三國志

袁術が建国した2年間だけの伝説の王朝「仲」

2年間だけ存在した伝説の王朝

袁術が建国した2年間だけの伝説の王朝「仲」

※袁術

長い中国の歴史の中で、自称皇帝を名乗る人物によって2年の間だけ存在した国がある。

それが、袁術によって建国された「」(ちゅう)である。

三国志ファンの間では袁紹が天下を取っていれば、官渡の戦いで曹操に勝っていれば、というifネタがよく語られるが、袁紹の親類である袁術は、皇帝(自称)として袁紹以上に中国を支配出来る可能性を持っていた。

今回は、天下を取れる位置にありながら自身の無能さで全てを台無しにしてしまった「ハチミツ皇帝」こと袁術と、彼の築いた仲王朝について解説する。

袁術を助けた「家柄」

三国志に於ける袁術の概要だが、当代屈指の名門である袁家の出身であり、自身の家柄のお陰もあって本来の実力以上に上司から重用され、親類の袁紹とともに順調に出世を重ねる。

歴史的に見てもの建国を除いて袁術に大した実績はないが、当時の中国は徹底的に家柄を重視していたため、家柄が良ければ黙っていても地位や有能な人間がやって来た。時代も大きく袁術に味方していた。

家柄だけが立派なダメ君主

しかし、袁術自身は家柄が立派なだけで君主の器には程遠く、自分が贅沢する事だけを考える人間だった。

領地では重税を課して、豪華な宮殿を建築する(それによって領民は苦しい生活を強いられる)など絵に描いたようなダメ君主であり、部下に対しても「土地を奪ったら太守の地位を約束する」と言いながらそれを反故にする事を繰り返したため、当然部下からの信頼も失ってしまう。

袁術の家柄を頼りに人だけは集まり、中には孫堅、孫策親子のような大物もいたが、袁術に彼らを使いこなす能力は残念ながら持ち合わせていなかった。

もしも袁術がまともな人間であり、有能な配下を上手く扱っていれば本当に天下を取れた可能性があった、というのは歴史のタブーである「たられば」だが、人材に恵まれながらも全く活かせないのも君主として致命的だった。

仲の建国と皇帝即位

家柄だけで偉くなり、人の上に立つには到底相応しくない人間だった袁術だが、彼の元に千載一遇の好機がやって来る。

当時の都である長安で暴政を行っていた李確の影響で長安から人が抜け出し、時の帝である献帝も長安から脱出し、行方不明となる。

実際の献帝は曹操に保護されていたのだが、献帝の周辺が脆弱である事を理由に自分が天下を奪えると意気込んだ袁術は、自ら帝になると宣言する。

一度は家臣に止められ、不機嫌になりながらも自身の発言を取り下げるが、自身の欲望しか考えない男に我慢が出来るはずもなく、197年に自身を皇帝とした新王朝、の建国を宣言する。

袁術の絶頂期と凋落

袁術が建国した2年間だけの伝説の王朝「仲」

※198年頃の 群雄割拠図

何度も書いている通り、袁術は皇帝どころか人の上に立つような人間ではなく、皇帝となってからもこれまで通り民に重税を課して、自分の贅沢のために使い込む。

こうなる事は袁術が皇帝となった時点で目に見えていたとはいえ、人々を苦しめるだけの悪性を行う皇帝を皇帝として認める者など存在するはずもなく、袁術の家柄を見て近付いた人間も相次いで離反する。

また、袁術の暴政は周辺勢力が攻め込む大義名分を与え、袁術は軍を出す度に敗れ、唯一の味方だった呂布も曹操に敗れ処刑されてしまう。

完全に追い詰められた袁術は、同族の袁紹に助けを求め、帝位を譲る代わりに自分を保護してくれるよう懇願する。

※袁紹について詳しくは→袁紹はなぜ勢力を拡大できたのか?【三国志正史を読み解く】

同族のよしみか、自身も帝位に就く野心があったかは本人しか分からないが、袁紹は袁術の申し出を受け入れ、袁術は袁紹の元に向かう。
だが、袁術の動きを知った曹操は劉備軍を派遣して袁術の足止めをして袁術は身動きが取れなくなる。

もはや進む事も出来なくなった上に食事にも困った袁術は、家臣にハチミツを欲しいと言うが、食料が僅かな麦のクズだけという状態の袁術の元にそんなものはない。

失意の袁術は自身の落ちぶれた様を嘆くように絶叫すると、約2リットルの血を吐くという惨めな死を遂げ、仲王朝は僅か2年で終焉を迎えた。

もしも袁術がまともなら…

大袈裟な記述が好きな当時の人が書いた事なので、2リットルの吐血に関する信憑性には疑問が残るが、いずれにせよ袁術は天下を狙える位置にありながら自身の無能さで全てを台無しにしてしまった、最初から最後まで「ダメ君主」の生き様を体現したような生涯だった。

その死に様から「ハチミツ皇帝」と揶揄されるなど袁術という人間自体は何の救いもないダメ人間だが、名門袁家の看板によって一目集める存在となり、世間からは認められてはいないが、絶頂期には皇帝に即位し天下を狙える存在にまでなっていたのは歴史が伝える事実である。

もしも袁術にまともな政治が出来ていれば、そして、もしも袁術が部下を信頼して彼らからも尊敬を受けていれば、後の歴史が変わっていた可能性は低くない。

また、史実でも演義でも、袁術に関して好意的な描写はほぼ皆無で、実際にいいところは家柄しかないが、彼の家柄によって遺された袁術の家族は助けられ、孫権に引き取られている。

その後、袁術の家族と子孫は袁家という家柄のお陰で呉で出世するなど厚遇を受けている。

袁術自身はどうしようもないダメ人間だったものの、当時の中国が家柄を重視するお国柄だったお陰で「袁家」という看板が袁術の家族を助ける事になるのは皮肉であるとともに不幸中の幸いでもあった。

 

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