三國志

呂布奉先 嵐を呼び続けた乱世のトリックスター【三国志最強武将】

呂布奉先

※清朝期の呂布の版画

ゲームでも大活躍の三国志最強の武将

三国志最強の武将を議論する時に外せないのが、呂布奉先(りょふほうせん)である。

コーエーテクモゲームスの『三國無双』シリーズではまだ武将が育っていない序盤にチート級の強さで暴れまくり、何も知らずに戦うとほぼ確実に即死させられる呂布にトラウマを与えられたプレーヤーが多数存在する。(無双初心者にとってはある意味ゲーム終盤より難しい虎牢関の戦いは、呂布との戦闘を出来る限り避けて董卓を倒すのがセオリーである

一方、コーエーテクモゲームスのもう一つの看板作品である『三國志』シリーズではVIIを除いて武力が100で固定(所持武器の方天画戟の武力補正によって実際は108)されており、90オーバーを誇る高い統率で『三國無双』同様戦場で暴れ回る。(知力が低いので計略に引っ掛かりやすいが、呂布と真っ向からぶつかるのが得策ではない事は各シリーズ共通である

ゲームでは最強クラスの能力を誇り、正史でも演義でも三国志最強の名に違わぬ強さを見せる呂布だが、歴史に残っている実働期間は9年しかない。

今回は、9年という短い期間に存分に暴れ回り、中国全土に嵐を巻き起こした呂布奉先を紹介する。

丁原から董卓へ寝返る

呂布奉先

※并州の位置 wiki(c)Yu Ninjie

呂布の生年は書かれていないが、出身地である并州(へいしゅう : 現在の内蒙古自治区)はの領土ではあったものの事実上異民族の勢力圏だった。

今も昔も漢民族以外の人種が多い土地であるため「呂布奉先モンゴル人説」などの珍説が生まれるが、本人の出自はともかく、生まれ育った環境によって呂布は漢の重視する儒教的倫理観とは無縁の人生を送る事になる。

呂布が歴史の表舞台に姿を表すのは189年、何進と宦官の権力争いの混乱の隙を突いて董卓が献帝を手に入れたところから始まる。

外戚(母方の親戚)の代表格である大将軍何進は、かねてから丁原(ていげん)と宦官(十常侍)の殲滅を計画していた。

呂布は当初丁原の主簿(会計係)として重用されていたが、その武勇を買われて執金吾(ボディガード)として付き従うようになっていた。

権力争いの行方だが、何進が十常侍によって暗殺された後に十常侍も袁紹によって滅ぼされるという、まさかの共倒れに終わる。

その隙を突いて董卓が献帝を手に入れたのは前述の通りだが、程なくして帝を武器に権力を手にしようとする董卓と、それを阻止しようとする丁原が衝突する。

丁原には呂布という最強のボディガードがいたため簡単には手を出せなかったが、発想の転換で董卓は呂布を味方にしようと画策する。

呂布奉先

呂布、丁原を殺害(三国志演義)

計画通り董卓は呂布を引き入れると、丁原を殺害させて自身の配下にする。(演義では赤兎馬を贈って呂布を寝返らせているが、正史で呂布が赤兎馬に乗っていた記述はあっても董卓から贈られたという記述はないため、丁原を裏切った理由は不明である

呂布を手に入れた董卓は更にやりたい放題の暴政を働き、それが反董卓連合の結成へと繋がる。

董卓を殺して独立

呂布奉先

※董卓

袁紹を盟主とした反董卓連合は、孫堅の活躍によって戦況を優位に進め、董卓は洛陽を焼いて長安へと逃げる。

演義では虎牢関の戦い劉備、関羽、張飛と三対一の状況でも一歩も引かずにやり合うなど三国志最強の名に相応しい強さを見せてくれるが、そもそも劉備達は反董卓連合に参加していないためこれはフィクションである。

この戦いに於ける呂布の記述だが、陽人の戦いで孫堅軍を攻撃するよう命令を受けた呂布は、胡軫(こしん)とともに陽人に向かっている。

呂布と胡軫は仲が悪く、呂布は胡軫を陥れるため、孫堅の陣は手薄であると言って万全な状態で待ち構えている孫堅軍を攻めさせたり、孫堅が攻めて来たと偽報を流して胡軫の軍を混乱させたりするなど、終始胡軫の邪魔をして自軍を敗走させる。

