大河ドラマ「べらぼう」の舞台となっている吉原では、年間を通じて観光客が集まる時期がありました。
それは「吉原三景」と呼ばれる「桜並木・夏の玉菊灯籠・俄(にわか)祭り」でした。その中でも、豪華さや華やかさにおいて群を抜いていたのが、三月の桜並木です。
時期になると、吉原の大門をくぐったメインストリート仲之町に、他所から運ばれ移植された桜並木が出現したのです。
ピンク色の雲のような桜並木、赤い格子の妓楼、店先のぼんぼり、足元に咲く山吹など、まるで現代のテーマパークのように彩られた新吉原。いつもとは全く異なる幻想的な華やかさに、江戸っ子はもちろんのこと、地方からも老若男女の観光客が訪れて賑わいました。
こうした人工的に作られた桜並木は毎年話題となり、その美しさや雰囲気を背景に、実話をもとにした歌舞伎の演目が数多く生まれました。
今回はその中から、非日常的な幽玄美に酔わされたかのような、有名な復讐劇と悲劇をご紹介しましょう。

画像 : 吉原の桜並木 二歌川広重 public domain
桜咲く吉原で繰り広げられる復讐劇
吉原の桜を題材にした歌舞伎の演目の中でも、特に有名なもののひとつが『助六由縁江戸桜(すけろく ゆかりの えどざくら)』です。
この作品は、正徳3年(1713)4月に江戸・山村座で初演された『花館愛護桜(はなやかた あいごの さくら)』を原点としています。
さらにその元となったのは、元禄時代に上方で実際に起きたとされる侠客・万屋助六(よろずや すけろく)と遊女・揚巻(あげまき)の心中事件だといわれています。
一体、どのような事件だったのでしょうか。
吉原一番の花魁と、江戸の色男

画像 : 「助六」「揚巻」歌川国貞 public domain
物語の舞台は、満開の桜に彩られた新吉原仲之町の妓楼「三浦屋」。
登場するのは、吉原随一の人気と美貌を誇る花魁・揚巻(あげまき)。
彼女が新造や禿(かむろ)を大勢引き連れて現れると、続いて現れたのは白髪白髭の大金持ち・意休(いきゅう)でした。
彼は従者を従え、堂々たる姿で登場します。
意休は揚巻に入れ込んでいますが、揚巻には助六という恋人がいるため、まったく相手にしませんでした。
これに腹を立てた意休は助六を罵り始めますが、怒った揚巻は威勢のいい言葉でポンポンと長台詞でやりこめます。
意休が思わず刀に手をかけると、揚巻は一歩も引かず、「斬れるものなら斬ってみな!」と啖呵を切ります。
たじろいだ意休は、しぶしぶ刀を納めました。
そこへ、色男として名を馳せる助六が、派手な衣装で颯爽と登場。居合わせた花魁たちは競うように、助六に吸い付けたばこを差し出します。意休も同じように所望しますが、助六はなんと足の指にキセルを挟んで差し出す始末。
さらに助六は、あからさまな無礼を重ねて意休を挑発します。
怒りを募らせながらも、意休はその場をやり過ごし、店の奥へと姿を消していくのでした。

画像 : 『助六所縁江戸櫻』歌川國貞 public domain
家宝の刀を探すための曽我兄弟の計画
そんな中、助六に声をかけてくる白酒売りの男がいました。
実はこの白酒売り、正体は助六の兄・曽我十郎祐成(すけなり)であり、助六自身も曽我五郎時致(ときむね)だったのです。
曽我兄弟は、父の仇討ちと共に、紛失した家宝の刀「友切丸(ともきりまる)」を探していました。
そのため身分を隠し、吉原に出入りする侍客たちにわざと喧嘩をふっかけ、刀を抜かせることで、その人物が友切丸を持っていないかどうかを見極めようとしていたのです。
その後いろいろあり、最終的には、意休が友切丸を持っていることが分かります。
意休を追いかけようとして揚巻に止められ、一旦去るという終わり方をすることもあれば、助六が意休を斬って追っ手から逃げ、天水桶に飛び込み、水浸しになった助六を揚巻が袂で隠す……という展開になることもあるそうです。
ちなみに、現在でも親しまれている「助六寿司」は、この歌舞伎演目に由来するといわれています。
花魁・揚巻の名から「油揚げ(いなり寿司)」、助六が紫の鉢巻を巻く姿から「巻き寿司」が連想され、この名が生まれたという説があります。

画像 : 「揚」のいなり寿司、「巻き」を海苔で巻いた「巻き寿司」になぞらえ二つを詰め合わせた「助六寿司」。photo-ac HiC
桜咲き誇る吉原で出会った花魁に入れ込む悲劇
また『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』(通称:籠釣瓶)の話も有名です。
この話も吉原で実際に起きた「吉原百人斬り」と呼ばれる事件をもとに描かれた話で、現在でも人気演目となっています。

