べらぼう~蔦重栄華之夢噺

山東京伝(古川雄大)と結婚した遊女たち 〜その悲劇的すぎる末路とは【大河べらぼう】

戯作『御存商売物(ごぞんじしょうばいもの)』で一躍売れっ子作家となり、多くの名作を世に出した山東京伝(北川政演)。

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、古川雄大が女好きのお調子者として憎めないキャラを演じています。

そんな山東京伝は二人の妻を迎えていますが、いずれも元は吉原遊女でした。

今回は、山東京伝の妻たちを紹介したいと思います。

一人目の妻・菊園(お菊)とはどんな女性?

画像 : 菊園改めお菊(イメージ)

山東京伝が初めて迎えた妻は、扇屋の振袖新造・菊園(きくぞの)という遊女でした。

振袖新造とは下級の遊女で、二人は天明5年(1785年)ごろから交流するようになったと言います。

彼女の生い立ちや吉原遊郭へ売られてきた事情は不明ですが、おおかた実家が貧しくて売られて来たのでしょう。

菊園は、寛政元年(1789年)に年季が明けてからも扇屋に残り、花扇(はなおうぎ)花魁の番頭新造(秘書的存在)として働き続けました。

年季が明けても扇屋に残ったのは、京伝に会い続けられたからでしょうか。普通に結婚した方が早いようにも思いますが……。

実は京伝の方があまりその気じゃなかったらしく、一年ばかり二人の関係はほとんど進展がありませんでした。

別に夫婦の約束を交わしたわけでもないので、京伝に非はないものの、これでは菊園があまりに可哀想です。

さすがに見かねた主人の扇屋宇右衛門(おうぎや うゑもん)が、菊園を山東京伝の元へ送りつけたのでした。

「あのな京伝、もう菊園もいい歳だ。さんざん遊び倒して『飽きたからハイさようなら』ってのは、人としてどうなんだい?まぁ……忘八の俺が言うのも何だけど」

ここまでされては、さすがの京伝も年貢の納め時と観念したことでしょう。かくして寛政2年(1790年)2月、二人は晴れて夫婦となったのです。

京伝30歳(宝暦1761年生)、菊園27歳(宝暦14・1764年生)のことでした。

菊園は源氏名から「お菊」と名を改め、愛情あふれる家庭的な態度から舅や姑にも気に入られたと言います。

しかし幸せな結婚生活は永く続かず、わずか3年後の寛政5年(1793年)、お菊は血塊(ちのみち。子宮がん)で世を去ってしまいました。

当時の遊女たちは過酷な務めによって心身がボロボロになってしまうことが多く、お菊も例外ではなかったのです。

いっぽう京伝と言えば、苦痛に悶絶するお菊の姿に耐えられないため、吉原遊郭へ逃げ続けました。

お菊が危篤に陥ってもやはり家には帰らず、とうとうお菊は孤独の中で息絶えてしまいます。

さすがに他の家族は誰か立ち会っていたでしょうが、肝心の夫に見捨てられてしまった悲痛は、察するにあまりあるものです。

二人目の妻・玉の井(百合)とはどんな女性?

画像 : 玉の井改め百合(イメージ)

お菊と死別してから7年後の寛政12年(1800年)、京伝は二人目の妻として弥八玉屋の振袖新造・玉の井を20両(約200万円)で身請けしました。

玉の井はすでに両親を亡くし、幼い弟と妹を食べさせるために自ら身売りしたそうです。

京伝は彼女に対する同情から関係を深め、主人の玉屋弥八(たまや やはち)に頼み込んで、身請けさせてもらったのでした。

弥八「玉の井は、あと一年くらい年季が残っているんだけど……」

京伝「そんなこと言うなよ。この京伝が頼んでいるんだぜ?な?」

弥八「まぁ、先生のお気に入りとあって他のお客さんも遠慮してつかないし……いいですよ」

当時、京伝40歳に対して、玉の井は23歳。年齢差は17歳、江戸時代の感覚だと親子にも近い年の差婚ですね。

玉の井は百合と名前を改め、京伝の後妻として非常に大切にされました。

まず、あの京伝が、吉原通いをぱったりとやめてしまったのです。
彼女に愛情をかけているのはもちろん、散財を戒めて彼女に財産を残そうとしていたのでしょう。

また、文化9年(1812年)ごろに髪結の株を購入しました。株とは髪結師に商売させる権利で、これによって定期収入が入ります。
子供のいない百合が、自分亡き後も生活を安定させられるように考えてあげたのでした。

また、京伝は百合に対して愛情だけでなく、リスペクトも持っていたようです。京伝が新作を手がける際には、作品の構想を百合に聞かせて意見を求めたといいます。

先ほど紹介したとおり、二人の間には子供がいませんでした。そこで京伝は百合の弟と妹を養子に迎えて、大切に育てたそうです。
ただし弟は20歳ほど、妹は15歳で夭折してしまいました。

そんな悲しみも二人で乗り越えながら、京伝は百合を終生大切に愛し抜いたそうです。

しかし文化13年(1816年)9月2日、夫の京伝は脚気が元で急死。享年56。
ここで百合の幸せな結婚生活は、終わりを告げました。

夫も弟妹も喪った百合は、天涯孤独の身となり、悲しみのあまり心身に異常をきたしてしまいます。

さらに追い討ちをかけるように、京伝の弟である山東京山(きょうざん)がやってきました。

目当ては兄の京伝が遺した莫大な遺産でした。
百合の心神耗弱をいいことに、京山夫婦は彼女の財産をほとんど奪いとってしまったようです。

そればかりか、百合を離れの物置に幽閉してしまったのです。

孤独と失意の中、百合は文政元年(1818年)2月26日に世を去ります。享年40。

終わりに

画像:山東京伝像 wiki c Hannah

今回は、山東京伝が娶った二人の妻を紹介してきました。

先妻の菊園(お菊)も、後妻の玉の井(百合)も、それぞれに孤独な最期を遂げています。

よく尽くしたけれど、最後は京伝に見捨てられたお菊。そして京伝に先立たれ、義弟夫婦に虐げられた百合。
どちらがより悲惨で幸せだったか、比較することに意味はないでしょう。

若すぎる百合はともかく、お菊はもしかしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に登場するかも知れません。

もし登場するなら、誰がキャスティングされるのか、予想してみるのも楽しいですね。せめて劇中では、幸せでありますように……。

※参考文献:
・小池藤五郎『人物叢書 新装版 山東京伝』吉川弘文館、1989年9月
・佐藤至子『山東京伝 滑稽洒落第一の作者』ミネルヴァ書房、2009年4月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

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角田晶生(つのだ あきお)

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