令和9年(2027年)のNHK大河ドラマは「逆賊の幕臣(ぎゃくぞくのばくしん)」。令和3年(2021年)大河ドラマ「青天を衝け」以来6年ぶりの幕末モノですね。
本作の主人公は小栗忠順(おぐり ただまさ)。別名を小栗上野介(~こうずけのすけ)などとも呼ばれました。
勝海舟(かつ かいしゅう)のライバルとして活躍ながら、逆賊として歴史の闇に葬り去られてしまった幕臣。タイトル的にはまさにそのままですね。
中には「小栗上野介忠順?誰それ?」という方も少なくないと思うので、今回は小栗上野介忠順について、簡単に紹介。
再来年の予習をしておきましょう!
日本の近代化を推進

画像:小栗忠順 Public Domain
小栗忠順は文政10年(1827年)6月23日、江戸は神田駿河台に居を構える名門旗本の家に生まれました。
幼名は小栗剛太郎(ごうたろう)、元服して通称を小栗又一(またいち)と改名します(忠順は諱)。
万延元年(1860)年に遣米使節の一員として地球一周の視察旅行を通じて知見を養い、欧米列強に対する危機感を高めました。
このままでは日本が滅ぼされてしまう……帰国した小栗忠順は徳川幕府の要職を歴任しながら、欧米の技術を日本に採り入れていきます。
小栗忠順の主な業績として、洋式軍制の導入や横須賀製鉄所(のち海軍工廠)の建設、また幕府の財政再建などが挙げられるでしょう。
かくして日本の近代化を推進していた小栗忠順ですが、慶応4年(1868年)になると幕職を罷免され、所領に隠棲してしまいました。
これは第15代将軍・徳川慶喜が薩長軍閥(いわゆる新政府軍)に恭順する姿勢を示したためで、小栗忠順は主戦論(徹底抗戦)を唱えていたのです。
上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)で情勢を見守っていた小栗忠順。しかし同年閏4月6日、薩長軍閥によって捕らわれ、斬首されてしまったのでした。享年42。
小栗忠順・基本データ
生没:文政10年(1827年)6月23日生~慶応4年(1868年)没
別名:剛太郎(幼名)・又一(通称)・忠順(諱)
両親:小栗忠高/小栗くに子
妻妾:道子(建部政醇女)
実子:国子(小栗貞雄妻)
養子:小栗鉞子(よきこ。従妹)、小栗忠道(鉞子の許嫁)
主君:徳川家慶12代→徳川家定13代→徳川家茂14代→徳川慶喜15代
官位:従五位下/上野介
幕職:主なもののみ。
外国奉行、勘定奉行、南町奉行、歩兵奉行、講武所御用取扱、陸軍奉行並、勤仕並寄合、軍艦奉行、海軍奉行並など
戒名:陽寿院殿法岳浄性大居士
墓所:東善寺、雑司ヶ谷霊園、普門院
小栗忠順が遺した名言に、生き様が見える

画像:小栗忠順肖像 Public Domain
小栗忠順は救国の志篤く、数々の名言を遺しています。
ここではそのいくつかを紹介しましょう。
「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり。幕府が滅亡したるはこの一言なり」
……よく「どうにかなるさ」と言います。しかし誰かがどうにかしなければ、何もどうともなりません。
たとえ微力であろうと、自分には何かが出来る。そう確信して最善を尽くしたからこそ、幕末維新は成し遂げられたのではないでしょうか。
「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」
幕府の建て直しに奔走する小栗忠順を嘲笑った者に対する一言。
確かに幕府は滅ぶかも知れません。しかし幕府を建て直そうと重ねた努力は、きっと何らかの形で実を結ぶはずです。
事実、小栗忠順の努力は明治維新に結実しました。それを見ることなく世を去ってしまいましたが……。
「病の癒ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず。国亡び、身倒るるまでは公事に鞅掌するこそ、真の武士なれ」
こちらも同じく。例えば病気の親がいたとして、どうせ治らないからと薬を渡さないのは人の道に外れています。
国が滅亡し、生命尽き果てる瞬間まで希望を捨てず公の志に生きてこそ、真の武士と言えるでしょう。
「お静かに」
最後に、自分が斬首される瞬間、自分の死を惜しんで泣き叫ぶ領民たちにかけた言葉。
時を得ず刑場の露と消えることになっても、全力で生き抜いたのだから、もはや悔いることはありません。
だから最期は静かに逝かせてもらいたい。そんな小栗忠順の、清々しい心意気が込められた一言です。
小栗忠順とは、実にそのような生涯を駆け抜けた人でした。
終わりに
今回は幕末の名臣でありながら、無惨な最期を遂げることとなった小栗忠順について紹介してきました。
小栗忠順の高潔な生き方や真っすぐな言葉の数々は、現代に生きる私たちの胸を打ちます。
令和9年(2027年)NHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」今から楽しみでなりませんね!
【第66作・逆賊の幕臣】
脚本:安達奈緒子
主演:松坂桃李
参考文献:
・村上泰賢編『小栗忠順のすべて』新人物往来社、2008年3月
・富田仁ほか『横須賀製鉄所の人びと』有隣堂、1983年6月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
この記事へのコメントはありません。