世界史

「ロボトミー手術」で人生を奪われたケネディ大統領の姉…名門一家が隠した暗部

華やかなケネディ家で育った長女ローズマリー

画像 : 1938年7月ケネディ家の集合写真。ローズマリー・ケネディは後列右から2人目、ジョン・F・ケネディの左隣に立っている。 Dorothy Wilding Public domain

アメリカ史を代表する名門一家といえば、ケネディ家が有名である。

大統領ジョン・F・ケネディや、弟のロバート・ケネディ、エドワード・ケネディらをはじめ、この一家はアメリカ政界に大きな足跡を残してきた。

しかし、その華やかな歴史の裏には、長く表立って語られなかった家族の出来事がある。
その中心にいたのが、ジョン・F・ケネディの姉ローズマリー・ケネディだった。

ローズマリーは1918年、ジョセフ・P・ケネディとローズ・フィッツジェラルド夫妻の第3子・長女として生まれた。名門ケネディ家の娘として育ち、幼いころから家族とともに公の場に姿を見せている。
1938年には、駐英大使に任命された父に伴ってイギリスへ渡り、ロンドンでは宮廷デビューも果たした。

ただその一方で、ローズマリーには幼いころから発達の遅れや学習面での困難があったとされる。家族は彼女に家庭教師をつけ、修道院学校などでも学ばせたが、成長するにつれて周囲との違いはしだいに隠しきれなくなっていった。

彼女は名門一家の長女として表舞台に立ちながら、家の内側では「期待通りには育たない娘」として見られるようになっていったのである。

父が決断した1941年のロボトミー手術

画像 : ローズマリー・ケネディ 1931年9月4日 Richard Sears Public domain

1930年代の終わりから1940年ごろにかけて、ローズマリーの不安定さは家族にとって大きな悩みになっていった。

妹ユーニスの回想によれば、イギリスから帰国後のローズマリーは以前のような落ち着きを失い、感情の起伏が激しくなっていたという。修道院の学校を抜け出すこともあり、家族、とくに父ジョセフはその行動を深刻に受け止めていた。

当時のアメリカでは、脳の前頭葉を切離して精神症状の改善を図る「ロボトミー手術」が、新しい治療法として注目を集め始めていた。
のちに危険性が広く知られるこの手術も、1940年代初めには一部の医師や家族から、手の打ちようのない状態を落ち着かせる方法として期待されていたのである。

1941年、23歳になっていたローズマリーに対し、父ジョセフ・P・ケネディはロボトミー手術を受けさせる決断を下した。
後の証言によれば、母ローズはこの手術について事前に知らされていなかったという。
手術後の状況やロボトミーを受けた事実も長く公には語られなかった。

そこには「娘を穏やかにさせたい」という願いと「一族の名声を損ないたくない」という思惑が重なっていたのかもしれない。

だがその選択は、ローズマリーの人生を取り戻せない形で変えてしまうことになる。

手術が奪った人生と、長く隠された真実

画像 : ロボトミー手術を受ける患者のX線写真を確認している様子。 Alf van Beem CC BY-SA 4.0

1941年のロボトミー手術は、ローズマリーの人生を決定的に変えた。

ロボトミー手術は、脳の前頭前野と他の領域を結ぶ神経経路を切断し、感情や行動の変化を引き起こそうとする狙いがあった。
興奮や不安定な振る舞いを抑えることが目的だったが、実際にはその人の言葉、感情、自発性など日常生活に深刻な影響を及ぼす危険も指摘されていた。

ローズマリーの手術には、当時ロボトミーの普及を進めていた精神科医ウォルター・フリーマンと、脳外科医ジェームズ・ワッツが関わった。
後年の証言によれば、手術中、ワッツが処置を進める一方で、フリーマンはローズマリーに祈りを唱えさせたり、歌を歌わせたり、数を数えさせたりしながら反応を見ていたという。
そして言葉が不明瞭になったところで、処置は止められたとされる。

しかし、手術後のローズマリーに残った影響はあまりにも大きかった。
彼女は言葉をはっきり話すことが難しくなり、歩くことや日常生活を送ることにも大きな支障が出た。自分の意思をうまく伝えることもできなくなり、周囲の助けなしに暮らすことは困難になってしまったのだ。

家族が求めたのは、娘を穏やかにさせることだった。
しかしその結果、彼女は若い女性として歩むはずだった将来の多くを失ってしまった。

ローズマリーは家族のもとを離れ、まずニューヨーク市の北方にあった私立精神科施設クレイグ・ハウスに入れられた。
1949年には、ウィスコンシン州ジェファーソンにあるカトリック系の福祉施設セント・コレッタへ移される。

手術前のローズマリーは情緒の不安定さを抱えながらも、家族に守られ、外の世界とつながっていた。
残された日記には、舞踏会やコンサートに出かけ、ドレスや友人との交流を楽しむ様子も記されている。そこには、名門一家の一員として人前に立つだけでなく、同世代の若い女性と同じように日々を楽しもうとする姿があった。

だが手術後、華やかなケネディ家の長女だったローズマリーは、家族から離れた施設で長い年月を過ごすことになったのである。

その後、ケネディ家が政治の表舞台で注目を集めていく一方で、ローズマリーは人々の視界から遠ざかっていった。

彼女はその後もセント・コレッタで暮らし、2005年に86歳で亡くなった。

なぜロボトミーはアメリカで広まったのか

画像 : トロンハイム司法博物館に展示されたロボトミー手術器具(2015年10月) Sillerkiil CC BY-SA 4.0

いまの感覚から見れば、脳にメスを入れて人の感情や行動を変えようとする発想そのものが、きわめて危うく映る。

だが1940年代から50年代にかけてのアメリカでは、ロボトミーは「有望な新しい治療法」として受け入れられていった。

その背景には、当時の精神医療が抱えていた限界があった。
現在のような薬物療法はまだ十分に整っておらず、精神科病院には多くの患者が長期入院していた。家族や医師にとって、興奮や暴力、自傷、強い不安といった症状をどう抑えるかは切実な問題だったのだ。

その中でロボトミーは、手の打ちようがないと見なされた患者を落ち着かせる方法として期待された。
実際、1953年の米医学誌には、1949年末までにアメリカで約1万人がロボトミー、あるいはそれに類する手術が行われたことが記録されている。

この流れを強く後押ししたのが、先述した精神科医ウォルター・フリーマンである。

画像 : 精神科医ウォルター・フリーマン public domain

彼はロボトミーの普及に熱心で、各地を回りながら手術を実演し、その有効性を積極的に宣伝した。
患者の手術前後の写真を用い「荒れていた人が穏やかになった」「扱いやすくなった」といった変化を成功例として示したのである。

しかし感情が平板になり、自発性が失われ、以前のように話したり行動できなくなっても、周囲にとって都合のよい静けさであれば「改善」と見なしてしまった。

とはいえ、ロボトミーの拡大をフリーマン個人の行動だけで説明することはできない。
家族は「問題行動」を抑えたいと望み、病院は患者管理の負担を減らしたいと考え、当時の社会は「普通でない」人を表から遠ざけようとした。
ロボトミーは、そうした不安や排除の空気と結びつきながら拡大していったのである。

その後1950年代以降に薬物療法が広まると、ロボトミーは急速に後退し、精神医学史の負の遺産として語られるようになった。

ローズマリーの悲劇は名門一家の秘話であると同時に、当時のアメリカ社会の暗部を映し出す出来事でもあったのだ。

参考 :
JFK Library, Rosemary Kennedy
Freeman et al., Clinical Evaluation of Prefrontal Lobotomy, JAMA, 1953
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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