謎の絵師として、ほんの一年足らずで浮世絵界に衝撃を与えた東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)。
その正体については諸説あるものの、近年では斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべゑ)だとする説が有力のようです。
果たしてこの斎藤十郎兵衛とは何者かなのか、今回調べてみましょう。
約10ヶ月の浮世絵師生活
斎藤十郎兵衛は宝暦13年(1763年)、阿波徳島藩主・蜂須賀家に仕える能役者の子として誕生しました。
父親は斎藤与右衛門(よゑもん)、祖父は斎藤十郎兵衛。代々交互に名乗っていたようです。
初名は斎藤源太郎、喜多座に所属する地謡方(じうたがた)で、下掛宝生流を務めたと考えられています。
斎藤月岑『増補浮世絵類考』では写楽斎(しゃらくさい。洒落臭いのダジャレ)として、このように紹介されました。
……俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也……
どうやら十郎兵衛は、八丁堀地蔵橋(現代の日本橋茅場町)の辺りに住んでいたようですね。
八丁堀には徳島藩が江戸屋敷を構えており、また能役者も務めていました。
東洲斎という名乗りが江戸城の東にある洲(中洲)とすれば、確かに八丁堀は適所と言えます。
もし十郎兵衛が写楽だったとすれば、寛政6年(1794年)5月~翌寛政7年(1795年)1月の約10ヶ月(※)で多数の浮世絵を発表。そして忽然と存在を消したのでした。
(※)寛政6年(1794年)には閏11月があるので10ヶ月なのです。
約10ヶ月の期間で発表した作品数は、役者絵134枚・相撲絵7枚・武者絵2枚・役者追善絵2枚・恵比寿絵1枚のほか、相撲版下絵10枚・役者版下絵9枚が確認されています。
写楽の画風には、勝川春章・勝川春好・勝川春英・鳥居清長・流光斎如圭ほか、狩野派や曾我派などの影響を受けているそうです。
しかしなぜこの期間だったのでしょうか。一説にはこの期間中、藩主の蜂須賀治昭(はちすか はるあき)が参勤交代で国許へ帰って不在だったことから、比較的自由にできたためだとか。
本当は絵を描きたいけど、家職を重んじるため、藩主の不在時にしか絵を描けなかったのかも知れませんね。
忽然と姿を消した写楽がそれ以降絵筆をとることはなく、文政3年(1820年)3月7日、斎藤十郎兵衛として58歳の生涯に幕を下ろしたのです。
リアル過ぎて流行らなかった写楽
今回は東洲斎写楽の正体?とされている斎藤十郎兵衛について、その生涯をたどってきました。
東洲斎写楽の正体については昔から議論があり、斎藤十郎兵衛の他にも様々な人物が取り沙汰されています。
・歌川豊国(うたがわ とよくに。浮世絵師。初代)
・歌舞妓堂艶鏡(かぶきどう えんきょう。浮世絵師)
・喜多川歌麿(きたがわ うたまろ。浮世絵師)
・山東京伝(さんとう きょうでん。戯作者)
・十返舎一九(じっぺんしゃ いっく。戯作者)
・司馬江漢(しば こうかん。絵師・蘭学者)
・谷素外(たに そがい。俳人)
・谷文晁(たに ぶんちょう。文人画家)
・土井有隣(どい ゆうりん。洋画家)
・中村此蔵(なかむら このぞう。歌舞伎役者)
・円山応挙(まるやま おうきょ。絵師)
……などなど。何なら写楽を売り出した蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう。板元)自身が写楽の正体とする説もあるとか。
ちなみに写楽の絵は発売当初あまり評判がよくなかったそうで、それと言うのも描画対象の特徴をよくも悪くも誇張して描き出すスタイルが、ウケなかったと言われています。
……顔のすまひのくせをよく書いたれど、その艶色を破るにいたりて役者にいまれける……
※『江戸風俗惣まくり(川崎重恭ら編『江戸叢書』巻の八 所収)』より
【意訳】顔の特徴を巧みに描いているが、リアル過ぎてイメージを損なってしまうと役者から嫌われた。
……これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而(て)止ム……
※仲田勝之助編校『浮世絵類考』より、大田南畝のコメント
【意訳】歌舞伎役者の似顔絵を描いたが、あまりにもリアル志向が過ぎたため、役者もファンも幻滅させて足かけ2年で引退してしまった。
ファンは役者に夢を見たくて絵を買うものですから、写実的過ぎる写楽の画風は受け入れられなかったようです。
これには蔦重も困ってしまい、写楽と話し合ったものの折り合いがつかず、芸術性の違いから筆を折ってしまったのかも知れませんね。
終わりに・唐丸は写楽になる?
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」をめぐるネット界隈において、東洲斎写楽の正体について「謎の少年・唐丸ではないか」という噂が立っているようです。
確かに蔦屋重三郎も「謎の絵師としてデビューさせる」ようなことを言っていたので、誰もが謎の絵師と言えば……写楽を思い浮かべたことでしょう。
しかし浮世絵ファンならずとも、多くの視聴者が知っている「謎の絵師」に、そのまま写楽を当てはめるのもいささか安直な気もします。
果たして写楽の正体は唐丸なのか、斎藤十郎兵衛なのか、それとも別の誰か……気になりますね!
※参考文献:
・定村忠士『写楽 よみがえる素顔』読売新聞社、1994年12月
・中嶋修『〈東洲斎写楽〉考証』彩流社、2012年9月
・仲田勝之助 編『浮世絵類考』岩波書店、1941年9月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
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