飛鳥時代

額田王のドラマチックな生涯【二人の天皇に嫁いだ女流歌人】

額田王とは

額田王とは

※安田靫彦《飛鳥の春の額田王》滋賀県立近代美術館より引用 https://www.shiga-kinbi.jp/?p=17924

額田王(ぬかたのおおきみ・生没年不詳)とは、飛鳥時代に生きたとされる日本の皇族であり、日本の代表的な万葉歌人と称される女性である。

その名前は『日本書紀』に登場し、同書によれば、額田王は鏡王(かがみのおおきみ)の娘として生まれ、大海人皇子(おおあまのおうじ :後の天智天皇)に嫁いだあと十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだとされる。

謎の多い女性ではあるが、今回はこの額田王について解説する。

恋に翻弄された優れた歌人?

『万葉集』には、恋人たちが詠んだ多くの恋の歌が収録されている

額田王が詠んだ和歌は多く残されており、『万葉集』の中には長歌が3首、短歌が10首収録されている。

短歌というのは、現在でも多くの人に親しまれている、5・7・5・7・7の31音からなる詩歌のことで、長歌というのは、5音と7音を何度か繰り返したのち、7音・7音で結ぶ詩歌のことである。

また、短歌や長歌の他に、5・7・7・5・7・7の形式で詠われる旋頭歌(せどうか)や、恋人たちがお互いの想いを歌にのせてかわす相問歌(そうもんか)など、『万葉集』には非常にさまざまな種類の和歌が収録されているのである。

額田王が詠んだ和歌の多くは恋の歌だと言われており、そのことからも、彼女の生涯は情熱的な恋に溢れ、また恋に翻弄された美しい女性像というものが、後年になるにつれて出来上がっていったのではないだろうか。

後ほど触れる、2人の天皇との三角関係のエピソードもあいまって、額田王は美人だったのではないかという説があるが、残念ながら彼女に関する史料があまりにも少なく、その容貌に関しての記述は残っていないというのが現状である。

2人の皇子(天智天皇と天武天皇)のはざまで

大海人皇子は、のちの天武天皇となった

額田王は宮廷に仕える才女で、おそらく美しい上にずば抜けた歌の才能を持っており、一説には、采女という、地方豪族の娘が天皇や皇后の身の回りの仕事をする存在だったのではないかと言われている。

当時、大海人皇子と呼ばれていた天武天皇は、額田王を娶り、2人の間には娘も生まれて幸せに暮らしていたのだが、そこに現れたのが中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。

のちの天智天皇である。

中大兄皇子と大海人皇子は、同じ両親から生まれた同母兄弟である。

飛鳥時代と言えば文化が発展し、華やかな朝廷文化が栄えているイメージであるが、親子や兄弟での権力争いが激しく、時には戦や反乱が起こった厳しい時代でもある。

中大兄皇子は、権力のためならば身内をも抹殺する厳しい男として知られていたが、そんな彼が、弟の妻である額田王を見初める。

中大兄皇子は、弟・大海人皇子に「自分の娘を妻として差し出すので、代わりに額田王を妻にほしい」と申し出た。

大海人皇子は、自分の政治的立場を考えると、兄に従うのが得策だと考え、額田王を中大兄皇子の後宮へと差し出したのだと言う。

額田王も自身や娘のことを考えて、中大兄皇子の妻になることを承知したのではないだろうか。

有名な相聞歌「あかねさす…」

長い間、大海人皇子が中大兄皇子の跡継ぎで自分の甥である大友皇子に対して反旗を翻した「壬申の乱」は、額田王を兄である中大兄皇子に奪われたことによる復讐劇だった…という説が信じられてきたが、実際には「壬申の乱」と額田王をめぐる恋愛模様にはまったく関係がないらしい。

実際、大海人皇子と額田王の結婚生活はもっとビジネスライクだったのかもしれないし、もしかしたら無理やりに引き裂かれ、泣く泣く夫婦の別れを決意したのかもしれない。

額田王には謎が多いだけに、後年彼女を題材にした作品も多く創作された。

永井路子が書いた小説『茜さす』も、現代の女子大生が額田王の研究を続けていくうちに、彼女の生き方に惹かれていく…という話である。

この小説になっている『茜さす』という言葉だが、こちらは、額田王が晩年にかつての夫である大海人皇子と交わした相聞歌からとられた言葉である。

茜さす/紫野ゆき/標野ゆき/野守は見ずや/君が袖振る―――額田王
(現代語訳…あかねさす紫草の咲く野を行き、あなたは野を行くけれど、私に袖をお振りになるのを、野守(番人のこと)が見とがめはしないでしょうか。)

紫の/にほへる妹を/憎くあらば/人妻故に/吾恋ひめやも―――大海人皇子
(現代語訳…紫草のように美しいあなたを憎いと思うなら、どうして人妻であるあなたを恋い慕うだろうか。)

元夫婦の道ならぬ恋だろうか?と少しドキッとさせられてしまうような一対の相聞歌であるが、実はこの歌が詠まれた頃、大海人皇子も額田王もともに高齢で、過去の恋を引き合いに出して、戯れに詠んだ歌だと言われている。

それにしても、権力や血筋を残すことが第一である朝廷の夫婦観の中に生きたとしても、この額田王と大海人皇子の関係は、なんとも味わい深いものだと言えるだろう。

額田王のドラマチックな生涯

この記事では、随一の歌人と言われながらも、謎に包まれた生涯を送った額田王について調べてみた。

額田王は、中年時代に、まだ年若い娘を亡くし、悲嘆にくれたこともあったというが、当時としては長生きと言える60数年間の生涯を全うしたとされている。

60歳をすぎてもなお、20代の若者と相聞歌のやりとりを続けていたそうだ。

そんな彼女のドラマチックな生涯を堪能したい方は、井上靖「額田女王」をぜひご一読いただきたい。


揺れる女性心を見事に描き切った大作である。

 

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アオノハナ

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コメント

  1. アバター
    • todo
    • 2023年 7月 08日 7:35pm

    万葉詩人の女流が創った歌、また相聞歌は実に味わい深い。周防の内侍とも比べて鑑賞しています。有り難う御座います。

    0
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  2. アバター
    • 名無しさん
    • 2025年 7月 28日 9:13pm

    この記事を書くにあたっての参考文献はありますか?あれば、全て教えください

    0
    0
    • アバター
      • 草の実堂編集部
      • 2025年 7月 28日 11:17pm

      当時のライターさんはもうやめておりまして、記事中にある井上靖「額田女王」などが該当するかと思いますが、それ以外の詳細は確認できないのが現状です。
      何か間違いや気になる箇所がございましたらお手数おかけいたしますが、追記いただけますでしょうか。
      私の方でも改めて、検証、修正など対応させていただきます。

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