ミス・コンテスト、略して「ミスコン」とは、その名の通り独身女性を対象として容姿を競うイベントであり、世界各国で開催されている。
近年では水着での審査や、容姿に基づくランク付けが女性差別につながるなど、いくつか問題点も指摘されている。
その歴史は古く、日本においては明治24年の「東京百美人」が最初とされている。
ただしこの「東京百美人」は、あくまで参加した芸者100人で行われたイベントであり、一般女性を対象とした最も早いミス・コンテストは、明治41年に開催された「世界美人コンクール」の日本予選である「全国美人写真審査」である。
この日本初の一般女性を対象とした全国ミスコンでは、学習院女学部に通う福岡県小倉市長(末弘直方)令嬢・末弘ヒロ子(当時16歳)が、日本一となった。
しかし、ヒロ子は日本一になったことで学校を退学させられてしまう。そこには当時の女性の社会的な位置などの問題があった。
この美人写真コンテストをめぐって、一体何が起きていたのだろうか?
全国美人写真コンテスト開催、写真大募集
明治40年(1907)7月、アメリカの新聞社シカゴ・トリビューンが「世界美人コンテスト」を企画し、各国に応募を呼びかけた。
日本では時事新報社(福澤諭吉により創刊された日刊新聞)がこの企画に乗り、各地の新聞社20社以上の協力を得て、9月に美人写真の大募集を始めた。
この時、募集の第1条件として「女優・芸妓などの職業をしている女性の写真は採用しない」とした。自薦他薦は問わず最終的には約7千枚の写真が集まったという。
審査は、第1次審査で各地ごとに5位までを選び、それらを集めて第2次審査(最終審査)を行うというものであった。
この一般女性を対象とした「全国美人写真審査」は日本初であり、大変画期的なことであった。
義兄の応募で全国1位となった「末弘ヒロ子 16歳」
各地の新聞社は毎日のように募集記事を掲載した。1次・2次審査の入賞者への賞品も紹介され、全国1位になった女性には18金ダイヤ入り指輪値300円(現在の約100万円)が贈呈されることも決定した。
各地の契約写真店は「募集写真の撮影代を通常の半額にする」と発表し、次第に応募する人も増え協賛広告もあったという。
そして1次審査を通過した合計215人の写真が時事新報社に送られ、明治41年(1908)2月末に1位~3位を選ぶ第2次審査が本社で実施された。
審査員はいずれも時代を代表する歌舞伎俳優や洋画家、医師などの13人であった。
厳しい審査の結果、全国1位は福岡県小倉市(現・北九州市小倉区)市長・末弘直方の4女・末弘ヒロ子(16)に決定した。
3月2日、時事新報社の記者は本人に賞品を授与するため、ヒロ子が寄宿している東京の親族宅を訪ねた。
初めてヒロ子と対面した記者は、その時のヒロ子の印象を「写真がそのまま抜け出たようで、立ち居ふるまいは予想よりさらに美しい」と興奮気味に語ったという。
記者は改めてヒロ子に1位になったことを告げ、賞品を差し出した。するとヒロ子は「まあ」と一言叫んだだけで、ヒロ子の姉と義兄が礼を言った。
義兄の話によると「自分は写真家であり物好きで、ヒロ子や妻に無断で写真を送った」という。そのため義兄は『末広トメ子』と偽名で送ったのだった。
そのことを後にヒロ子に告げると、ヒロ子は「そんなことをされては嫌です!ぜひ早く取り戻して下さい」と泣いて頼んできたという。
そこで義兄は時事新報社に「もし写真が掲載される場合は匿名希望を望む」と伝えたようだが、結局うまく伝わらずに名前入りで写真が出てしまった。
後日、ヒロ子が学校へ行くと、すぐに友達たちが「時事新報に写真が出てますよ!」と話しかけてきた。ヒロ子は「私ではありません、名前が違うじゃないですか」と否定したが、学校中で話題となり、偽名であることもすぐにバレてしまった。
ヒロ子はその後、記者に対して「一等に当たったなんぞって、私本当に困ります。あの写真は一等か存じませんが、私は一等ではありません」と語ったという。
時事新報はその後、2位になった宮城県の金田ケン子(19)と、3位になった栃木県の土屋ノブ子(19)の写真と、本人や親族の談話を掲載した。
また、第1次審査を通過した215人の写真をまとめた『日本美人帖』を出版することを発表した。
日本一になったせいで、学校を退学処分に
ヒロ子の入賞に対して、ヒロ子が通う学習院女学部の態度は冷たかったという。
当時、学習院院長となっていた軍神・乃木希典(のぎ まれすけ)はじめ、学校側は今回の件を以下のように述べ、大問題とした。
「良妻賢母を育てる教育方針の中で、自分の容姿を誇示することは生徒としてあるまじき行為であり、他の生徒にも悪影響を与える」
学校はヒロ子を「停学」もしくは「退学」にすることを協議した。それを知った時事新報社の記者は、学習院の松本部長を訪ねて議論した。
