城,神社寺巡り

「樹齢700年の藤はいまも現存」楠木正成の愛馬を救ったと伝わる腰神神社【富田林市】

藤の花が美しく咲く季節になりましたね。

大阪府富田林市嬉(うれし)にある腰神神社では、よく見かける藤棚ではなく、樹齢700年と言われている藤の大木があります。

今年も美しい藤の花を咲かせていることが確認できました。

画像:腰神神社の樹齢七百年という藤の大木 ※筆者撮影

(2026年4月撮影)

樹齢700年とされる藤の大木は、遠くからでないと全容がわからないほど巨大なのです。
まるで木そのものが大きな森のようになっています。

その中でも花が咲いているのが見えるのは、左側の枝です。

画像:腰神神社の藤の大木の花 ※筆者撮影

(2026年4月撮影)

さて、そんな腰神神社には、鎌倉末期から南北朝時代に活躍した武将で、鎌倉幕府の大軍に勝ち、幕府滅亡に繋いだ楠木正成と愛馬に関するエピソードがあります。

楠木正成の馬の腰を癒した

画像:腰神神社の絵 ※筆者撮影

大楠公こと楠木正成は、大阪府南河内地域にある大阪唯一の村、千早赤阪村で生まれました。

鎌倉幕府末期には金剛山の麓に千早城を築き、鎌倉幕府十万もの大軍を前に数千の兵で籠城するという戦いをしました。

そして数カ月の間、落城することなく持ちこたえ、大軍がその千早城にひきつけられている間に後醍醐天皇らの反幕府側の勢力が逆襲した結果、鎌倉幕府滅亡に繋がったと「太平記」などで記述されています。

ちなみに描かれている千早丸の絵は1929(昭和4)年に神社に奉納されたものがモチーフです。

今年3月にて額を外して撮影したうえで戸袋(とぶくろ:雨戸を収納しておくために、縁側や窓の敷居の端に作られた箱状の造作物)に印刷したそうです。

画像:腰神神社の看板 ※筆者撮影

楠木正成については、生誕地の千早赤阪村と南河内周辺で、今もさまざまな伝承が残っています。

その中で十万の大軍を相手に戦った名将・正成が、ある時、困り果てて神にすがったという驚くべきエピソードを持っているのが大阪府富田林市嬉(うれし)にある腰神神社です。

画像:皇居外苑の楠木正成像 ※筆者撮影

(皇居外苑にある楠木正成像。またがっている馬が千早丸)

神社境内にある説明板によると、1334(建武元)年、観心寺(現 河内長野市)にいた楠木正成が後醍醐天皇の命により鎌倉幕府討伐に向かっている途中のこと。

愛馬の「千早丸」の腰が突然立たなくなり、その場で動けなくなってしまったのです。

画像:腰神神社の藤の大木の根元 ※筆者撮影

(樹齢約700年と言われている藤の木に千早丸をつないだ)

その場所が、まさに腰神神社でのことでした。
ここは、大化の改新のころからあった古く由緒のある神社です。

困り果てた正成ですが、神社の境内にあった藤の木に千早丸を繋いで、必至となってお祈りをします。

すると驚いたことに腰が治り、すぐに馬が動けるようになったのです。

画像:腰神神社大祭案内 ※筆者撮影

(毎年4月26日は腰神神社の大祭)

とても喜んだ正成は、神社に勝利の祈願をしたうえで、愛馬の腰を治したということでこの神社を嬉村の守護神と定めます。

そして正成は、神社に黄金毘沙門天と楠木家の菊水の御紋をさずけました。

画像:腰神神社の樹齢700年の藤の大弦 ※筆者撮影

こうして千早丸の腰を治したといううわさが広まり、腰に御利益があるという信仰が生まれました。
以降は神社に絵馬が掲げられ、名のある武将たちも参拝するようになったそうです。

もし、千早丸の腰が動かないままだったら、正成は足止めとなったまま。その結果、今とは異なる歴史になっていた可能性も考えられます。

そう考えると、この腰神神社でのエピソードはとても興味深いものだと言えます。

腰神神社は大化の改新の頃に村に来た偉人を祀っている

画像:腰神神社の説明板 ※筆者撮影

腰神神社境内の説明板では、中世の楠木正成の時代よりもはるか昔の創建伝承があり、それによれば大化の改新の頃にまで遡ります。

神社のある嬉村に、紀伊国の豪族が移り住んだことに由来するとのこと。

画像:紀見峠 ※筆者撮影

(河内と紀伊の国境・紀見峠)

豪族の名前は簑島宿禰(みのしまのすくね)です。

宿禰とは、古代の日本で有力の貴人に与えられた尊称です。簑島宿禰は紀伊と河内の間を隔てる紀見峠を越え、南河内に移り住みます。

そして大和の豪族の娘、玉藻姫(たまもひめ)を側室に迎えたとのこと。

画像:腰神神社拝殿 ※筆者撮影

簑島宿禰は南河内地域で文武を広めたという功績を残しました。

そのことが称えられ腰神神社に祀られました。

腰神神社の御神体は山の中腹にある巨岩

画像:金胎寺山山頂 ※筆者撮影

腰神神社は、神社の背後にある金胎寺山(城山)の中腹にある巨岩を御神体としています。

画像:腰神神社境内の様子 ※筆者撮影

祀られている祭神は簑島宿禰の他、八大龍王(はちだいりゅうおう)、猿田彦尊(さるたひこのみこと)、国光大明神(くにみつだいみょうじん)で、境内にそれぞれの神々のために、祠や石を祀っています。

そして祀られている境内の奥は金胎寺山の山複で、木々に隠れた場所に腰神神社の御神体とされる巨石があります。

画像:腰神神社の力石 ※筆者撮影

そんな腰神神社は石とのゆかりがあることから境内に力石が置いてあり、今も60kg~120kgの重さの石が置いてあります。昔の若者がこの石を持ち上げて力を競い合ったそうです。

今は住宅街の中にひっそりたたずむ腰神神社と藤の大木、古代・中世と様々なエピソードを今に伝えています。

画像:腰神神社境内 ※筆者撮影

腰神神社
住所:大阪府富田林市嬉62番地
アクセス:近鉄長野線 汐ノ宮駅下車

参考文献:『太平記』『現地の説明板』
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部

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歴史・地域文筆家。国内外問わず歴史が好きなことから様々な時代の歴史の執筆を手掛け、楠木正成や五代友厚などを取り上げた小説の電子書籍を出版している。
2021年に大阪府河内長野市に移住。同年9月から2026年3月まで「奥河内から情報発信」という名でYahoo!ニュースエキスパート地域(河内長野市など)を担当。2026年1月からは自サイト「南河内ニュース」を立ち上げ、主に南河内地域の知られざる、また埋もれた歴史を自ら歩き回って掘り起こしを行いながら、歴史を知らない人でもわかりやすい文章の執筆に心がけている。
知る人ぞ知る南河内ゆかりの人物の歴史小説のコンテストにも何度か応募し最終審査近くまでの実績あり。

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