鎌倉殿の13人

【鎌倉殿の13人】得体が知れない?大野泰広が演じる足立遠元の生涯をたどる

……こうした客人たちの差配は、頼朝に命じられた足立遠元が担当していた。その場に同席していた実衣は、得体の知れない人がどんどん増えていくことに驚いていたが、この遠元こそが最も得体が知れないと皮肉るのだった。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10回あらすじより

伊豆の挙兵から鎌倉入りを果たし、源氏の棟梁として勢力基盤を固めつつあった源頼朝(演:大泉洋)。

頼朝の下には様々な者が集まり、中には「得体の知れない」者が少なからず混じっていたことでしょう。

大野泰広演じる足立遠元。たしかに人を食ったような顔をしているが……NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

その最たる者と皮肉られた足立遠元(あだち とおもと)とは、いったい何者なのでしょうか。

今回はそれを調べて紹介。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しむ予習となるでしょう。

平治の乱で「義平十七騎」の一人として武勇を発揮

足立遠元は生年不詳、父の藤原遠兼(とおかね)が武蔵国足立郡(現:埼玉県北足立郡~東京都足立区一帯)を領したために足立の苗字を称しました。

安達藤九郎盛長(演:野添義弘)との関係については諸説ありますが、一説には盛長が遠兼の弟とあり、その場合は遠元は盛長の甥となります。

通称は四郎、源氏の棟梁であった源義朝(よしとも。頼朝の父)に従って上洛し、平治の乱(平治元・1159年~永暦元・1160年)での武功により右馬允に任官。

武勇を奮う悪源太義平。呂雪「都平安城外勇戦之図 小松内大臣重盛 悪源太義平」より

戦場においては、義朝の長男である「悪源太」こと源義平(よしひら。頼朝の異母兄)に従って大いに奮戦。義平はじめ16騎あわせて「義平十七騎」の勇名を轟かせました。

【義平十七騎メンバー・義平以外50音順】
一、悪源太義平
一、足立右馬允四郎遠元(あだち うまのじょうしろうとおもと)
一、猪俣小平六範綱(ゐのまた こへいろくのりつな)
一、岡部六弥太忠澄(おかべ ろくやたただずみ)
一、上総介八郎広常(かずさのすけ はちろうひろつね。演:佐藤浩市)
一、片切小八郎大夫景重(かたぎり こはちろうだゆうかげしげ)
一、金子十郎家忠(かねこ じゅうろういえただ)
一、鎌田左兵衛尉政清(かまた さひょうゑのじょうまさきよ)
一、熊谷次郎直実(くまがい じろうなおざね)
一、後藤兵衛尉実基(ごとう ひょうゑのじょうさねもと)
一、斎藤長井別当実盛(さいとう ながいのべっとうさねもり)
一、佐々木源三秀義(ささき げんざひでよし。演:康すおん)
一、関次郎時員(せき じろうときかず)
一、波多野次郎延景(はたの じろうのぶかげ)
一、平山武者所季重(ひらやま むしゃどころすゑしげ)
一、三浦荒次郎義澄(みうら あらじろうよしずみ。演:佐藤B作)
一、山内首藤刑部丞俊通(やまのうちすどう ぎょうぶのじょうとしみち)

……こうして見ると、ちらほら「鎌倉殿の13人」に登場する顔ぶれがいますね。熊谷直実や斎藤実盛など、今後登場しそうな名前もチラホラ。

義平につき従う遠元たち。歌川芳虎「保元平治物語 郁芳門合戦」より

しかし勝敗は武門の習い……大いに活躍するも義朝は敗死、家人たちもバラバラに。討死する者、逃げのびる者……遠元らはそれぞれ雌伏の20年を耐え抜くのでした。

頼朝の挙兵に参加、文武両道の才能を発揮

そして時は流れて治承4年(1180年)、伊豆に流されていた義朝の遺児・頼朝が挙兵すると逸早くこれに呼応。豊島三郎清元(としま さぶろうきよもと)・葛西三郎清重(かさい さぶろうきよしげ)父子と共に反平氏の兵を興します。

石橋山の合戦こそ間に合わなかったものの、遠元たちは捲土重来を果たした頼朝と同年10月2日に合流。10月8日に本領の武蔵国足立郡を安堵(あんど。保証)されました。

その後、元暦元年(1184年)10月6日に公文所(くもんじょ。鎌倉政権の政庁)が設置されると、遠元はその寄人(よりうど。役員)に抜擢されています。

鎌倉政権のブレーンとして活躍した大江広元。毛利博物館所蔵

公文所の別当(長官)は大江広元(演:栗原英雄)、ほか4名の寄人は中原親能(なかはら ちかよし。広元の兄)・藤原行政(ゆきまさ。二階堂行政)・藤原邦通(ふじわらの くにみち。藤判官代)・大中臣秋家(おおなかとみの あきいえ)。

