宗教

「偉かったのはどっち?」日本では『神と仏』 どちらが上位とされたのか? 神仏習合の見地から考えてみた

日本人に馴染み深い宗教といえば、神道仏教の2つであろう。

一般的に言われているのは、神道は日本固有の宗教であり、仏教は大陸から伝わった宗教である。

では、神道=神と、仏教=仏を比べた時、日本ではどちらが上の立場であったのか。

今回は、いわば神と仏が一体化した神仏習合という特異な見地から、神道・仏教のどちらが上位にあったのかを考察してみた。

神道という言葉は仏教に対して生まれた

画像:神社本庁 wiki.c Wiiii

神道の起源について、神社本庁は以下のように述べている。要点をまとめてみよう。

「自然の力は人間に恵みを与える一方、猛威も振るう。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知した。また、あらゆるものを生む、生命力も神々の働きとして捉えた。そして、山・岩・木・滝などの自然物にも神が宿るとして、お祭りをするようになった。6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになった。」(神社本庁HPより抜粋)

つまり神道という言葉は、仏教に対して生まれた言葉であり、日本においてはこの2つの宗教が複雑に絡み合いながら、神仏習合というカタチで競合していくのである。

当初仏は「新手の神」として認識された

画像 : 欽明天皇 public domain

仏教が百済から日本に公式に伝来したのは『日本書紀』によると、552(欽明天皇13)年のこととされる。この仏教公伝に関しては、『元興寺縁起』などでは538年とある。

この時、百済の聖明王から贈られた金銅製釈迦像を見た欽明天皇は、群臣たちに仏を拝むべきかどうかを問うた。

これに対し、蘇我稲目は「崇仏」を主張。一方、物部尾輿(もののべのおこし)・中臣鎌子は、「排仏」を主張した。

尾輿らは、「古来より日本は天皇を中心に神々を祀ることに務めていたが、もし蕃神(あだしくにのかみ)を拝すれば、国神(くにつかみ)の怒りを受ける」と奏上したのだ。

ここで注目したいのは、仏教を「蕃神」と呼び、古来の神々を「国神」と呼んでいることだ。

つまり仏教公伝の頃は、仏を「新手の神」と捉えていたことになる。

だが、この考えは飛鳥・奈良と時代が降るにつれ、大きな変化を遂げるのである。

天武朝までは神と仏は対等の関係だった

画像:飛鳥寺 wiki c Saigen Jiro

百済から公伝した仏教をめぐり、崇仏派と排仏派は激しく対立した。

そして、587(用明天皇2)年に、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたことにより、排仏派は完全に敗北を喫することになる。

この後、聖徳太子による四天王寺・法隆寺、馬子による飛鳥寺。さらには、舒明天皇による百済大寺などが建立され、仏教は日本社会に徐々に浸透していった。

画像 : 伊勢神宮内宮正殿 wiki c Ocdp

一方、神道も672年の壬申の乱で勝利した天武天皇が即位すると、天皇=神という「現人神思想」を掲げ、天照大神を皇祖神として仰ぎ、伊勢神宮を創設した。

天武は、大化の改新事業の一大目標であった律令制整備のうえで、朝廷を中心とした神社祭祀制度を確立したのである。

つまり、この時点では神と仏は、競合関係にはあるものの「対等」ともいえる関係だった。

奈良時代以降、神仏習合で仏が神の上位に

画像:気比神宮 大鳥居(国の重要文化財)wiki.c Saigen Jiro

しかし、神と仏の対等な関係は、奈良時代に入ると大きな変化を遂げた。

その一つとして、神社の近辺に、あえて寺院=神宮寺が建てられ始めた。
福井県敦賀市の気比神宮、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、伊勢神宮などがその代表例だ。

これが、神道と仏教が融合し、一つの信仰体系として再構成された「神仏習合」の始まりである。

ここで、神と仏の対等関係は崩れる。結論から言うと、仏が上位で神が下位という関係が成立した。

画像 : 聖武天皇 publicdomain

この考えは、仏教の論理から生まれたものだが、飛鳥時代後期の持統・文武両天皇の仏教への信仰心が影響を与えたともいえるだろう。

天皇の仏教への傾倒は奈良時代になるとさらに著しく、大仏建立を境に聖武天皇は、自らを「三宝(さんぽう)の奴(やっこ)」(仏の奴婢)と称するほど篤く仏教に帰依していった。

ちなみに、日本で最初に火葬に付されたのは、700(文武天皇4)年、飛鳥寺の僧・道昭だ。
その3年後に1年間のもがりの期間を経て持統、そして文武・元明と天皇が火葬に付されている。

