鎌倉殿の13人

「鎌倉殿の13人」坪倉由幸が演じる工藤祐経、実はけっこうエリートだった!

好評放送中の令和4年(2022年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、坪倉由幸さんが演じる工藤祐経(くどう すけつね)

第1回から登場するなり薄汚いビジュアル、全身にシラミをわかせてボリボリ搔きむしる姿に「何だコイツ」と思った視聴者も少なくないでしょう。

何かブツブツ愚痴をこぼす陰気なキャラで、過去に伊東祐親(演:浅野和之)からひどい仕打ちを受けたことはわかるものの、果たして何があったのでしょうか。

大河ドラマを聞き逃してしまった方もいるでしょうから、今回はこちら工藤祐経の生涯をたどっていきたいと思います。

京の都で活躍するが……

工藤祐経は平安末期の久安3年(1147年)、伊豆国伊東の荘司(荘園の管理者)であった工藤祐継(すけつぐ)の嫡男として生まれました。

幼名は金石(きんせき)。応保2年(1162年)に父が亡くなると、その遺言によって義理の伯父に当たる祐親を後見人として家督と伊東荘を継ぎます。

家督継承を機に元服、改名した祐経は祐親の娘・万劫御前(ばんごうごぜん)と結婚。やがて祐親と共に上洛し、平重盛(たいらの しげもり。平清盛の嫡男)に仕えました。

祐親は京で雅びやかな人々と交流する中で歌舞音曲に通じ、その巧みさから工藤一臈(いちろう。第一人者)と呼ばれます。

芸達者で人気者となった「工藤一臈」こと祐経(イメージ)

都では社交界の華となり、国許には妻と豊かな所領を有するまさにリア充……そんな祐経に嫉妬したのか、祐親は先に伊豆へ帰ってしまいました。

「あれ、義父上……?」

伊豆へ帰った祐親が何をしたかと言えば、祐経が治めていた荘園を強引に横取り。

更には祐経に嫁がせた万劫御前を離婚させ、土肥遠平(どひ とおひら。土肥実平の嫡男)に嫁がせてしまったのです。

「伊東の嫡流は我ぞ!それを祐経めが調子に乗りおって……っ!」

祐経の父・祐継が伊東家へ養子入りした一方、祐親は工藤家へ養子に出された(河津荘を治めたため河津祐親とも)ことを怨んでの暴挙でした。

しかし祐経にとってみれば理不尽以外の何ものでもなく、都で訴訟を繰り返したものの、祐親の周到な根回しによってことごとく敗訴。

妻も所領も失った祐経からは次第に人も離れていき、すっかり落ちぶれてしまった失意の中で都を去ったのでした。

……と言うのが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第1回における前提となります。

祐親の暗殺を図るも……

さて、時は流れて安元2年(1176年)10月。祐親を怨んだ祐経は彼らが狩りから帰る道中を襲撃しました。

「この怨み、晴らさでおくべきか!」

残念ながら祐親は討ち洩らしてしまったものの、嫡男の河津祐泰(かわづ すけやす)を射殺すことに成功。

相撲(すまい)の達者として知られた河津祐泰。歌川国芳筆

このシーンは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第2回で描写されていましたが、こちらでは山口祥行の演じる河津祐泰は討たれていません(少なくとも、討たれた描写はありません)。

腰を抜かして逃げ出す祐経に対し、祐親は「雑魚は放っておけ!」と捨て置きました。

なお、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では第1回に大泉洋の演じる源頼朝(みなもとの よりとも)が、祐経に対して祐親の暗殺指令を下したことになっています。

頼朝にとって、祐親はその娘・八重姫(演:新垣結衣)との間に生まれた我が子・千鶴丸(せんつるまる)を殺した仇です。

……さて話を史実に戻すと、殺された河津祐泰には一萬丸(いちまんまる。曾我祐成)と弟の筥王(はこおう。曾我時致)という息子たちがいました。

彼らは再婚した母と共に相模国曾我荘の領主・曾我祐信(そが すけのぶ)に引き取られ、復讐の時を狙うことになります。

ところで祐経には宇佐美祐茂(うさみ すけもち)という弟がおり、彼は治承4年(1180年)8月に頼朝が挙兵すると逸早くこれに加勢。同年10月には祐親を自害せしめました。

