三國志

関羽は本当に強かったのか?【活躍のどれが史実でどれが創作なのか】

関羽は演義で最も得をした男?

関羽

関羽雲長

ゲームやドラマに於ける三国志の楽しみは一騎打ちである。(勿論政治も面白いが、ゲームで自分が君主となって内政を行う場合は一つの領地が潤って他の領地を支援出来るようになれば、後は充実した戦力でNPCを滅ぼすだけの「作業ゲー」になりがちである

政策を実行してくれるだけの人材が集まれば後は数の力で国力を潤すだけだが、誰にも頼れない一騎打ちは強い方が勝つという分かりやすさに加え、映像的な迫力もあって特に人の心を掴みやすい。

三国志の一騎打ちで思い浮かぶのは、軍神の異名で今日でも高い人気を誇る関羽である。

トップクラスの武力で他の能力値も高く、装備武器である青龍偃月刀の補正によってゲームでも大活躍の関羽だが、華々しい活躍で多くの読者を魅了する演義とは対照的に正史の記述は乏しく、蜀で重用された武将の一人に過ぎないという印象を受ける。

では、関羽の活躍はどれが史実でどれが創作なのだろうか。

今回は、演義から厳選した関羽名場面と、正史に書かれた歴史の真実を検証する。

軍神に斬られて出世した男

関羽

清代の書物の黄巾の乱、劉備関羽張飛の三人

黄巾の乱で初陣を果たした関羽は敵将の程遠志(架空の人物)を一瞬で葬っているが、あまりの瞬殺ぶりに「軍神の噛ませ犬」にもなっていないため強さが分かりにくい。(ある意味作者の羅貫中が関羽を強くしすぎたともいえる

なお、正史では単純に黄巾の乱で劉備の警護役だったというだけで、どのような活躍をしたかは分からない。

黄巾の乱が消化不良で終わった事もあり、演義序盤で関羽が最も活躍するのが、反董卓連合である。

汜水関の戦いで酒の冷めぬうちに華雄を斬るエピソードは有名であり、猛将と呼ぶに相応しい大暴れをしていた華雄を瞬殺する関羽の強さがようやく読者にも伝わる。(冷静に振り返ると敵を一瞬で葬る関羽の強さは異次元どころか「チート」というレベルなので作者には関羽の強さの設定を間違えていると言いたくなるが、三国志演義はあくまで物語なので作品の粗に疑問を持ってはならない

なお、正史には華雄をメインとした記述は存在せず、孫堅伝に「孫堅軍は陽人の戦いで胡軫の配下武将である華雄を討ち取って晒し首にした」と簡単に書かれるだけの見事なまでの「モブ」扱いである。

正史に於ける実績が皆無であるため華雄がどのような人物だったのか一切不明だが、演義で「軍神に斬られた」という箔が付いた事もあり、ゲームの『三國志』シリーズでは高い武力を誇る頼れる武将として登場する。(ゲーム中の関羽とのイベント発生で強制的に排除されてしまうが、1000人近く武将が登場する中で個人のイベントが与えられる時点で優遇されている

また、コーエーテクモゲームスの看板タイトルの一つである『三國無双』シリーズでは8では、プレイアブルキャラクターとして登場するまで「出世」するなど、華雄は間違いなく演義で得をした武将である。

一方、モブ武将相手とはいえ折角の戦果を奪われた孫堅は「演義の被害者」であり、翌年には史実通り劉表との戦いで戦死してしまう。

数少ない活躍を奪われた挙げ句、いいところなく退場という孫堅の冷遇ぶりは、改変によって得をしたはずの関羽ファンでも気の毒に思えてしまう。

ちなみに、この頃の劉備は公孫瓚の元に身を寄せており、演義では公孫瓚の配下として反董卓連合に参加しているが、正史の公孫瓚は反董卓連合に参加しておらず、勿論劉備も関羽も張飛も参戦していない。

ここまで書いたら分かる通り虎牢関の戦いもフィクションであり、演義屈指の名場面である呂布対劉備、関羽、張飛の死闘も正史には一切書かれていない

顔良撃破の真実

関羽

顔良

有名な活躍の大半がフィクションという事もあり、本当に関羽は軍神なのか疑問に思えてくるが、演義と正史でほぼ一致した活躍がある。

曹操との戦いに敗れた劉備は張飛とともに逃げ出すが、単独で下邳を守っていた関羽は取り残されてしまい、曹操に降伏する。

それから程なくして袁紹が南下すると、曹操は袁紹を迎え撃つため兵を出す。

関羽は張遼とともに袁紹軍の顔良の攻撃を命じられると、顔良を討ち取って首を持ち帰った。

演義ではこの後、文醜も関羽が討ち取っているが、こちらは曹操の策によって討ち取られたとシンプルに書かれているだけで、関羽の活躍は確認出来ない。

正史に於いて関羽が討ち取ったほぼ唯一の有名な武将である顔良だが、これにはまた別の説がある。

劉備から関羽を見付けたら自分が袁紹の陣営にいると伝えて欲しいと頼まれた顔良は、関羽の姿を見て声を掛けようとしたが、問答無用に関羽によって討ち取られてしまったとする文献もある。

