江戸時代

江戸時代における女性の魅力的な部位とは?「隠す」ことから生まれる官能美

江戸時代の日本人が持っていた美意識

画像:うなじに美を感じるようになったのはなぜなのか?※イメージ

江戸時代において、女性の体の中でもとりわけ官能的と意識された部位はどこだったでしょうか。

それは「うなじ」です。

現代の感覚からすると不思議に思えるかもしれませんが、なぜ首の後ろ側がこれほどまでに注目されたのでしょうか。

その背景には、当時のファッションと日本の伝統的な衣服の構造が深く関わっています。

「隠す」ことから生まれる美意識

西洋の美意識が身体の露出や曲線を強調する傾向にあるのに対し、日本の伝統的な美意識は「隠すこと」を前提とする側面がありました。

着物は本来、体の曲線を消す衣服です。
帯の下に補正用の布や綿を入れることで、全身のシルエットは直線的な筒状に整えられます。
これにより着用者の体型は外から分かりにくくなり、頭と手先以外の肌もほとんど覆われる状態になります。

西洋のドレスが胸元や背中を大きく開けて素肌を直接見せるのとは対照的に、視覚的な情報が極端に制限されるからこそ、隠された身体への想像力が働きます。

画像 : 着付け途中。衣紋を抜き、おはしょりを作っているところ public domain

和装には、後ろの襟を少し下げて着る「衣紋(えもん)を抜く」という技法があります。

正面からは見えませんが、女性が振り向いたり下を向いたりした瞬間にだけ、うなじが視界に入ってきます。

常にさらけ出すのではなく、ふとした動作のなかで一瞬だけ見える肌に、当時の人々は上品なエロティシズムを見出したのです。

遊郭から広まったファッション

うなじへの注目を社会全体に広げたのは、流行の発信源であった遊郭です。

遊女たちは島田髷(しまだまげ)など髪を高く結い上げ、うなじを露出させるスタイルを取り入れました。

画像:島田髷(しまだまげ)。名前の由来は東海道五十三次の島田宿(現在の静岡県島田市にあった宿場)の女郎に由来すると伝えられる public domain

この髪型は首筋を長く見せる効果があり、彼女たちが見せる最先端の装いは、浮世絵や小袖雛形本などの版本を通じて町中の女性たちへと広まっていきます。

このような流れを受けて、着物屋は襟の抜きをより深くした着物を仕立てるようになり、さらに芸者は「二本足」や「三本足」と呼ばれる独特の化粧を首筋に施すようになりました。

これは首の後ろにV字型に白粉(おしろい)を塗り、素肌との境界線を際立たせ、視線を意図的に誘導して首をより細く長く見せる技法です。

画像 : 芸妓の二本足 Daniel Bachler CC BY-SA 2.5

日常的な手入れと身だしなみ

うなじへの関心が高まるにつれ、当時の女性たちにとって「首元の手入れ」は欠かせない身だしなみとなります。

産毛がきれいに剃り上げられたうなじが美しいとされていたため、女性たちは日常的に襟足の毛を剃ったり抜いたりして整えていました。

自分では見えない部分であるため、家族や知人に手伝ってもらうことも多く、首の後ろを美しく保つための習慣が女性たちの生活に深く根付いていったのです。

髪型の変化と歴史的背景

しかし歴史を遡ると、うなじが常に注目されていたわけではありません。

平安時代の貴族女性は豊かな長い髪を垂らしており、首筋が見えることはほとんどありませんでした。

一方で、日常的に労働を行う一般女性は髪をまとめていました。
しかしこれは農作業など実用的な理由によるものであり、特別に美的な対象とは見なされませんでした。

状況が大きく変わったのは、江戸時代に入って複雑で装飾的な結髪(日本髪)が一般化したためです。

結い上げられた髪によって、それまで隠されていた首筋が公の目に触れるようになり、新たな美の基準として定着していったのです。

芸術と文学に刻まれた美

画像:鳥高斎栄昌の浮世絵。首元を強調するように描かれている public domain

うなじに対する強い関心は、当時の芸術や出版物に明確な記録として残されています。

浮世絵には、鏡越しに女性のうなじを描いた構図や、首すじの産毛を剃る場面が多く描かれました。

文化10年(1813年)に出版された美容指南書『都風俗化粧伝』には、首筋を美しく見せるための白粉の塗り方や、襟足の生え際を剃って整える方法が詳しく記されています。

首が短い人は髪を高く結い、衣紋を深く抜いて首筋を長く見せるべきだとも書かれており、うなじの美しさが当時の女性たちにとって切実な関心事であったことが分かります。

現代へ受け継がれる美学

明治時代以降、西洋文化の流入により美の基準は大きく変化しました。

胸や足といった部位に注目が集まるようになりましたが、うなじに対する独自の美学が完全に消え去ったわけではありません。

現代でも着物を着用する際、前をしっかりと合わせつつ、後ろの衣紋を抜いてうなじを見せる着こなしが美しいとされています。
舞妓や芸妓の伝統的な化粧、和装結婚式における花嫁衣装の着付けにも、江戸時代から続く技術がそのまま息づいています。

江戸時代の人々は、着物という制約の中でわずかに見える隙間に独自の美を見出しました。
この奥ゆかしい美意識は、現代の日本文化にも脈々と受け継がれているのです。

参考文献:
菊地ひと美『江戸の衣装と暮らし解剖図鑑』エクスナレッジ、2023年
村田孝子『江戸三〇〇年の女性美 化粧と髪型』青幻舎、2007年
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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