記者は「ヒロ子の写真を送ったのは義兄であって、本人はコンテストに参加する意志はなかった!」と力説したのである。
しかし実は学校側も、ヒロ子の写真を送ったのは義兄であることは既に知っていた。
これを聞いた記者は「学校がそのことを知っているうえでヒロ子を処分するのはおかしい!」と主張し続けた。
さらにコンテストにはヒロ子以外にも応募していた生徒がおり、「全国1位になったヒロ子だけを処分するのはなぜか?」と問い詰めたのである。
こうした記者の主張に対して学校側は「他の生徒の応募については昨日知ったばかりで処分は検討中」とし、「ヒロ子の処分も未確定」などと答え、はっきりとした答えを出さなかった。
このような学校の姿勢を時事新報社は批判した。
他の新聞社でも「美貌は婦人の一徳であり、日本一の美人に選ばれたことはヒロ子本人だけでなく末弘家にとっても光栄なことで、学校にとっても名誉なことであるはずだ」と主張し、学校の態度を批判した。さらに「もし問題があるとすれば、それはヒロ子が学校に留まることが出来ないほどの他の生徒達の嫉妬だ」とまで述べた。
その後、ヒロ子の父親・末弘直方が上京した。
学期終了後、父・直方はヒロ子を地元の小倉に呼び戻そうとしていたが、このような汚名を浴びて退学することは遺憾として、乃木希典院長と面会したのである。
すると乃木院長は「コンテストの賞品を受け取らなければ処分はしない」という見解を出したので、それで事態は一件落着したようにみえた。しかし結局、乃木院長はヒロ子の自主退学を勧告したのだった。
そして3月20日、ついにヒロ子は退学届を学校に提出した。
ヒロ子が退学した後、世間からは時事新報社を中傷する声も上がったが、時事新報社は企画の意義と正当性を主張した。
その内容は
「この企画は単なる娯楽ではなく、わが国の実情を世界に周知する好機である。国際関係を円滑にするために国情の一端を紹介することは意義あることである」
というものであった。
退学後、すぐに結婚
それから半年余り経った1902年10月6日、なんとヒロ子は侯爵・野津道貫の息子で砲兵中尉・野津鎮之助(のづ しずのすけ 24)と結婚した。
野津鎮之助の父・野津道貫と乃木希典は、日露戦争を戦いぬいた戦友であった。
この結婚は「ヒロ子の退学のことで責任を感じた乃木が野津に頼み込み、ヒロ子に良縁を斡旋したものだ」と世間では囁かれた。
しかし実際には、野津道貫とヒロ子の父・直方は旧知の仲で、ヒロ子と鎮之助の結婚は以前から両家の間で決まっていたという。
挙式は翌年春の予定であったが、道貫が病気で倒れたためヒロ子は父と共に上京し、道貫を献身的に看病した。
道貫は「心の優しいヒロ子を早く結婚させてやりたい」と常に言っていたという。それから道貫の病状が進んだため、予定よりも早く式を挙げることになったのだ。
その後、すぐに道貫は亡くなり鎮之助が爵位を継ぎ、ヒロ子は侯爵夫人になった。
当時の日本において乃木希典は「日露戦争で活躍した英雄」として崇拝される存在であり、ヒロ子に結婚を斡旋したという逸話は乃木の心の優しさを示した『英雄のエピソード』として広まったものだと考えられる。
ちなみにヒロ子の結婚から3ヶ月余り後の明治42年(1909)1月、「シカゴ・トリビューンに送られたヒロ子の写真が世界6位になった」という記事が載ったが、これは写真の到着順であったという。結局コンテストは各国からの写真がなかなか集まらず、うやむやのうちに終わったとされている。
その後のヒロ子の晩年の姿については、「第2次大戦後直後にヒロ子を何度か見かけた」というヒロ子の姉の孫にあたるジャズピアニスト・山下洋輔の話がある。
山下は、その時のヒロ子について「曲がった腰と丸くなった背中、両手にリューマチを患っている老女で、子供には近寄り難かった。それらの印象から密かに『カイブツ』と呼んでいた」と語っている。
その後、ヒロ子は昭和38年(1963)3月に亡くなった。(享年69)
当時の女性の理想はあくまでも『良妻賢母』であり、女学校を卒業した令嬢が社会に出て働くということはほとんどなく、良縁を待つことが普通であった。女学校在学中に結婚相手が決まれば中退して結婚することも多く、さらに美人であれば結婚に有利であった。
ヒロ子の場合は父親がヒロ子を小倉に呼び戻すつもりでいたが、美人写真コンテストのことがあり退学させられることになってしまった。
コンテストは当時において画期的なイベントであったが、まだ女性が厳しい環境に置かれていた時代だったことがわかる。
参考文献 :
井上章一 「美人コンテスト百年史」 新潮社 1992
黒岩比佐子 「明治のお嬢様」 角川学芸出版 2008
山下洋輔 「ドバラダ乱入帖」 集英社 1993
ポーラ文化研究所編 「幕末・明治 美人帖」 新人物往来社 2002
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