元々、日本には火葬という風習はなく、仏教によって伝えられたものだ。もちろん、その後の全ての天皇が火葬に付されたわけではないが、例外は数例に過ぎない。

そして、重要なのは飛鳥後期・奈良時代から江戸時代まで、天皇の葬儀は全て仏式で行われ、神式で行われたのは明治・大正・昭和天皇のわずか3回に過ぎないということだろう。

神道に比べて後続の信仰である仏教は、それほど天皇および日本社会に浸透していったのである。

現在、対等の関係に戻った神道と仏教

画像:釈迦を守る12人のデーヴァ。wiki.c

仏が神よりも上位にあるとされるのは、仏教の論理によって考え出されたことだった。

それによると、天界には「天・天神・天人」=「デーヴァ」という神のような存在がいるという。

デーヴァは、サンスクリット語で神を現わす。
デーヴァが住む世界をデーヴァローカと呼び、漢訳すると天・天界・天道・天上界になる。

デーヴァは、人間よりも高級だが、仏の境地には達していない。それ故に、悩み苦しむ衆生の一つとされる。

だから神は、仏教上では修行途中の段階にある存在とされた。これが、神仏習合の本質で、神よりも仏が上位にある根拠となったのだ。

画像:藤原武智麻呂 wiki.c

奈良時代に成立した『藤氏家伝』には、藤原不比等の長子・武智麻呂の夢の中に気比の神が現れ「自分は宿業により神となった。これからは仏道に帰依して修行に励みたい。」語っている。

また、『日本後紀』には、深山で修業中の男に若狭の神が「私は神の身であるから苦悩が多い。仏法に帰依して神の境遇から免れたいがその願いは果たされない。」と嘆いている。

このように、神はその身であることに苦悩し、その苦しみから逃れるために仏教に帰依したいという姿が描かれているのだ。

こうして日本では江戸時代までは、仏が神よりも上位にあるという概念が根付いたのである。

ただ、この考えは「王政復古」の大号令のもと、神道を天皇崇拝を掲げる明治新政府にはすこぶる都合が悪かった。

維新政府の幹部たちは、神道を仏教の影響を受ける前の状況に戻す必要があり、これが廃仏毀釈に繋がっていった。

文化庁『宗教年鑑』2021年版によると、2020年の段階で日本国内における神道の信者数が、8,790万人(48.5%)。そして仏教が、8,390万人(46.3%)だそうだ。

この統計を見ると確かに神道=神と、仏教=仏は、「対等」の関係に戻ったと言えるだろう。

※参考文献
網野善彦著 『日本の歴史をよみなおす』 ちくま学芸文庫刊 2024.2.10
古川順弘著 『神社に秘められた日本史の謎』 宝島社刊 2024.9.18

文/高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

高野晃彰

高野晃彰

投稿者の記事一覧

編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. お盆、ご先祖様を迎える室礼(しつらい)について調べてみた
  2. 【編み物はいつ頃から始まった?】編み物の歴史 〜編み方の種類も紹…
  3. 猫を愛した日本の偉人たち 「宇多天皇、一条天皇、島津義弘、伊達政…
  4. 「放屁論から男色本まで」平賀源内のあまりに破天荒すぎる創作世界と…
  5. 『古代中国の杖刑』お尻ペンペンはどれくらい痛かったのか?
  6. 『東西の奇怪な人魚伝承』食されたザン、予言する神社姫、皮を奪われ…
  7. 縁日の定番『金魚すくい』の意外な歴史とは 「金魚救いだった?」
  8. 戦国一酒癖が悪い男! 福島正則の破天荒すぎるエピソード

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『島だと思ったら怪物だった』 恐怖の大怪魚たちの伝説

魚、それは島国に住む我々にとって欠かせない食材である。特にマグロのような大型の魚は、可食…

ミッドウェー海戦 ~わかりやすく解説【負けるべくして負けた】

1941年12月、真珠湾への攻撃によってアメリカ太平洋艦隊の主力艦艇を壊滅させた大日本帝国海軍は、そ…

徳川家康は、なぜ駿府城で隠居したのか?

※徳川家康「海道一の弓取り」の異名を持ち、関が原の合戦に勝利して江戸幕府を開いた男。…

悪党は五度死ぬ?平安時代、天下を騒がせた「悪対馬」源義親とその名を継いだ者たち

古今東西、非業の死を惜しまれた者はとかく生存説がささやかれるもの。有名なところでは源義経(み…

呂布奉先 嵐を呼び続けた乱世のトリックスター【三国志最強武将】

ゲームでも大活躍の三国志最強の武将三国志最強の武将を議論する時に外せないのが、呂布奉先(りょ…

アーカイブ

PAGE TOP