江戸時代

寺がギャンブルの胴元だった?江戸時代の幕府公認宝くじ「富くじ」とは

江戸時代、人々が一攫千金の夢を託したものに「富くじ」がありました。

現代の宝くじに近いものですが、その売り場となったのは、意外にも寺社の境内でした。

朝には本堂で読経していた住職が、昼になると境内に「大当たり興行」の看板を掲げ、富くじの胴元になる。今の感覚でいえば、寺社が幕府公認のギャンブルを取り仕切っているようなものです。

信仰の場と賭け事は、本来なら遠くかけ離れているようにも見えますが、江戸の庶民は大きな違和感を抱きませんでした。
寺社の富くじは、幕府のお墨付きと仏のご利益が一つになった商品だったからです。

「当たりますように」と手を合わせ、そのまま境内でくじを買う。江戸の寺社では、祈りと射幸心がごく自然に隣り合っていたのです。

当選日は大盛り上がり

画像:歌川広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』(1856年)。「江戸の三富」のひとつ、湯島天神。public domain

富くじの抽選は「錐突き(きりつき)」と呼ばれていました。

番号を書いた木札を大きな箱へ入れ、僧が振り下ろした錐に突き刺さった札の番号が当たりです。

「谷中感応寺、湯島天神、目黒不動」の三寺社の富くじ興行は「江戸の三富」と呼ばれ、抽選の日ともなれば境内は朝早くから人で埋まりました。

札を買いに来る者、当選番号を確かめに来る者、他人の一喜一憂を肴に酒を飲む野次馬たち。
門前には茶屋や屋台も並び、境内は祭りのような熱気に包まれていたのです。

富くじはなぜ生まれたか

画像 : 萬々両札のつき留 public domain

かつて江戸初期には、後の富くじにつながる「銭富」と呼ばれる小規模なくじ興行が、寺社や町内で行われていました。
しかし、流行が過熱すると幕府はこれを賭博の一種とみなし、たびたび禁じるようになります。

潮目が変わったのは、元禄13年(1700年)頃でした。
谷中感応寺が、伽藍の修復費を賄うために富くじ興行を願い出て、幕府から許可を得たのです。これがやがて広がる幕府公認の富くじの先駆けとなります。

当初はあくまでも例外措置に近いものでしたが、享保15年(1730年)、八代将軍・徳川吉宗のもとで、富くじは「御免富(ごめんとみ)」として制度化されます。寺社奉行の許可を得た興行に限り、賭博禁令の例外として認められたのです。

なぜ賭博を禁じる幕府が、その抜け道を自ら認めたのでしょうか。

背景にあったのは、当時の幕府財政の苦しさでした。米価の変動や相次ぐ災害によって財政再建に追われるなか、寺社の修復費まで丸抱えする余力はなかったのです。

しかし寺社は信仰の場であると同時に、幕府の宗教統制を支える拠点でもあります。
広い境内は火除地として都市防災にも組み込まれており、由緒ある寺社を荒れるまま放置するわけにもいきません。

「賭博は禁じる。だが、寺社修復のためなら許す」

こうして幕府は、禁じたはずの賭け事を自ら管理する方向へと進んでいったのです。

画像 : 八代将軍・徳川吉宗。財政難のなか寺社修復費の自己調達手段として富くじ興行を制度化した。public domain

千両の重み

御免富の当選金額は興行によって幅がありましたが、最高位の「千両富」には、その名の通り千両が用意されていました。

現代価格に換算することは難しいものの、千両は一億円を超える規模に相当するともいわれています
大工や職人の年収が十両台から二十両ほどだったことを考えれば、一等賞金は数十年分の稼ぎでした。

しかも手数料や寺社への上納分を差し引いても、当選者の手元には七割ほどが残ったといいます。

身分制に縛られた江戸社会では、米屋の息子は米屋に、大工の息子は大工になるのが当たり前でしたが、富くじに当たれば店を広げ、家を構え、昨日までとは違う豊かさを手にすることはできました。

江戸の庶民にとって富くじは、現代の宝くじ同様に大きな夢だったのです。

画像:仏の膝元で、錐が一本振り下ろされる。江戸の富くじは、祈りと射幸心が同居する寺社の一大興行だった。イメージ

消えた富くじは、形を変えて戻ってきた

しかし天保13年(1842年)に富くじ(御免富)は停止され、明治元年(1868年)になると、新政府は太政官布告によって富くじを全面的に禁じました。

名目は「射幸心を煽る悪習」、つまり「当たれば大儲けできるという欲望をかき立てるもの」として禁止されたのです。
さらに神仏分離令と廃仏毀釈の流れを受けて、寺社の経済基盤は大きく揺らぎ、富くじを支えていた寺社興行の土台も失われていきました。

ですが昭和20年7月、太平洋戦争の末期に日本政府は「勝札」という名のくじを発行します。

その目的は軍事費の補填で、抽選日は8月25日でした。
すでに敗戦を迎えたあとに当選番号が発表されたため、人々はこれを「負札」と呼びました。

同年10月、政府は改めて「宝籤(たからくじ)」を発行します。
今度の名目は、戦後の激しいインフレを抑えるために人々の購買力を吸収することでした。

金を集めたい権力と、一攫千金を夢見る人びと。江戸の寺社で振り下ろされた一本の錐は、名前を変えながらも現代の宝くじへと続いています。

参考文献 :
滝口正哉『江戸の社会と御免富——富くじ興行と寺社』岩田書院、2009年
総務省『宝くじ問題検討会報告書』宝くじ問題検討会、2010年 他
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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