NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第6話『兄弟の絆』。
副題そのままに、豊臣兄弟と織田兄弟の絆の違いが鮮明に描かれました。藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)の絆の強さとは真逆だった織田兄弟の絆。
謀反の企てをした弟・信勝(中沢元紀)を殺した信長(小栗旬)は、それがトラウマになり人間不信になったというストーリーでした。
そんな闇を抱える孤独な信長の側にいるのが、妹・お市(宮﨑あおい)です。
ドラマのお市は、兄の心の内を見抜いたり、戦略をアドバイスしたり、戦の身支度を手伝ったりと距離が近く、兄妹の絆の強さを感じます。
今回は、お市の人柄が伺える逸話をご紹介しましょう。

画像:お市の方像(福井) photo-ac にゅじま
信長の妹から武将の妻、母というフルコースの人生
お市も、大河ドラマによく登場する女性です。
1965年の『太閤記』(岸惠子)から始まり、その後の代表的な作品を挙げると、2002年『利家とまつ~加賀百万石物語~』(田中美里)、2006年『功名が辻』(大地真央)、2011年『江~姫たちの戦国~』(鈴木保奈美)、2023年『どうする家康』(北川景子/茶々との二役)。そして2026年『豊臣兄弟!』(宮﨑あおい)になります。
時代とともに信長のキャラクターは少しずつ変化し、それに伴いお市のキャラクターも変化。
昭和の信長像は、絶対君主型、その後は冷酷な革命児という雰囲気も帯び、近年では孤独で繊細なカリスマというイメージが強まっているようです。
お市も、美しさと気品を持つ女性から、三姉妹の母としての覚悟を持ち政治的判断もする女性となり、単なる美女ではなく政治的感覚と芯の強さを併せ持つ女性といったイメージです。
実は、お市に関する歴史的な史料や評伝は、きわめて少ないといわれています。
分かっているのは、織田信長の妹から浅井長政の妻になり、三姉妹の母となり、やがて柴田勝家と再婚。そして最後に羽柴秀吉と柴田勝家の「賤ヶ岳の戦い」で悲劇的な最期を迎えたことです。
お市をめぐっては、「たとい女人たりといえども、こころは男子に劣るべからず」といった言葉が後世に伝えられています。
戦国という時代に翻弄されつつも、誇り高く強く生き抜いた……そんな芯のある女性像が思い浮かびます。

画像:浅井長政とお市の銅像 photo-ac 旅太郎
お市の夫・浅井長政の裏切りにより大ピンチになった信長
史実では、お市は信長が浅井長政と同盟を結ぶために、政略結婚させられました。
当時21歳前後とされるお市は、ひときわ美しい女性として知られていました。
長政はもともと朝倉氏と盟友関係にあり、この婚姻に積極的だったとは言い難い立場でしたが、信長の強い働きかけを受けて最終的に受け入れたと伝わります。
そうして結ばれた二人は、周囲がうらやむほど睦まじい夫婦だったようです。
お市にとって兄・信長は絶対的な存在であり、夫・長政はかけがえのない伴侶でしたが、やがて両者は刃を向け合うようになります。
この時、お市が小さな袋に小豆を入れ、両端を固く結んで送り「挟み撃ち」の危機を暗示したという逸話はよく知られています。
いわゆる「小豆袋」の話です。
元亀元年(1570)、舞台は越前国敦賀郡金ヶ崎。織田信長・徳川家康の約3万の連合軍に対し、朝倉義景の軍勢は約4,500とも伝わり(兵数は諸説あり)、両軍はこの地で対峙しました。
当初は織田・徳川側が優勢でしたが、信長の義弟である浅井長政が朝倉方についたことで情勢が一変します。
信長は挟撃の大ピンチとなり、撤退を余儀なくされました。
これは「金ヶ崎の退き口」「金ヶ崎崩れ」として知られています。
『信長公記』によれば、信長は浅井家と縁戚関係にあり北近江の支配も認めていたため、当初は長政離反の報を容易に信じなかったといいます。
しかし同様の知らせが相次ぎ、ついに退去を決断しました。
この危機を事前に察し、何らかの形で伝えたのがお市だったのではないかという説が、後世に語り継がれました。

画像:浅井長政の肖像画 高野山持明院蔵 public domain
兄の危機的状況を「暗号」で伝えた?
ある時、信長の元に、お市から陣中見舞いが届きました。
届いたのは「小豆が入った袋」。
甘いものが大好きな信長は小豆は大好物で喜んで受け取ったとか。けれども、はちきれんばかりに小豆が入った袋の両端がしっかりと結ばれていることに違和感を覚えます。
「これは、両側が締め付けられているので出口がない、という暗号ではないか?そして、中身が赤い小豆ということは、両側から逃げることはできず袋の鼠になり血が流れる、ということを示しているのではないか。」
つまり、「朝倉と浅井に挟み討ちにされます」というお市からのメッセージ……と気が付いたのです。
この小豆袋の話が事実であったなら、信長が危機を察する一助になった可能性はあります。
この話は、『朝倉義景記(朝倉家記)』に記されています。
「陣中ノ御菓子 可被成候トテ袋、小豆ヲ入 其袋ノ跡先ヲ縄ニテ結切り封ヲ付テ信長へソ贈ラレケル」
との文章が記されています。以下の赤線を引いた部分をご覧ください。

画像:朝倉義景記(国立公文書館デジタルアーカイブ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/M2014120921180997219
「暗号戦略」が頻繁に行われていた時代背景
とはいっても、この「小豆袋の逸話」はのちに創作された、という意見も多いのです。
ちなみに、この小豆の逸話は、2023「どうする家康」でも描かれていました。
お市の方(北川景子)の侍女・阿月(伊東蒼)が小豆を詰めた袋に「おひき候へ いち」の文を入れ、家康に届けるよう使いを出すも失敗。お市に恩義を感じている阿月が再度、命懸けで浅井の小谷城から金ヶ崎への10里(約40キロ)を走り抜いて伝える、という内容でした。
『朝倉義景記(朝倉家記)』に一文は記されているものの、明確な史実とは言い切れない。けれども完全な創作とも断言できない「小豆袋の逸話」。
戦国時代には、敵方に察知されないよう情報を伝える工夫が数多く行われていました。密書や口頭の符丁だけでなく、物や言葉に象徴的な意味を持たせる伝達方法も用いられていたとされます。
こうした時代背景を踏まえると、小豆を両端で結んだ袋で「挟み撃ち」を暗示したという逸話も、後世の創作と断じきれない余地はあるでしょう。
江戸時代に広まった?お市の小豆袋の逸話

画像 : 浅井長政夫人(お市の方) public domain
両端を固く結んだ小豆袋は、単に「挟み撃ち」を示す暗号というだけでなく、兄と夫のあいだで板挟みにあったお市の立場そのものを象徴しているようにも読めます。
兄を救えば夫を裏切ることになり、夫に従えば兄を見捨てることになる。その緊張関係を、一つの袋に込めたと解釈することもできるでしょう。
もっとも、この逸話の史料的裏付けは強くありません。
だからこそ、後世の人々の想像力が入り込む余地が生まれ、「こうであってほしい」という願いにより育てられたのかもしれません。もしくは、戦国時代、刀や弓矢や銃ではなく女性(妹)の知恵と機転が、信長の危機を救った……そんな物語を望んだのかも。
史料の空白を、時代ごとの道徳観が埋めていく。小豆袋の逸話は、その典型例の一つと見ることもできるでしょう。
参考:
お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像 (朝日新書) 黒田 基樹 (著)
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部























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