江戸時代

「老いた母は山へ」姨捨山は本当にあったのか 〜19世紀の家族記録から見える意外な現実

姨捨山の昔話

画像:月岡芳年「百月姿 姨捨の月」。母を山に残す場面は、浮世絵にも繰り返し描かれた。public domain

日本の昔話集をめくっていると、「姨捨山(うばすてやま)」という話に出くわすことがあります。

山あいの貧しい村に60歳になった母と暮らす男がおり、村の掟では60を過ぎた老女は山奥に連れていかれ、そこに置き去りにされるのです。

母に促され、男はしぶしぶ母を背負って山へ入りました。
すると道すがら、母が枝を折っては地面に落としていることに気付きます。何をしているのかと尋ねると、母は言いました。

「お前が帰り道に迷わないように」

その言葉に胸を打たれた男は、母を連れて家へ引き返しました。

それからしばらく経ったある日、殿様が村にやって来て村人たちに難題を出しました。

「灰で縄を作ってみせよ」

村人たちは何度も試しますが、どうしてもできません。灰をどうやって縄の形にするのか、誰にもわからなかったのです。

男が家に帰ってその話をすると、母はあっさり答えました。

「藁を塩水で湿らせて縄をない、乾かしてから燃やせばよい。灰になっても縄の形は残る」

男がその通りにすると、殿様は感心し、誰の知恵かと尋ねます。

男は正直に打ち明けました。母を棄てずに家へ連れ帰ったこと、そして灰の縄も母の知恵だったことを。

殿様はしばらく考えた末「これからは老親を棄ててはならぬ」と宣言しました。

歴史研究者たちの疑問

このような民話は無数に存在し、あまりに広く語り継がれてきたため、研究者たちはある疑問を抱くようになります。

姨捨、つまり「老いた親を山に棄てる風習は、本当に存在したのか」という疑問です。

共同体を維持するために高齢者を犠牲にする例は、世界の歴史を見れば皆無ではありません。
ただし、それは食べること自体が難しい極限状態で語られる場合がほとんどです。

そのため研究者たちは日本の姨捨伝説もまた、単純に食い扶持を減らすためだったのかを問い直しました。

「山に置き去りにするような劇的な形でなくても、食事を減らす、世話をしないといった、より穏やかな排除があったのではないか。昔話が映しているのは、老女が家庭の中で重荷と見なされていた現実ではないか。」

しかし、ここには少し引っかかる点もありました。
昔話では、60歳を超えた老女をすべて山に送るという形で語られるからです。

けれども現実には、年を重ねた女性が家の采配を握り、家族や共同体に欠かせない存在だったことも多いはずです。
そうした女性まで一律に排除してしまえば、村はむしろ弱ってしまうでしょう。

つまり、「お荷物だから棄てる」という理屈だけでは、この無差別さをうまく説明できないのです。

「危険な嫁」という仮説

画像:長野県千曲市の冠着山。「姨捨山」の名で知られ、昔話の舞台とされている。public domain

年老いた母は、ふつうその家の家事を取り仕切り、自分の役割と居場所を持っています。

ところが息子が嫁を迎えると、その切り盛りをしだいに嫁が担うようになります。

すると姑はストレスを抱え、地位や幸福感が下がり、食べ物や金銭へのアクセスまで弱まって、結果として早死にしやすくなる。これが「危険な嫁」仮説です。

嫁は家庭内の主導権を握ろうとし、姑は自分のやり方を守ろうとする。

歴史的に見ても、家族の中で最も衝突しやすい関係の1つが、嫁と姑だったと考えられます。

データが示した意外な事実

この「危険な嫁」仮説は、インディアナ大学の研究者ローレル・L・コーネルが、19世紀日本の家族記録を使って検証しています。

コーネルは、60歳時点の女性がその後どれだけ生きたかを、家庭の状況ごとに比較しました。もしこの仮説が正しければ、嫁と同居する姑は、同居しない姑より短命になるはずです。

ところが、データは逆の結果を示しました。嫁と同居している女性のほうが、むしろやや長生きだったのです。

また、鍵になったのは姑と嫁の年齢差でした。

画像 : イメージ

若い嫁と暮らす女性は60歳以降も平均25年生きたのに対し、年齢の近い嫁と暮らす女性は16年にとどまり、その差は9年に及びました。

年齢が近い女性同士の方がぶつかりやすく、主導権をめぐって競合しやすかったのでしょう。

もっとも、大半の姑は嫁より30歳以上年上だったため、コーネルは全体として見ればこの影響は限定的だったと結論づけています。

さらにコーネルは、孫の存在が姑の寿命にどう影響するかも調べています。

嫁は当初こそ家庭内での発言力が弱いものの、子どもを産むと一気に地位を高めます。もしそれが姑の権威を脅かすなら、孫のいる家の女性は短命になるはずでした。

しかし、ここでも結果は予測と逆でした。
孫のいる女性のほうが、いない女性より60歳以降の生存に有利な傾向が示されたのです。

こうして「危険な嫁」仮説から導かれる予測は、次々と外れていったのです。
では、なぜ孫の存在が長寿につながったのでしょうか。

その答えとして孫の世話という役割(生きがい)を与えた可能性があります。

同時に、孫がいる世帯は経済的にも恵まれている場合も多く、裕福さと役割の両方が長寿を支えていたと考えられています。

寿命を分けたものとは?

データ全体を俯瞰してみても、60歳以降の女性寿命を分けた要因がはっきり浮かび上がってきます。

80代から90代まで生きた層は、夫が健在で、若い嫁と同居し、孫がいるなど、家庭内に居場所と役割を持っていた女性たちが多かったのです。

70代後半から80代前半まで生きた層は、嫁や孫の有無はさまざまでした。

60代後半から70代中頃で亡くなった層は、夫を亡くし嫁もおらず、孫もいない寡婦たちの割合が高めでした。

65歳前に亡くなった女性たちは、家の直系に属していない例が目立ちました。たとえば当主の姉妹として身を寄せているけれど、自身の配偶者や子どもはいない、というような立場です。

家の中では脇に置かれた存在であり、役割や発言力も少なかったと考えられます。

山ではなく、家の中で

画像:自分自身に「役割(居場所)があるのか」。この重要性は今も昔も変わらない。public domain

老女たちは実際に山に棄てられたわけではなさそうですが、家の中に居場所がなかった女性はたしかに短命でした。

今回紹介した研究は一つの事例にすぎませんし、対象も限られた地域と時代です。
それでも有力な研究を見るかぎり、日本で老女を組織的に山へ棄てる風習が広く行われていたとは考えにくいようです。

姨捨山の物語は少なくとも史実として裏付けられたものではなく、寿命を大きく左右したのは飢えでも嫁姑の争いでもなく、家庭の中に自分の役割があるかどうかでした。

「灰の縄」を知っていた母親が生き延びたのは知恵があったからではなく、「知恵を必要としてくれる誰かがいたから」という解釈ができるでしょう。

参考 :
Laurel L. Cornell, Recreating Japanese Women, 1600–1945, 1991.
Richard M. Dorson, Folk Legends of Japan, 1962.
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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