鎌倉殿の13人

奥州合戦で汚名返上!河村千鶴丸13歳の初陣エピソード【鎌倉殿の13人】

身内が不祥事を起こしてしまうと、何もしていない自分まで気まずい思いをしてしまうことは少なくありません。

これが些細なことであれば、人のうわさも七十五日……とやり過ごすのが一番。しかし不祥事が重大なことだと、その前科?が一生ついて回ることも。

往時の武士たちも、身内が謀叛など起こすとその一族もろとも誅殺されるか、生き残っても汚名に甘んじることを余儀なくされたものでした。

しかし中には当人の努力によって名誉を勝ち取り、誇りを取り戻す者も少なからずいたと言います。

今回はそんな一人、鎌倉の御家人として活躍した河村千鶴丸(かわむら せんつるまる)のエピソードを紹介。

時は文治5年(1189年)8月、奥州合戦でのことでした。

たった7騎で敵地へ突入!命を懸けて武勇を発揮

8月9日深夜。明朝の合戦(阿津賀志山の合戦)に先立ち、鎌倉方の先陣を承っていた畠山重忠(演:中川大志)を出し抜こうと、三浦義村(演:山本耕史)ら7騎が抜け駆けします。

抜け駆けを狙う三浦義村(イメージ)

【抜け駆けメンバー】
三浦平六義村
葛西三郎清重(かさい さぶろうきよしげ)
工藤小次郎行光(くどう こじろうゆきみつ)
工藤三郎祐光(さぶろうすけみつ)
狩野五郎親光(かのう ごろうちかみつ)
藤沢次郎清近(ふじさわ じろうきよちか)

そして河村千鶴丸。当時13歳、満年齢で12歳ですから、現代なら小学校6年生から中学1年生に当たります。

……七騎終夜越峯嶺。遂馳着木戸口。各名謁之處。泰衡郎從部伴藤八已下強兵攻戰。此間。工藤小次郎行光先登。狩野工藤五郎損命。伴藤八者。六郡(奥六郡)第一強力者也。行光相戰。兩人並轡取合。暫雖爭死生。遂爲行光被誅。行光取彼頚付鳥付。差木戸登之處。勇士二騎離馬取合。行光見之。廻轡問其名字。藤澤次郎淸近欲取敵之由稱之。仍落合。相共誅滅件敵之。兩人安駕。休息之間。淸近感行光合力之餘。以彼息男可爲聟之由。成楚忽契約云々。次淸重并千鶴丸等。撃獲數輩敵。

※『吾妻鏡』文治5年(1189年)8月9日条

7騎は夜通し峰々を駆け抜け、8月10日の未明ついに敵陣に到着。伴藤八(ともの とうはち)率いる敵勢に攻めかかりました。

工藤行光が先登(せんど。一番乗り)を果たし、激闘の中で狩野親光は討ち取られてしまいます。

伴藤八は奥六郡(おくりくぐん。奥州で最も奥≒辺境とされた地方)でも名高い豪傑。工藤行光がこれを討ち取ると、今度は藤沢清近が敵と格闘していたのでこれを助け、敵の首級を掻き切りました。

清近は行光に感謝し、娘を行光の息子に嫁入りさせる約束をしたとか。当人たち(特に娘)に意向を確認しなくていいんでしょうか。

また、この戦いで葛西清重と千鶴丸も果敢へ敵中へ乗り込み、それぞれ敵を多数討ち取ったと言います。

頼朝に賞賛され、河村四郎秀清と改名

「ほう、千鶴丸とな……」

8月12日、抜け駆け7騎の武勲について報告を受けた源頼朝(演:大泉洋)は、初めて聞く千鶴丸の名前に興味を持ちました。

まだ元服すらしていない童名(わらわな。幼名)でありながら、勇敢に戦った少年に感心した頼朝は千鶴丸を召し出します。

「その方、父は誰じゃ」

「は。やつがれは山城権守河村秀高(やましろごんのかみ かわむら ひでたか)が四男にございまする」

河村秀高とは相模国河村郷(現:神奈川県山北町)の豪族。その子には、かつて石橋山の合戦で頼朝と敵対した河村三郎義秀(さぶろう よしひで)がいます。

かつて石橋山に頼朝を追い詰めた大庭景親

義秀は大庭景親(演:國村隼)と組んで一度は頼朝を撃破したものの、華麗な復活を遂げた頼朝の軍門に屈しました。

「……斬れ」

捕らわれた義秀は大庭平太郎景義(へいたろう かげよし。景親の兄)に預けられ、処刑されます。

治承4年(1180年)当時まだ4歳だった千鶴丸は母・京極局(きょうごくのつぼね)と共に肩身の狭い思いをしていたことでしょう。

永らく不遇をかこちていたところ、奥州合戦の話を聞いて一念発起。命懸けで功名を求めた結果、佳運が開けたのでした。

「うむ。此度の武功、誠にあっぱれであった!」

頼朝は御家人の加々美次郎長清(かがみ じろうながきよ。小笠原長清)を呼んで烏帽子親を務めさせ、千鶴丸の元服式を執り行わせます。

元服する千鶴丸あらため四郎秀清(イメージ)

父・秀高から秀の字を、そして烏帽子親の長清から清の字を譲り受けて千鶴丸は河村四郎秀清(しろうひできよ)と改名したのでした。

頼朝の前で元服式を執り行えるのは、御家人の中でもなかなかない名誉。千鶴丸あらため秀清はさぞ感激したことでしょう。

終わりに

一昨日合戰之時。千鶴丸若少之齢而入敵陣。發矢及度々。又名謁云。河村千鶴丸云々。二品始令聞其号給。仍御感之餘。今日於船迫驛。被尋仰其父。小童爲山城權守秀高四男之由申之。依之。於御前俄加首服。号河村四郎秀淸。加冠加々美次郎長淸也。此秀淸者。去治承四年。石橋合戰之時。兄義秀令与景親謀叛之後。窂籠之處。母〔二品官女。号京極局〕相計而暫隱其号。置休所之傍。而今度御進發之日。稱譜第之勇士。企慇懃吹舉之間候御共。忽顯兵略。即開佳運者也。

※『吾妻鏡』文治5年(1189年)8月12日条

その後、秀清は武功によって奥州に所領を給わり、忠勤に励みます。

兄・義秀も弓の名手だった(イメージ)

ちなみに先ほど「斬られた」とされた兄・義秀は大庭景義が密かに匿っており、鶴岡八幡宮の神事に免じてちゃっかり赦されたとか。

これまで叛逆者の一族として日陰の身であった千鶴丸あらため河村四郎秀清。彼が御家人に列したエピソードは、頼朝の度量を示すと共に「忠勤に励み功績を上げれば、過去を問わず栄誉と恩賞に与かれる」という好例になったことでしょう。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月

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