見されたのである。

三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは

画像 : 蚕叢を模したとされる青銅縦目仮面

まるで目がカニのように前に向かって飛び出しており、これが縦目の由来と考えられている。
『華陽国志』は、この異様な状態を「目が縦」と表現したのだろう。

この異様な特徴と記述が合致することから、この仮面は蚕叢を模したとする説が有力となり、さらに古蜀が現実に存在したと考えられるようになった。

まるで宇宙人のような姿であるが、古代の突飛な神話や言い伝えが後世で事実だったと判明する例も多く、蚕叢は本当にこのような目をしていたのかもしれない。

一部の学者はヨウ素不足を指摘しており、その結果として甲状腺機能亢進症が原因で眼球が突出したのではないかと考えている。

②第二代蜀王 柏灌

彼については記録はほとんど残っていない。彼の氏族は古蜀を550年近く治めたとされている。

③第三代蜀王 魚鳧(魚鷹)

三星堆遺跡から出土した鳥をモチーフとしたものは、彼に因んだものとされる。

有名な「三星堆金杖」の主人は、この魚鳧王であったと推測されている。

三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様とは

画像 : 三星堆金杖

④杜宇

又の名を「望帝」という。彼の最も大きな功績は民に農業を教えたことである。

古蜀は4期あった

調査の結果、この地域の2000年間は、少なくとも4期に分けられることが明らかになっている。
三星堆遺跡が発見されるまで、ただの神話や言い伝えだったものが現実の歴史となったのだ。

第一期(起歩期)

紀元前2800年から2000年、中原地区(黄河下流域にある平原で中華文化の発祥地)でいう新石器時代。

第二期、第三期(全盛期)

紀元前2000年から1200年 中原地区でいう夏、商時代。
この時代に青銅器の製造が盛んになり、多くの青銅器が出土している。

第四期(衰退期)

紀元前1200年から600年、中原地区でいう商末から春秋早期。

終わりに

1986年に発掘が始まった三星堆遺跡は、宗教の儀式を行う祭壇の調査から始まった。
そして、その出土品は年代別に特徴があることも判明した。

この三星堆遺跡は、今も大規模な発掘調査が行われているが、まだまだ多くの謎が多く残っている。

参考 : 『史記』『華陽国志』三星堆出土的青铜立人像 | 新华网

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 中国史上唯一の女帝・則天武后はなぜ女帝になれたのか?
  2. 始皇帝と織田信長 【改革者の知られざる運命】
  3. 世界で最も多くの人を殺戮した女性!? 毛沢東の妻・江青
  4. 実は恐ろしかった饅頭(まんじゅう)の起源
  5. 中国人はなぜ種を食べるのが好きなのか? 【明の皇帝はスイカの種が…
  6. 毛沢東 〜中華統一の英雄にして最悪の独裁者
  7. 冒頓単于のエピソード「そこまでやるか!父を倒して下剋上を果たした…
  8. 「清朝の宮女への恐ろしい刑罰」 站籠 ~首だけで体重を支え続ける…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【ブギウギ】 笠置シヅ子に届いた脅迫状 「娘を殺す」 誘拐未遂事件の背景とは?

『東京ブギウギ』の大ヒットでトップスターの地位を獲得し、高額納税者となった笠置シヅ子(当時は笠置シズ…

戦国武将の影武者たち 【平将門、武田信玄、徳川家康、筒井順昭】

下克上や暗殺、さらには身内による謀反なども当然のように行われていた戦国時代。各国の武将たちは…

なんで男性ってみんな三国志が好きなの?江戸時代から日本で大流行したその魅力を紹介!

いつぞや、電車の中で洩れ聞こえた会話。「先週の合コンで『三国志(さんごくし)で誰が好き?』って訊…

まさに無償の愛…源頼朝の流人時代を支え続けたスポンサーたち【鎌倉殿の13人】

時は平安・永暦元年(1160年)3月11日。平治の乱に敗れ去った父・源義朝(みなもとの よし…

曹操を悩ませた魏の後継者選び【万能な曹丕か天才の曹植か】

魏の世継ぎ問題三国志ではいくつもの世継ぎ争いが起きて勢力を混乱、更には滅亡に陥れている。…

アーカイブ

PAGE TOP