画像 : 「吾妻源氏雪月花之内花」三代 歌川豊国 public domain
惚れた花魁のあまりにも酷い仕打ち
舞台は、桜が咲き誇り、眩いほどの華やかさに包まれた吉原仲之町。
ある日、野州(現在の栃木県)からやってきた絹商人・佐野次郎左衛門が、初めて商用で江戸を訪れます。
そんな彼が偶然出会ったのは、絶世の美女と名高い、吉原随一の花魁・八ツ橋でした。
あまりの美しさに、次郎左衛門は一目で心を奪われてしまいます。

画像 : 花魁・八ツ橋 国政 public domain
その後、江戸に来るたびに八ツ橋のもとに通い詰める次郎左衛門は、金払いもよく温厚で実直な人柄で、上客として楼閣からも好かれました。
八橋も彼を手厚くもてなし、二人は非常に仲睦まじい様子だったとか。
そして、とうとう二人の間には身請け話が持ち上がります。
ところが八ツ橋には裏の顔がありました。
彼女はもともと武家の出身で、密かに付き合っていた恋人・栄之丞(えいのじょう)がいたのです。
しかも栄之丞は、八ツ橋の金で遊び暮らしていました。
さらに、両親亡き後に八ツ橋の親代わりを務めていた中間の権八が、彼女を金づるとして利用していたのです。
権八は、身請けされて金づるとして利用できなくなることを恐れ、栄之丞に嘘を吹き込みました。
そして栄之丞は八ツ橋に「次郎左衛門を振らなければ、お前とは別れる!」と迫ります。

画像 : 吉原の夜桜 歌川国輝 public domain
八ツ橋は、しぶしぶながら次郎左衛門に縁切りを告げます。
しかしその場は、よりによって身請け話を進めるために、彼が田舎から友人を招いていた座敷の場でした。
八ツ橋は突如冷たい態度で、
「あなたと口をきくたびに病が出るのです。身請けなど、まっぴらです」
と、皆が凍りつくような言葉を浴びせたのです。
深く傷つき、恥をかかされた次郎左衛門。
友人たちは陰で「やっぱりこんな結末か」とあざ笑いました。
次郎左衛門はその場で怒りを見せることなく、静かに引き下がります。
しかしその内心では、八ツ橋への憎しみと恨みを静かに燃やしていたのです。
妖刀に魅入られ、凄惨な事件を引き起こす
四ヶ月後、次郎左衛門は「もう何とも思っていない」と穏やかな表情で、再び吉原を訪れます。
妓楼の人々も安堵して彼を迎え入れ、八ツ橋も座敷に呼ばれ、皆で和やかに歓談のひとときを過ごしました。
やがて二人きりになると、突然、次郎左衛門は静かに杯を差し出し、「これがこの世の別れです。どうか呑んでください」と告げます。
その言葉に驚いた八ツ橋は逃げようとしますが、次郎左衛門は彼女の着物の裾を足で押さえつけ、名刀・籠釣瓶を抜いて、一太刀のもとに斬り伏せたのでした。

画像 : 「籠釣瓶花街酔醒」佐野次郎左衛門と八つ橋 豊原国周作 public domain
次郎左衛門は、何一つ許してなどいなかったのです。
四ヶ月の間に身辺整理をし、この世の未練を断ち切ったうえで凶行に及んだのでした。
彼が凶器として手にした籠釣瓶(かごつるべ)は「抜かずに秘蔵していれば祟りはないが、一度抜けば血を見るまで納まらない」とも語られる妖刀だったといいます。
八ツ橋を斬り伏せた次郎左衛門は、「籠釣瓶は、よく切れるなぁ」と不気味に微笑んだと伝えられています。
その姿こそが、この物語のクライマックスとなる場面です。
かつて深く愛した相手に、未練など一片も残らないほどの手酷い言葉を浴びせられ、心の奥底には「八ツ橋憎し」という激しい想いが渦巻いていたのでしょう。
だからこそ、本懐を遂げたその笑みは、哀しみのにじむものだったのかもしれません。

画像 : 佐野次郎左衛門と八ツ橋 豊原国周 public domain
今でも語り継がれる夜桜に彩られた吉原での物語
他所から移植された、かりそめの夜桜が咲き誇る吉原。
その華やかな舞台で、美貌の人気花魁をめぐって繰り広げられる復讐劇と、惚れた花魁に裏切られ、血を吸う妖刀に人生を狂わされた男の悲劇…
これらはどちらも、実際に吉原で起きたとされる出来事をもとに、歌舞伎という舞台芸術のかたちで描かれてきた物語です。
時を経た今もなお、人々の記憶に残り語り継がれています。
参考:歌舞伎演目案内『助六由縁江戸桜』
シネマ歌舞伎 松竹『籠釣瓶花街酔醒』
『歌舞伎江戸百景: 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』藤澤 茜
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部
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