それを知った祐経は、自分の手で討ちたかったと思ったのか、それとも何であれ憎き祐親が死んでよかったと喜んだのでしょうか。

頼朝の寵愛を受けて活躍

さて、祐茂が武功によって本領を安堵されると、その伝手で祐経も頼朝に仕えて伊東荘を取り戻します。

ただし弟とは異なって武辺には疎く、むしろ京都で培った素養をもって重用されました。

例えば元暦元年(1184年)4月に捕虜となった平重衡(たいらの しげひら。平清盛の五男)が鎌倉に護送された時、彼を慰める宴席で鼓を打ち、今様(いまよう。当世の流行歌)を唄っています。

静御前の舞(イメージ)

ほか文治2年(1186年)4月には静御前(しずかごぜん)が鶴岡八幡宮で舞を奉納した折にも鼓の伴奏を務め、建久元年(1190年)に頼朝が上洛した際には布衣(ほい。ここでは特に近侍する者)7人に選ばれて供奉する栄誉に与りました。

また建久3年(1192年)7月に頼朝が征夷大将軍に任じられた折、辞令をもたらした勅使に対して引き出物を進呈する役を担うなど、よほど信頼されていたことがわかります。

しかし頼朝の寵愛を後ろ盾に傲慢なところもあったようで、建久元年(1190年)7月の双六大会では先に着席していた加地信実(かじ のぶざね。当時15歳)を抱え上げて退けました。

この侮辱に怒り狂った信実は庭から石礫(つぶて)を持ってきて祐経の額をカチ割るという暴挙に出ています。

暴力はいけませんが、たとえ少年であっても元服した一人前の武士ですから、これは祐経が自身の驕りを反省すべきでしょう(後に和解)。

エピローグ

そんな祐経の最期は建久4年(1193年)5月28日。

富士の裾野で催された巻狩りに参加していた祐経は深夜、曾我兄弟(曾我祐成、曾我時致)の襲撃を受けて暗殺されてしまいました。

「父(河津祐泰)の恨みを思い知れ!」

曾我兄弟に討ち取られる祐経。歌川広重「曽我物語図会」より

これが日本三大仇討ちの一つとして名高い「曾我兄弟の仇討ち」であり、祐成は事件現場で仁田忠常(演:高岸宏行)に討たれ、時致は捕らわれて処刑されます。

(※ちなみに、ほか二つは江戸時代の「鍵屋辻の決闘」と「赤穂浪士の討入り」とのこと)

時致はかつて元服に際して烏帽子親の北条時政(演:坂東彌十郎)から時の字を名前にもらうほど親密であったことなどから、仇討ち事件について時政が黒幕(頼朝暗殺計画)であるとの説もあるとか。

かくして命を散らした祐経ですが、子の犬房丸(いぬぼうまる。伊東祐時)らは成長して幕府の御家人として活躍。その子孫は各地で移住して戦国大名や藩主、華族として命脈を現代につないでいます。

それにしても伊東一族は「祐」を通字(つうじ。一族で受け継ぐ名前の文字)としているため、文中に登場する祐経、祐継、祐親、祐泰、祐信、祐茂、祐成……と混乱したかも知れません。

北条だと「時」が通字、曾我時致は少なからず北条の息がかかっていることが察せられます。

以上、今回はごくざっくり祐経の視点から紹介してみました。たくさん出てくる「祐」の字それぞれ複雑に絡み合うそれぞれの思惑なども調べていくと、実に面白く人間の業深さが感じられます。

果たして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では脚本・三谷幸喜がどのように祐経を描き切るのか、これからも楽しみですね!

・「鎌倉殿の13人」の記事一覧

※参考文献:

  • 坂井孝一『歴史文化ライブラリー 曽我物語の史実と虚構』吉川弘文館、2000年11月
  • 保立道久『中世の国土高権と天皇・武家』校倉書房、2015年8月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
角田晶生(つのだ あきお)

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