これによって反董卓連合の優位が決定的なものとなり、前述の通り董卓は洛陽を捨てて逃げる事になる。

なお、正史によると呂布は洛陽で再度孫堅と戦ったという記述があるが、ここでも孫堅軍に敗れており、演義のような派手な活躍は一切なく、むしろ董卓軍の足を引っ張った「戦犯」のように書かれている。

長安に逃げるなど旗色の悪くなった董卓だが、袁紹と袁術の仲違いなど反董卓連合が空中分解したお陰で窮地を脱する。

反董卓連合が解散すると董卓は長安でも暴政を働き、世間を混乱させる。

当然側近の間でも董卓を憎む者が現れ、王允は董卓の侍女に手を出して関係が悪化していた呂布に目を付ける。

呂布は自分が董卓に命を狙われる事を恐れていたため、王允の話に乗って董卓を暗殺する。

董卓を滅ぼして結果的に天下を手に入れた呂布と王允だったが、その天下も長くは続かず、董卓の配下だった李傕郭汜によって長安を奪われる事になる。

各地を転戦して中国全土に嵐を起こす

長安を追われた呂布は袁術に袁紹といった有力な勢力を頼るが、いずれも長続きせずに去っている。

兗州を襲撃する呂布(三国志演義)

次に呂布は、徐州の陶謙と交戦中で曹操が留守にしていた兗州(えんしゅう)を攻める。

かねてから曹操に反旗を翻そうと考えていた陳宮らの手引きによって呂布は濮陽を奪うが、徐州から戻って来た曹操に敗れて再び放浪生活になる。

呂布の次なるターゲットとなったのは、徐州の劉備だった。

劉備の元に転がり込んだ呂布だが、客とは思えない横柄な態度で劉備からは内心嫌がられていた。

その後、劉備と袁術が徐州を巡って争いを始めると、呂布は劉備が留守の隙を突いて下邳を奪い取ってしまう。

正史によると袁術の誘いに乗って下邳を攻めた(演義では泥酔した張飛が原因となっている)との事で、目先の事しか考えない呂布らしいといえば呂布らしい行動だが、本拠地を失った劉備は和睦という形で呂布に事実上の降伏をして徐州を譲る事になる。

戟を射る呂布

その後、再び争い始めた劉備と袁術を仲裁するため、(げき)を射抜いて停戦させるという当代随一の武芸の腕を披露するが、決して劉備の味方になった訳ではなく、今度は劉備を攻めて徐州を完全に支配する。

劉備は曹操の元に逃げ込むと、程なくして呂布討伐の軍を出す。

そして、呂布の最後の戦いが始まった。

嵐を呼び続けた男の末路

曹操が攻めて来ると、呂布は城から出て曹操を迎え撃つが、あえなく敗れ籠城を余儀なくされる。(呂布は陳宮の献策を聞かなかったと書かれているが、具体的な内容は書かれていない

籠城を続ける呂布に対して曹操は水攻めを仕掛け、下邳を水浸しにする。

追い詰められた呂布は配下の魏続侯成の裏切りに遭って捕らえられ、曹操の元に連れ出される。(配下に自分の首を持って曹操に降伏するよう命じるが、みんな呂布を慕っていたから誰も呂布の首を打てなかったため一緒に曹操に降伏したと伝える文献もあり、この内容だと呂布に対するイメージが大きく変わるのが興味深い

呂布は「自分と組めば天下などたやすく取れる」と命乞いをして、曹操の「人材コレクター」としての本能を揺さぶるが、劉備の「丁原と董卓をお忘れか」という言葉によって呂布の処刑を決める。

この大耳野郎(劉備)が最も信用出来ない奴だ!」という言葉も虚しく、呂布は陳宮、高順とともに絞首刑となり、波乱の生涯を閉じた。(呂布の言う通り劉備は後に曹操を裏切っているため、呂布の言葉は正しかった事になる

呂布の人生を辿ると、目先の利益だけを考えた裏切りの連続による、見事なまでの行き当たりばったりの人生である事に驚かされる。

最終的に独立勢力として曹操と戦っているが、基本的に呂布は自分の武勇を使ってくれる者を探すために行動している。

呂布が加わるだけで勢力のパワーバランスは大きく傾き、呂布を敵に回した者は例外なく苦戦を強いられている。

その呂布が滅びた事は中国の歴史に於ける大きなターニングポイントとなり、時代は武勇から知略の時代へと大きく舵を切る事になる。

短い登場期間の中で存分に暴れ回った呂布だが、誰よりも中身の濃い人生と武勇は大きなインパクトを与え、三国志最強の武将として今日まで伝わっている。

 

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