近代中国

『張作霖爆殺事件』の真犯人は誰か?関東軍主犯説とソ連関与説の真相に迫る

張作霖爆殺事件とは?

画像:張作霖爆殺事件が起きた現場の写真 public domain

1928年6月4日、満州の軍閥指導者・張作霖(ちょう さくりん)を乗せた特別列車が、奉天(現在の瀋陽)近郊の鉄橋で爆破されました。

貴賓車両は完全に破壊され、張作霖は重傷を負い死亡します。

画像 : 張作霖 public domain

この衝撃的な暗殺事件は、当時の日中関係を決める歴史的な転換点となりました。

張作霖の息子・張学良が中国国民政府への接近を選んだことで、結果として日本の満州支配は頓挫します。

さらに事件の処理をめぐる昭和天皇と陸軍の対立は、田中義一内閣を総辞職に追い込み、軍部の政治的影響力を増大させる契機となりました。

そして3年後の満州事変、日中戦争へとつながる起点となったのです。

当時の日本では検閲により「満州某重大事件」と呼ばれ、真相は長らく公にされませんでした。

約100年が経過した現在においても、事件の真相をめぐる学術的議論に決着はついておらず、さらに近年公開された新しい史料が従来の通説に新たな疑問を投げかけています。

そこで今回は、通説である「関東軍主犯説」と、近年になり登場した「ソ連関与説」について見ていきたいと思います。

関東軍主犯説の根拠~河本大作による暗殺計画

画像:事件を主導したとされる関東軍参謀の河本大作大佐 public domain

戦後の日本では、関東軍参謀の河本大作大佐が首謀者であるという見方が定説となっています。

その理由として、張作霖が日本の満州権益に対して非協力的になりつつあったことが、排除の決断につながったとされます。

河本大作らはより従順な後継者を立てることで、満州支配を強化しようと考えたという論理です。

暗殺の実行にあたっては、中国国民党の犯行に見せかける偽装工作が準備されました。
しかし工作は極めて杜撰であり、むしろ関東軍の関与を疑わせる結果を招いたと指摘されています。

関東軍犯行説の根拠として、以下の証拠が挙げられてきました。

・現場に置かれた中国人の遺体は重度のアヘン中毒者であり、工作員としては不自然だった
・爆弾には当時の中国では使用されていなかった高性能な黄色火薬が用いられていた
・爆破地点から監視所までを結ぶ電線が、現場にそのまま放置されていた

これらが関東軍の関与を示唆する状況証拠とされてきました。

杜撰な偽装工作は計画性の低さを物語るものとして、関東軍主犯説を補強する論拠となっています。

ソ連関与説の登場~伝説のスパイ・エイティンゴンによる関与

しかし、2005年に出版された『マオ – 誰も知らなかった毛沢東』は、全く異なる見解を提示しました。

同書はソ連崩壊後に公開された機密資料を根拠として、事件の黒幕をソ連とする説を展開しています。

ソ連関与説の重要なポイントは、実際の暗殺実行を指揮したのがナウム・エイティンゴンというソ連のスパイだったという主張にあります。

エイティンゴンはスターリンの政敵だったトロツキーの暗殺を成功させた人物として知られており、諜報活動のエキスパートでした。

画像:張作霖爆殺事件の関与が疑われているナウム・エイティンゴン public domain

同書によると、暗殺はスターリンの命令で計画されました。

エイティンゴンは日本軍(関東軍)にエージェントを忍び込ませ、あくまで日本の主導だったと見せかけることで、日中間の対立を激化させる狙いがありました。

スターリンの戦略は、日中両国を争わせることで漁夫の利を得るというものでした。

爆殺事件後、実際に日中関係は悪化の一途をたどり、最終的には日中戦争へと発展します。

ただし推測と因果関係の証明は別問題であり、今後も慎重な検証が求められるでしょう。

謎の人物・伊藤謙二郎~ソ連とつながっていた?

ソ連関与説を裏付けるのが、伊藤謙二郎という謎の人物です。

表向きは満州で石灰商を営む「満州浪人」とされていましたが、事件をめぐる彼の行動には不可解な点が多く残されています。

外務省の調査委員会記録によれば、張作霖の暗殺計画を最初に関東軍へ持ち込んだのは、首謀者とされる河本大作ではなく、この伊藤謙二郎だったとされます。

一介の商人に過ぎない人物が、なぜ軍の最高幹部と接触でき、国家の命運を左右するような重大な提案を行えたのでしょうか。

この不自然さから、伊藤がただの愛国的浪人ではなく、外国勢力と何らかのつながりを持っていたという疑惑が指摘されています。

伊藤についてソ連関与説を支持する研究者は、ソ連が送り込んだエージェントだった可能性を示唆していますが、やはり決定的な証拠は見つかっていません。

今後の課題と展望

画像:張作霖の息子である張学良 public domain

張作霖爆殺事件の研究が直面している最大の課題は、一次史料の決定的な不足です。

関東軍主犯説は主に戦後の回想録や証言に依拠しており、同時代の公式記録は限定的です。

ソ連関与説に関しても、提起された機密資料の解釈をめぐって専門家の間で見解が分かれています。
また同説の提唱者であるユン・チアン氏が歴史学の専門ではないこともあり、学界では慎重な評価が多いのが実情です。

さらに重要な視点として中国側の動向も無視できません。

張学良(張作霖の息子)の回想録をはじめとする中国側史料の再評価も進んでおり、今後は各国の史料を総合的に比較・検討し、多角的な検証が重要になってくるでしょう。

張作霖爆殺事件をめぐる議論は、近代東アジア史の複雑な国際関係を理解する上で重要な意味を持っています。

関東軍主犯説とソ連関与説という二つの仮説は、それぞれ一定の根拠を有しながらも、決定的な証拠を欠いているのが現状です。

新しい史料の発掘と学術的検証の積み重ねによって、事件の全貌がより明らかになることを期待したいと思います。

参考:
ユン チアン、J・ハリデイ(2005)『マオ – 誰も知らなかった毛沢東(上)』(土屋京子 訳)講談社
大澤正道(2008) 『暗殺の世界史:シーザー、坂本龍馬からケネディ、朴正煕まで』PHP研究所
外務省「張作霖爆殺事件調査特別委員会議事録(二)」
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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村上俊樹

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