鎌倉殿の13人

流鏑馬神事で大活躍!源頼朝に赦された河村義秀のエピソード【鎌倉殿の13人】

先日、鎌倉の大河ドラマ館を見学してきて、気になる展示がありました。こちらです。

鎌倉・大河ドラマ館の展示。筆者撮影

源頼朝(演:大泉洋)が伊豆で挙兵してから鎌倉入りするまでの期間における坂東武士団勢力図なのですが、この相模国を見て下さい。

「地元鎌倉の誇る梶原景時(演:中村獅童)がいないじゃないか!」

それもそうなのですが、今回の主人公はそのちょっと左上。河村義秀(かわむら よしひで)が「頼朝に敵対し、滅ぼされた者」にカテゴライズされているのです。

河村義秀が「滅ぼされた」って?

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には登場してないため、別に生きてようが死んでようが影響はないのですが、実はこの義秀は生きていました。

頼朝に敵対した義秀はどのように命を助けられたのか、今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。

頼朝に降伏し、処刑を命じられた義秀

時は治承4年(1180年)10月23日、東国の御後見として頼朝の行く手を阻んでいた大庭景親(演:國村隼)が降伏。共に戦い続けて来た河村義秀も源氏の軍門に下りました。

……河村三郎義秀被収公河村郷。被預景義……

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月23日条

【意訳】河村三郎義秀は領地の河村郷(現:神奈川県山北町)を没収され、大庭景義(おおば かげよし。景親の兄で頼朝に味方していた)に身柄を預けられた。

その3日後、頼朝は景義に対して義秀を処刑するよう命じます。

……大庭平太景義囚人河村三郎義秀。可行斬罪之由。被仰含云々……

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月26日条

【意訳】大庭景義が預かっていた河村三郎義秀を処刑するよう命じた。

義秀はよほど頑強に抵抗したのでしょう(敗走した景親は、義秀と河村山に立て籠もっています)。多くの者が許される中、景親ともども数少ない処刑となったのでした。

普通ならここで景義が「ハイ承知しました」と義秀を斬っておしまいなのですが、何を思ったか景義はこっそり義秀を匿い続けるのです。

流鏑馬神事で大活躍

馬塲之儀也。先々會日。雖有流鏑馬竸馬。依事繁。今年始被分兩日也。二品御出如昨日。爰流鏑馬射手一兩人。臨期有障。已及闕如。于時景能申云。去治承四年所与景親之河村三郎義秀。爲囚人景能預置之。達弓馬之藝也。且彼時与黨大畧預厚免訖。義秀獨非可沈淪歟。斯時可被召出哉者。仰曰。件男可行斬罪由下知畢。于今現存。奇異事也。然而優神事。早可召進。但非指堪能者。重可處罪科者。則招義秀。召仰此旨之間。射之訖。二品召覽其箭之處。箭十三束。鏑八寸也。仰曰。義秀依達弓箭有驕心。与景親之條。案先非。今更奇恠也。然者猶可令射三流作物。於有失礼者。忽可行其咎者。義秀又施其藝。始終敢無相違。是三尺手挾八的等也。觀者莫不感。二品變鬱陶。住感荷給云々。

※『吾妻鏡』建久元年(1190年)8月16日条

さて、約10年の歳月を経て建久元年(1190年)8月16日。この日は鶴岡八幡宮の流鏑馬神事が行われていました。

鶴岡八幡宮の流鏑馬神事(イメージ)

「あの~鎌倉殿?」

「何じゃ、平太か。いかがした」

ここで景義は「実は河村三郎を匿っているんですが、どうでしょう。あれは騎射の名手なんで、御家人に取り立ててやっちゃもらえませんか?」と持ちかけます。

10年前に「殺せ」と命じた罪人が、実はちゃっかり生きていた……とうぜん頼朝は怒りますが、景義は「まぁまぁハレの神事に血のケガレはいけません。大目に見ちゃもらえませんか」と涼しい顔。

「……まぁいい。八幡様に免じてチャンスをやろう。ちょうど騎手に欠員が出たから代わりにやらせろ。もしミスったら今度こそ殺すからな!」

「ははあ、有り難き仕合せ」

果たして義秀にやらせてみると、三尺(さんじゃく。笠懸)・手挟(たばさみ。四寸≒12センチ四方の的)そして八的(やつまと。二町≒218メートルで8つの的を連射する)のどれも完璧。御家人たちから喝采が上がります。

「うむ、誠にあっぱれなり。八幡様に誓ってそなたを許し、御家人の列に加えよう」

「ははあ、有り難き仕合せ」

こうして義秀はかつて敵対したことを許されたということです。めでたしめでたし。

いっそ殺してやった方が……景義の助言で旧領を返還

大庭平太景能申云。河村三郎義秀。於今者可被梟首歟者。仰曰。申状太不得其意。早可處其刑之由雖被仰付。景能潜扶之歴多年也。依流鏑馬賞厚免訖。今更何及罪科哉者。景能重申云。日來者爲囚人之間。以景能助成活命。憖以蒙免許之後。已擬餓死。如當時者。被誅事還爲彼可爲喜歟者。于時二品頗令咲給。可還住于本領相摸國河村郷之旨。可下知者。

※『吾妻鏡』建久元年(1190年)9月3日条

しかし、話はこれで終わりません。義秀が許されてから半月ばかり経った9月3日。

「あの~鎌倉殿?」

「何じゃ、平太か。今度は誰を匿っとるんじゃ」

「いえ。例の河村三郎なんですが、梟首(きょうしゅ。さらし首)にすべきではないでしょうか?」

つい先日助けろと言うから助けてやったのを、殺すべきとはこれいかに……頼朝が尋ねると、景義の言うには。

飢えに苦しむ義秀(イメージ)

「前は囚人(めしうど)であったからそれがしが養っておったのですが、御家人となったからにはそれも叶いません。ヤツには所領もありませんから、このまま餓死するくらいなら、いっそ楽にしてやった方が……」

要するに「旧領・河村郷を返してやれ」という遠回しなメッセージ。それはまったく悪かった……頼朝は大笑いして義秀に河村郷を返還してあげたということです。

これで今度こそ、めでたしめでたし。

終わりに

かくして命を救われた河村義秀は、弟の河村秀清(ひできよ。千鶴丸)ともども忠義を尽くし、やがて後鳥羽上皇(演:尾上松也)との決戦「承久の乱」でも武勇を奮います。

一度逆らったら絶対に許さない……そんなイメージを持たれがちな頼朝ですが、時にはこうしてかつての敵を赦す一面もありました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描き切れないでしょうが、頼朝と御家人たちの間にこうした絆があって(積み重なって)こそ、天下草創の偉業は成し遂げられたのでした。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
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角田晶生(つのだ あきお)

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