べらぼう~蔦重栄華之夢噺

なぜ『春画』は江戸で大流行したのか?エロだけじゃないその意外な理由

春画は、江戸時代以前から描かれていた

一般に「性」という概念に対しておおらかであったといわれる江戸時代。

その風潮は、当時発達した色彩豊かな風俗画「浮世絵」にも表れています。

「浮世絵」には、美人画、役者画、相撲画、風景画といったジャンルがありますが、もう一つの人気ジャンルに「春画」がありました。

実は、この「春画」の歴史は古く、その起源は平安時代にまでさかのぼるという説があり、中国からもたらされたともいわれています。

※本記事に掲載している春画の画像は、歴史的・文化的資料として紹介しておりますが、閲覧に際し不快感を与えぬよう、一部に扇の画像を重ねるなどの加工を施しております。ご了承ください。

画像:中国の春画 public domain

日本最古の春画とされるものは、絵巻物の『小柴垣草紙(こしばがきそうし)』とされています。

現存するのは17世紀に、江戸前期を代表する大和絵師の一人・住吉具慶(すみよしぐけい)によって模写された写本であるという説が有力です。

なお、『小柴垣草紙』は、『十訓抄』巻第五に基づいた秘戯図で、10世紀後半に実際にあったとされる話をもとにしています。

その内容は、花山天皇の御代、斎宮(さいぐう)であった済子女王(さいしにょおう)が、伊勢神宮に奉仕するため洛西・嵯峨野の野宮(ののみや)で潔斎していた際に、滝口武者・平致光(たいらのむねみつ)に誘惑され密通したという噂が流れたため、野宮を退下し、伊勢下向が中止となったという逸話です。

画像:住吉具慶(『肖像集』)public domain

このように、『小柴垣草紙』は官能的な物語を題材とし、流麗な筆致による詞書と、濃密な描写の挿絵によって構成された、古春画の最高傑作とされています。

しかし、その描写のあまりの過激さから、公にされることはきわめて稀でした。

その後も春画は描き続けられ、戦国時代になると「勝絵(かちえ)」と呼ばれるようになり、出陣する武士たちは鎧を収める具足櫃(ぐそくびつ)に、厄除けのお守りとして忍ばせていたともいわれています。

なお、『小柴垣草紙』の最終章では、性行為のありがたさについて宗教的な言説を用いて説かれており、このことから春画が宗教的な縁起物として考えられていたことがうかがえるのです。

ほとんどの浮世絵師が春画を描いた

さて、「春画」と聞くと、現代では猥褻な作品というイメージを持たれがちです。

しかし江戸時代においては、老若男女を問わず親しまれる、ポピュラーな浮世絵の一ジャンルとして広く認知されていました。

画像:歌川国貞の春画(浮世絵ドットコム)

そのため、江戸時代を代表する多くの有名絵師たちも、春画を手がけています。

菱川師宣をはじめ、葛飾北斎、歌川国芳はもちろん、大河ドラマ『べらぼう』で蔦屋重三郎の良きパートナーとして描かれる喜多川歌麿など、名だたる絵師たちが春画を描き、その作品には堂々と自らの名前を記していました。

とはいえ、“題材が題材”だけに、さすがに幕府も黙ってはいません。

享保の改革以降、幕府の取り締まりにより春画は通常の形では出版できなくなり、本屋仲間による検閲を受けない「地下出版物」へと姿を変えていきます。

さらに、出版物や浮世絵に対して厳しい姿勢を示した寛政の改革、天保の改革以降は、作品に絵師や作者名、刊行年などの情報が記されることもなくなりました。
しかしその代わりに、絵師たちは自らの正体を隠すため、「隠号(いんごう)」と呼ばれる仮の名を用いて作者を暗示するようになります。

こうして春画は、絵師や版元が特定されないような形で出版されるようになり、本来記されるべき奥付(おくづけ)も設けられなくなりました。

幕府としては、誰が描いたか特定できないため取り締まりが難しく、絵師や作者たちは、むしろ自由な感覚で自身の芸術を世に発表することができたのです。

画像:喜多川歌麿による春画(浮世絵ドットコム)

さまざまな説があるものの、一説には「春画こそが浮世絵の最高技術を凝縮したもの」とも言われています。

そのためか、有名絵師を含め、ほとんどの浮世絵師が春画を手がけました。

では、以下に代表的な絵師の隠号をご紹介しましょう。

●葛飾北斎(かつしか ほくさい)/隠号:鉄棒ぬらぬら・紫色雁高(ししき がんこう)
●渓斎英泉(けいさい えいせん)/隠号:淫斎白水
●歌川国芳(うたがわ くによし)/隠号:一妙開程芳(いちみょう かいほどよし)・三返亭猫好・五猫亭程よし・自猫斎由古野
●歌川国貞(うたがわ くにさだ)/隠号:婦喜用又平(ぶきよう またへえ)
●勝川春章(かつかわ しゅんしょう)/隠号:腎沢山人(じんたく さんじん)
●柳川重信(やながわ しげのぶ)/隠号:艶川好信(えんせん こうしん)
●歌川広重(うたがわ ひろしげ)/隠号:色重(いろしげ)

画像:歌川国貞の春画(浮世絵ドットコム)

「鉄棒ぬらぬら」「淫斎白水」「婦喜用又平」など、春画の作者として実に言い得て妙な隠号ばかりです。

これらの中には、江戸の町人文化の華とも言える「粋」や「洒落」といった美意識、さらには時の権力者をおちょくるようなニュアンスさえ感じられます。

人々が春画を購入した目的とは

では、ここからは江戸時代、春画を買うお客の目的についてお話ししましょう。

もちろん、“モノがモノ”ですので、自分の快楽のために購入する者もいましたが、それ以外の目的で求める人がほとんどだったと言われます。

春画は、もともとは宗教的な縁起物であったと述べましたが、江戸時代には「火避図(ひよけず)」とも称され、「持つことにより火事に合わない」と信じられていました。

この他にも、「箪笥に入れておくと虫がつかない」など、人々の間ではさまざまなご利益が囁かれていたのです。

画像:鈴木晴信の春画(浮世絵ドットコム)

もちろん、性教育のため、親が嫁入り前の娘のために購入することもありました。

しかし、春画が別名「笑い絵」と呼ばれたように、購入した者たちが酒席などの集いの場において、笑いや遊びのために使ったとも考えられるのです。

ここにも、江戸らしい「粋」や「洒落」が感じられるではありませんか。
田沼意次の政治が終わり、寛政の改革、天保の改革を経て幕末に向かう過程で、江戸庶民の多くが貧困に見舞われます。

しかし、そんな時代に生きながら江戸の人々は、街中で大食い大会を催すなど、明るく懸命に生き抜いていたのです。

そのような文化・文政時代に最盛期を迎えた春画。そこに描かれた男女を見ると、この浮世絵が「笑い絵」と称された理由が一目瞭然です。

一見して常識を超えるようなデフォルメで描かれた男女の身体表現は、古代において子孫繁栄や農業の豊作などを願うために造られた「陰陽石」を思わせます。

画像:奈良県飛鳥坐神社の陰陽石(撮影:高野晃彰)

春画に登場する人物のこうしたデフォルメは、宗教的な縁起ものであるとともに、観る者を笑わせるためのユーモアにあふれた画法だったといっても差し支えないでしょう。

※参考 :
『見てきたようによくわかる蔦屋重三郎と江戸の風俗』 青春出版社刊
樋口清之著 『もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社刊
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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