江戸時代は現代に比べると、性に関してかなりオープンな時代であった。
江戸の庶民の人々は、どのような性生活を送っていたのだろうか。
お金がある男女のデート
予算に余裕がある男女の場合、家以外でデートしたい時は「出会茶屋」に行くことが多かった。
出会茶屋とは男女が密会に利用した貸席のことで、現代のラブホテルのようなものであった。建物は2階建ての数寄屋造りが一般的であり、健全交際の男女よりも不倫カップルが利用するケースが多かった。そのため、緊急脱出用の裏口を設けてあるのが定番であった。
当時の不義密通はバレたら殺されてもおかしくない重罪であった。こうした事情で表向きは「茶屋」「料理処」という看板を掲げてカモフラージュしていたのである。
出会茶屋の料金は現代価格で換算すると2人で15000円〜20000円くらいとやや高めで、軽食もついていた。現代のラブホテルのようにご休憩とご宿泊の概念があったのかは不明である。
この出会茶屋が建ち並ぶ有名なスポットが上野・不忍池であり、「蓮茶屋」や「池の茶屋」とも呼ばれ、部屋から不忍池に浮かぶ蓮を眺めることが出来た。また河原の遊覧船で行為をするものもあった。
一般庶民のデート
一方で、一般庶民のデート場所はというと、どこでもありであった。蔵の中や物陰は当たり前、縁の下でも行われていた。
他にも人が住んでいない空き家でも行われていたが、空き家デートでは大家さんにバレることもあり、リスクが大きかった。
お金が無い一般庶民の男女は野外での行為も当たり前だった。また、一般庶民の住まいは壁の薄い長屋や実家だったりと、様々な事情からデートの場所が限られていた。そのためナンパやデートの際には、物陰や草むらの中等で行為に及ぶ男女が比較的多かった。
そして男女の行為は着衣のまま行うのが一般的で、体への愛撫には時間をかけずに、それよりも「回数」が大事という価値観であった。さらに江戸の男性達は女性の胸にも関心が薄く、今ほど性的な象徴でも無かった。
また、江戸時代は男女混浴だったため、銭湯も立派なデートスポットであった。カップルで無くても薄暗い浴槽の中で女性の体を触る男性も存在し、そのようなことが頻繁にあったため、風紀が乱れるという理由で1791年の寛政の改革で男女混浴が禁止された。
他にもデートスポットとして季節ごとのイベントである花見や蛍狩もあった。当時は芝居などの娯楽もあったが、お金がかかってしまう。しかし男女のそれなら出会茶屋等を除けば、身近で刺激を受けられる庶民の最高の娯楽であった。
夜這い文化
江戸時代の性文化で代表的なものに「夜這い」がある。
夜這いは農村部で江戸〜近代まで長く続いたもので、もちろん双方の合意のもとで行われた。事前に男性側が女性側に「今夜行く」ということを知らせておく場合もあった。
当然女性には拒否権があり、今と同じく女性に強引に迫ったりすると罰せられたり、集落内で村八分にあったりした。周りにいる他の人々は危ない男から女性を守るために目を光らせていた。
また、正しい夜這いのシステムは、若い男性への性指南や未婚率の低下にも役立った。
男性は年上の女性に手ほどきを受けて自信をつけ、好意を持っている女性との交際や行為のために備えていた。
江戸時代には恋愛や性事情に関する沢山のマニュアル本があった。また娘に春画を持たせ、嫁入り前の性教育に利用したという話もある。
恋愛指南本、性行為の指南本まで出版されており、人々はナンパから行為までの内容について、これらの本を参考にしていた。
女性の初体験について
江戸時代、結婚の適齢期は15、16歳とされていた。
そのような時代背景から、それ以前に初体験を済ませている女性が多かったとされる。現代でも結婚するまで行為を頑なに拒否する女性は少数なので、現代の価値観に近い。
これが明治時代以降になると、西洋諸国の文化やキリスト教の教えを積極的に取り入れ始め「女性は皆、結婚するまで純潔を守るもの」という考えが浸透していった。
江戸時代の女性は「処女である」ことがそれほど重要とは考えておらず、むしろ沢山の異性と関係を持ち、男性のことを熟知しておきなさいという程の風潮や文化があった。デートと性行為はほぼ同じことであり、そして男性の理想の女性として「おおらかで一緒に行為を楽しめる女性」ということが求められた。
当時の江戸の男女比はおおよそ2対1で、女性は男性達から引っ張りだこであった。そのためデートも性交渉も基本的に主導権を握っていたのは女性であり、現代の女性よりも積極的であった。
ただしこれは庶民の女性のことであり、豪商家庭や武家の女性になると違う。
武家の女性たちは一家の血筋を政治的に繋げていく役目があり、婚前交渉などはリスクがあり出来なかった。ほとんど自由は無く、初体験も婚約者である場合が多かった。
大胆すぎる夫婦の性生活
江戸時代の性生活・夫婦の営みは「見られても聞こえても気にしない」というものであった。
一般庶民の住まいと言えば長屋だが、壁は薄く行為の際の声や音が筒抜けであった。長屋は現代のワンルームマンションほどの広さで、そこに家族一同で住んでいた。
そうなると性生活において、隣や外に声がもれたり聞かれたりしても特に気にしない夫婦が多かった。その傾向は熟年夫婦に多かったという。
子供がいる家庭では、寝ている子供の横で行為に及ぶこともあり、その様子が春画に描かれているものもある。
さらに江戸時代には妻の浮気が当たり前のように行われており、「不倫は死刑、不倫された側は配偶者や不倫相手を亡き者にしても不問」という厳しい法があったにも関わらず、不倫自体が当たり前のように行われていた。
当時は専業主婦がほとんどで家事にかける時間も現代より短く、夫が留守の時にその辺の男性を引っ張り込んだり、ナンパについて行くこともよくあった。夫は妻の浮気や不倫が分かっていても、自分が好きになった妻が罪に問われることが嫌なため、知らないふりをして夫婦生活を続けるパターンが多かった。
また、江戸時代の夫婦生活の楽しみの1つに、パートナーの交換が行われていた。2組の夫婦がお互いのパートナーを交換するスワッピングである。乱交に近いものも行われていたという記録も残っている。
現代の視点から見ると、当時の性事情がこれほどにオープンだったことは驚きだが、江戸の庶民にとっては1つの娯楽として楽しんでいたことが分かる。
参考文献 : 江戸の性生活夜から朝まで
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