城,神社寺巡り

【20万基の墓が並ぶ異様な森】なぜ人々は空海のそばで眠りたがったのか

画像 : 高野山の奥之院入口 草の実堂編集部撮影

高野山の奥深く、杉の巨木が立ち並ぶ参道を歩いていると、不思議な感覚に包まれる。

両脇に立ち並ぶのは、数えきれないほどの墓石や供養塔。
その数は、実に二十万基を超えるといわれている。

そこに名を残すのは、皇族や貴族、戦国武将、さらには名もなき庶民まで。

しかも、同じ時代の人々ばかりではない。
かつて敵同士として戦った者たちでさえ、いまは同じ森の中で静かに眠っている。

なぜ、これほど多くの人々が、この場所に墓や供養塔を建てたのだろうか。

その理由は、高野山奥之院に対する特別な信仰にある。
この地の御廟には、弘法大師・空海がいまも永遠の禅定に入り、生き続けていると信じられているのだ。

つまり人々は皆、「空海のそばで眠りたい」と願ったのだ。

今回は、日本最大級ともいわれる聖地、高野山奥之院の参道に立ち並ぶ墓石群について見ていこう。

日本史上稀に見るスーパースター

画像:空海の肖像画 public domain

空海は、平安時代初期に活躍した僧で、死後に「弘法大師(こうぼうだいし)」の諡号を贈られた人物である。
一般には、「弘法大師空海」として広く知られている。

讃岐国(現在の香川県)の豪族・佐伯氏の出身で、若い頃は官吏を目指して平城京に出た。

しかし、やがて世俗の道を離れ、仏の道に進むことを決意する。
19歳を過ぎた頃から山林修行に入り、「人跡未踏」といわれるような山野を巡りながら、厳しい修行を続けた。

その修行の中で知られているのが、室戸岬(高知県)の御厨人窟(みくろど)での体験である。

空海はこの洞窟にこもり、記憶力や智慧を飛躍的に高めるとされる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修したと伝えられている。

洞窟の中から見えるのは、広がる空と海だけだったという。
昼は一面に広がる青い海と空、夜には満天の星が視界いっぱいに広がる、まさに自然と向き合うための空間であった。

後世の伝承では、明け方、空に輝く明星が口の中に飛び込んできたとも語られている。
この体験によって、空海は大いなる悟りを得たという。

こうした体験と結びつけて、「空」と「海」をあわせて「空海」と名乗ったとされる。

その後、空海は留学僧として唐へ渡り、長安の青龍寺で密教の高僧・恵果から教えを受け、密教の奥義を授かった。

帰国後は真言密教を広め、高野山を開創し、真言密教の道場を築いた。

空海の活動は、宗教だけにとどまらず、教育や文化の振興、さらには土木事業などにも関わり、日本文化の発展に大きな影響を与えた。

まさに「日本史上、稀に見るスーパースター」と呼ぶにふさわしい人物であったといえるだろう。

弘法大師空海の教えを五感で感じる聖域

画像:金堂。壇上伽藍にある高野山の総本堂(撮影:高野晃彰)

宗教都市・高野山の中心をなす壇上伽藍から歩くこと約20分。

やがて奥之院参道の入口である、「一の橋」にたどり着く。

そこから弘法大師御廟まで、およそ2km。杉の巨木が並ぶ参道とその一帯こそ、壇上伽藍と並ぶ高野山二大聖地の一つ、奥之院である。

816年(弘仁7年)、空海は修行の道場として高野山の地を嵯峨天皇に願い出て、下賜を受けた。

818年(弘仁9年)には初めて高野山に登り、翌年から山上に結界を設けて、伽藍の建立に着手する。

こうして開かれた高野山は、やがて真言密教の中心地として発展していった。
そして835年(承和2年)3月21日、空海は高野山で永遠の禅定に入った。

後世の伝承では、入定の数日前に弟子たちを集め、「自分は21日に永遠の禅定に入る」と語ったとも伝えられている。

現在、その御廟が置かれている場所が奥之院なのである。

画像:奥の院。突き当りが燈籠堂でその奥に弘法大師御廟がある(撮影:高野晃彰)

空海が入ったとされる「禅定」とは、永遠に続く深い瞑想の境地だという。

そのため高野山奥之院では、いまも弘法大師空海が御廟で瞑想を続け、生き続けていると信じられている。

空海は、自然の中での修行を重んじた僧でもあった。

次の漢詩は、そうした境地をよく表すものとして知られている。

「閑林に独坐す 草堂の暁
三宝の声 一鳥に聞こゆ
一鳥 声有り 人 心有り
声心 雲水 倶に了了たり」

これは空海の詩文を集めた『性霊集』に収められる、漢詩の一節である。

静かな林の中で鳥の声を聞き、自然と心が一つになっていく境地を詠んだものといわれている。

こうした思想を思えば、空海が最終的にこの地で入定したことも、決して偶然ではなかったのかもしれない。

身分を問わず何者をも大らかに受け入れる

画像:昼なお暗い奥の院参道(撮影:高野晃彰)

樹齢数百年といわれる杉の古木、およそ1800本に覆われた奥之院参道。

その森の中には、二十万基を超える墓石や供養塔が広がり、厳粛で神秘的な空気が漂っている。
そこに名を連ねるのは、時代も身分も宗派も異なる人々である。

たとえば、織田信長や豊臣秀吉の供養塔。

そして彼らと戦い敗れた明智光秀や石田三成の墓碑もある。
さらに、浄土宗を開いた法然の供養塔や、浄土真宗の開祖親鸞の霊屋まで並んでいる。

かつて戦場で刃を交えた武将たちも、宗派の異なる僧侶たちも、いまは同じ森の中で静かに弔われている。
敵も味方も、宗派も関係なく並ぶこの光景こそ、高野山奥之院ならではのものだろう。

こうして奥之院は、日本史のさまざまな人物が眠る、巨大な供養の場となったのである。

画像:明智光秀墓所(撮影:高野晃彰)

とりわけ戦国武将の墓所は、参道を歩く人々の目を引く。

奥之院には、およそ110家の大名家の墓や供養塔があり、その数は全国大名の約40%にも及ぶという。
これらの多くは、江戸時代初期に造立されたものだ。

徳川家康が高野山を菩提所とした影響もあり、諸大名がこぞって墓石や供養塔を建立したためである。

もっとも、高野山に納骨する風習そのものは、すでに鎌倉時代には始まっていたと考えられている。
石造の五輪塔が墓として広く用いられるようになったのは、室町時代末期のことであった。

つまり、「高野山で眠りたい」と願ったのは、武将や大名だけではない。

多くの庶民もまた、素朴な一石五輪塔を奉納し、その願いを託したのである。

画像:奥の院参道にたつ大杉(撮影:高野晃彰)

実際に奥之院参道を歩くと、弘法大師空海への信仰と、すべてを包み込むような真言密教の精神がいまも静かに息づいているのを感じる。

ここでは皇族も貴族も、大名も庶民も、生前の身分や敵味方は関係ない。

ただ一つ「弘法大師空海のそばで眠りたい」。

その願いだけが長い年月をかけてこの森に集まってきたのである。

奥之院を訪れたとき、そんな高野山の懐の深さを、ぜひ感じてみてほしい。

※参考文献
熊野巡礼部(高野晃彰)著 『とっておきの聖地巡礼 世界遺産「熊野古道」 歩いて楽しむ南紀の旅』メイツユニバーサルコンテンツ
文/写真:高野晃彰 編集/草の実堂編集部

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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