いずれも文筆をもって頼朝に仕えた者たちであり、遠元は武士でありながら文筆方面にも才能や実績があったことがうかがわれます。

建久元年(1190年)に頼朝が右近衛大将に昇進した際、12月1日の拝賀(はいが。朝廷に対して昇進の感謝を告げること)に随行する侍7名の内に選ばれました。

【随行した侍メンバー7名】
足立前右馬允遠元(前とは元職の意。右馬允は平治の乱で敗れた時に没収)
葛西三郎清重
工藤左衛門尉祐経(演:坪倉由幸)
後藤基清(ごとう もときよ。義平十七騎・後藤兵衛尉実基の養子)
千葉新介胤正(ちば しんすけたねまさ。千葉介常胤の子)
八田太郎朝重(はった たろうともしげ。八田知家の子)
三浦介義澄(荒次郎の二つ名は伏せ、よそいき?の三浦介モード)

※他にもたくさんの御家人たちが携わっているのは、言うまでもありません。

遠元「おい荒次郎。我らついに、ここまで来たな」

義澄「四郎、今はその名で呼ぶな。ここでは三浦介ぞ」

そして12月10日、遠元はこれまでの功績によって左衛門尉(さゑもんのじょう)に推挙されました。

勅使よりの辞令(イメージ)

勅使「……前右馬允、藤原(※)遠元。右は多年の勲功あるにつき、左衛門尉の叙任をもってこれを賞す」

(※)朝廷とのやりとりに際しては、所領などにもとづく苗字ではなく、祖先が朝廷より賜った氏姓(うじかばね)を正式な名乗りとします。

遠元「荒次郎。お前、右兵衛尉は?」

義澄「あぁ……平六(三浦義村。演:山本耕史)に譲った。せっかくの官職だから、爺いが抱え込むより若い者に譲ってやる気を出させようと思ってな」

遠元「へぇ。高尚だねぇ」

……とは言え、遠元もかなりの高齢(仮に平治の乱時点で20~30歳とすれば、この時点で50~60歳)。鎌倉政権の中では次世代の若者たちに追いやられつつあったことでしょう。

エピローグ

そして建久10年(1199年)1月13日に頼朝が亡くなり、嫡男の源頼家(演:金子大地)が鎌倉殿の2代目を継ぐと、遠元は長老として十三人の合議制(鎌倉殿の13人)に加えられます。

「今後、訴訟など政務につきましては、あらかじめ我らのいずれかにご諮問下さいますように……」

しかしこの合議制は主要メンバーが相次いで亡くなり、また政争によって討たれるなどしたため、間もなく有名無実化していきました。

遠元が『吾妻鏡』に最後の姿を見せるのは建永2年(1207年)3月3日。

闘鶏会にて(イメージ)

北御壷に於て、鷄鬪の會有り。
時房朝臣、親廣、朝光、義盛、遠元、景盛、常秀、常盛、義村、宗政等其の衆爲と云々。

※『吾妻鏡』建永2年(1207年)3月3日条

【意訳】御所の北庭で、闘鶏が行われた。
参加メンバーは北条時房(演:瀬戸康史)、大江親広(おおえの ちかひろ。広元の子)、結城朝光(ゆうき ともみつ)、和田義盛(演:横田栄司)、遠元、安達景盛(あだち かげもり。盛長の子)、千葉常秀(つねひで。常胤の孫)、和田常盛(わだ つねもり。義盛の子)、三浦義村小山宗政(おやま むねまさ)らとのこと。

……新旧世代が入り乱れる中、闘鶏を楽しみながら遠元は世の移ろいを感じていたのでしょうか。

遠元の没年は不明。既に70歳を超えており、そのままフェイドアウトしたものと思われます。

以上、足立遠元の生涯をざっくりたどって来ました。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではどのように描かれるのか、三谷幸喜の脚本に注目ですね!

※参考文献:

  • 歴史群像編集部『決定版 図説 源平合戦人物伝』学研プラス、2011年11月
  • 関幸彦ら編『源平合戦事典』吉川弘文館、2006年12月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
角田晶生(つのだ あきお)

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