この記述を100%鵜呑みには出来ないが、仮に顔良が無警戒だったにせよ、袁紹自慢の猛将を討ち取ったのは正史に書かれた関羽の数少ない功績である。

黄忠加入の経緯

関羽

清代の書物に描かれた黄忠

演義で関羽が名勝負を演じた名将として、忘れてならないのが黄忠との一騎打ちである。

赤壁の戦いの後、劉備は荊州を奪うため兵を出す。

長沙攻めを任された関羽を迎え撃ったのが黄忠であり、60過ぎの高齢ながら関羽と互角の戦いを繰り広げる。

そんな中、黄忠の馬が躓いてしまい勝負ありと思われたが、不本意な形での勝利を嫌った関羽は黄忠を見逃す。

それを粋に感じた黄忠は、次の一騎打ちで関羽の兜を射抜いて「借り」を返す。

これでお互い「チャラ」となり、次こそ決着を着けようと意気込む両者だが、長沙大守の韓玄は黄忠が劉備軍と内通していると疑い処刑しようとする。

黄忠は裏切るような人間ではない」と、家臣は黄忠の助命を嘆願するが、韓玄は耳を貸さない。

それに激怒した魏延が韓玄を殺して黄忠を助出し、共に劉備に仕える事になる。

演義に於ける関羽と黄忠の絡みはこれだけで、結局この勝負の決着は着かずじまいだったが、正史ではどのように書かれているのだろうか。

正史では荊州に攻めて来た劉備に長沙大守の韓玄は降伏したと書かれているだけで、目立った犠牲はほぼ出ていない、非常に平和な内容になっている。(なお、関羽は黄忠と同格にされる事を嫌がって「あんな老いぼれと同列にされたくない」と前将軍への就任を拒否しようとしたエピソードは正史でも書かれている

平和だからこそフィクションを挟みやすくなり、韓玄に暴君というキャラ付けがされていたり、正史では知らぬ間に劉備陣営に加わっていた魏延が韓玄に仕えていたりとかなりの改変がされている。

そのためストーリーとして面白くなっているが、演義の改変で最も得をしたのは、正史に於ける劉備の荊州攻めでもやはり目立った戦果を挙げられなかった関羽である。

軍神は最高の食材?


今回は演義に於ける関羽の活躍を抜き出して正史の記述と比較したが、フィクションとして有名な「関羽千里行」も含め、関羽の活躍は大半がフィクションである。(関羽に限らず、正史で一騎打ちが行われたケースはかなり稀である

演義の名場面の多くがフィクションというのはファンとして残念な気持ちになるが、関羽は存命時(もっというと一時的に曹操配下となる前)から「一騎当千」と言われるなど高い評価を受けていた。

関羽の強さの基準となる記述が一切ないため疑問は多々あるが)その評価が後世で関羽が神格化する原動力となったのは間違いなく、拍子抜けするほど大した内容が書かれていないとはいえ、決して「軍神(笑)」と揶揄されるような男ではない。

一方、ストーリーを考える作者の目線から考えると、神格化されている一方で正史ではほとんど活躍していない関羽は、フィクションを挟んで活躍させる余地が誰よりもある、最も使いやすい存在であった。

当時から評価が高く、神格化されているものの生涯の大半が謎に包まれた軍神という、現代風にいえば「属性」や「設定」をこれでもかと言わんばかりに加えられた最高の「食材」を、羅貫中は完璧に料理してくれた。

正史ではいまいち強さが分かりづらい一人の武将が、今日では世界中で軍神と呼ばれ尊敬の対象となっている。

軍神の名を揺るぎないものにしたのは羅貫中の功績の一つであり、作品としての「粗」は目立つが、演義をベースとした作品で描かれる活躍によって、今でも関羽のファンは増え続けている。

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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2021年 8月 09日 5:31pm

    呂布にしろ関羽にしろ張飛にしろ、将軍としては有能だったんだろうけど、演義でエピソードが盛られ過ぎな感じは否めない。個人の武力が正史に記載されている点で曹操の親衛隊長だった典韋と許褚なんかは本当に強かったんだろうと想像します

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