安土桃山時代

豊臣秀次はなぜ切腹することになったのか? 「妻子や侍女たちも斬首、豊臣家弱体のきっかけ」

今回は秀吉の晩年の愚行の一つと言われている豊臣秀次切腹事件について迫る。

豊臣秀次が切腹することになった理由は諸説あるが、秀吉の実子・秀頼に跡目を継がせるためだったというのが通説だ。

しかし、通説以外にも多くの説があるので、その中から信憑性が高そうな説を紹介していきたい。

豊臣秀次切腹の通説

画像 : (月岡芳年『月百姿』)高野山の豊臣秀次 public domain

豊臣秀次は秀吉の同父姉である日秀尼の長男、つまり秀吉からすると甥である。

1568年生まれの秀次は、浅井長政の家臣だった宮部継潤の養子となり宮部吉継を名乗り、その後は三好康長の養子となり三好信吉となる。
その後、秀吉の関白就任に前後して羽柴秀次を名乗り、秀吉が豊臣性になると豊臣秀次となった。

1591年頃に秀吉が関白職を辞すると、秀次が関白となった。

しかし1595年、秀次に謀反の疑いが持ち上がり最終的には切腹となり、多くの妻子や関係者たちも打ち首・切腹・改易・流罪・追放されることになった。

小さな子供たちや姫君、側室、侍女、乳母たちだけでも39名が斬首され、姫たちの中には公卿・今出川晴季の娘・一の台や、「東国一の美少女」と呼ばれた最上義光の娘・駒姫(15才)もいた。

画像 : 駒姫像(専称寺蔵) public domain

【東国一の美少女 駒姫の斬首】 北方の猛将 最上義光は、なぜ家康に味方したのか?
https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/64537/

子供の遺体の上には母たちの遺体が積まれ、観衆たちは「余りに酷い」と奉行に罵詈雑言を浴びせたという。

前述したとおり、通説では「秀吉はいったん秀次を後継者と認めたが、実子である秀頼に継がせたくなり、秀次の罪をでっち上げて高野山で無理矢理切腹させた」とされている。

秀次の切腹理由 その他の説

画像 : 豊臣秀次像 public domain

ここでは通説以外の説を紹介する。

① 秀次と秀吉が本格的に対立していた説
② 秀次の悪行があまりにも度が過ぎていた説
③ 石田三成が讒言した説
④ 正親町天皇が崩御したにも関わらず、喪に服することなく愚行を重ねた説
⑤ 無実を証明するために腹を切った説

①については、様々な説が複合されたものとなっている。
秀吉と秀次の対立に関しては、蒲生氏郷が亡くなった際の遺産や領地の取扱で揉めたという説、秀次が鹿狩りにかこつけて秀吉を聚楽第に招き、兵を揃えて暗殺しようとしていた説などがある。『上杉家御年譜』

②については信憑性に欠ける。
一説には、秀次は鉄砲の練習で農民を射殺していた、弓で討っていた、試し切りで往来の人を切っていたというものがあるが、疑わしいとされている。

③についてはよく知られた説であり、秀吉が側室にしようとしていた菊亭晴季の娘・一の台を、秀次が横槍を入れて側室にしたことを三成がチクったという内容だ。
これは『川角太閤記』を元にした説でもある。
他にも、秀次が毛利輝元と独自の誓約を交わしたことを三成と増田長盛が疑い、秀吉に讒言した結果、切腹になったというものもある。

④については、太田牛一の『太閤さま軍記のうち』に記載があり、秀次は正親町上皇崩御の諒闇中に狩りをしていたようだ。
その行動が不道徳とされ「殺生関白」と呼ばれるほど秀次の評判は悪かったという説である。

⑤については、筆者が一番有力と考えている説だ。
まず、石田三成らが聚楽第にて秀次を詰問し、何らかの疑いをかけたのは事実であるようだ。
その後、秀吉から『秀次高野住山令』が出された。

通説ではその翌日に『秀次切腹命令』が出されたとされているが、この『秀次切腹命令』は偽書の可能性があるという。
というのも、『秀次高野住山令』は禁固刑で、『秀次切腹命令』は死刑だからだ。
短期間で禁固刑と死刑を連続して出すというのは考えにくい。実際に高野山には料理人が派遣されていることから、秀吉は秀次を長く高野山に留めておくつもりだったはずである。

すると『秀次切腹命令』は、実は出されていなかった、または出さざるをえない状況になってしまったと考えることができる。
つまり、秀次が「無実であることを証明するために腹を切った」可能性が浮上してくる。
切腹は、信長の育ての親である平手政秀のように、何が何でも伝えたいことがあっての『諌死』や『究極の請願』として行われることがある。

これが歴史の真実だとすると、秀吉はやむを得ず一族処刑を断行したことになるだろう。

現職の関白が切腹したことは政権にとっては大きすぎる事件である。それをケアするために「秀次の謀反」をでっちあげ、つじつまを合わせたとも考えられる。

いずれにせよ「秀次の死」は、多くの人材が失われる結果となり豊臣政権にとって大きなダメージとなった。秀吉の死後、豊臣家は一気に弱体化することとなり、歴史の転換点となったのは間違いないだろう。

参考 : 『上杉家御年譜』『甫庵太閤記』『太閤さま軍記のうち』他

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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