平安時代

枕草子はなぜ生まれたのか?その誕生について調べてみた

『枕草子』と清少納言

枕草子』は平安中期、清少納言によって執筆された世界最古の随筆である。

春はあけぼの」で始まる第一段はあまりにも有名であり、学生時代必死に暗記した人も多いだろう。

枕草子はなぜ生まれたのか?その誕生について調べてみた

※枕草紙絵巻・清少納言

枕草子』は主に日常生活や四季の移ろいなどを観察した章段や、中宮定子(藤原定子)周辺の宮廷社会を綴った章段等からなる。

作者、清少納言は歌人として有名だった清原氏の家に生まれ、中宮定子に女房として仕えた。漢籍や和歌に通じ、機知に富んだ彼女は『枕草紙』の中においてもその才女ぶりを発揮している。『枕草子』で綴られる繊細な心の動きは、私たちの心にも豊かな衝撃を持って迫って来るものだ。

千年以上も前に書かれた『枕草子』、今なお人々の心に働きかける文章が生み出された背景には一体どういう経緯があったのであろうか。今回はその誕生について見ていきたいと思う。

枕草子が生まれたきっかけ

清少納言が『枕草紙』を書いたのはずばり、当時としてはとても貴重だった紙を手に入れたからだと言われている。というのも、『枕草子』の最後には次のようなことが綴られているのだ。

「宮の御前に、内の大臣の奉りたまへりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には史記という文をなむ、書かせたまへる」などのたまはせしを、「枕こそは侍らめ」と申ししかば、「さは得てよ」とて給はせたりしを、(後略)」

清少納言が仕える中宮定子が、内大臣伊周から紙を献上された。「これに一体何を書いたらいいだろうか。一条天皇は史記という物を書いているらしいけれど」と悩んでいた定子に対し、少納言は「それならば枕でございましょう」と答えたというのである。そして「ならば、お前に」と定子は少納言に紙を与えたのである。

自身が仕える定子から紙を与えられたこと、それが『枕草子』執筆に至ったきっかけだと考えられている。

ちなみに『枕草子』の「」とは何かということについては諸説あるが、定子の「天皇は史記(敷き)を書いているらしい」という言葉に対して「(敷き)ならば枕でしょう」としゃれて返したものだという一説がある。本当のところは定かではないが、如何にも才女たる清少納言らしい説だと私は思うのである。

清少納言と中宮定子の関係

では、お前に与えようと言って賜った紙に清少納言が書いた「」とは何だったのか。それは四季の観察や日々の宮廷生活での記録であった。

清少納言が女房として仕えていた中宮定子は当時の天皇、一条天皇の后である。関白、藤原道隆の娘として生まれ、一条天皇からも寵愛を受けた彼女は決して幸福なだけの人生ではなかった。定子の宮廷生活は『枕草子』に書かれるような華やかで美しい生活だけではなかったのだ。

枕草子はなぜ生まれたのか?その誕生について調べてみた

※枕草紙絵詞に見られる中宮定子の姿

定子は19歳の時に父、道隆を亡くし後ろ盾を失ったことを皮切りに、徐々に没落した人生を辿っていくのである。道隆が亡くなった翌年には権力争いに敗れた兄弟、藤原伊周が流罪となり、絶望のあまり定子は出家してしまう。

しかし、一度は出家したにも関わらず定子に対する一条天皇の寵愛は深く、一条天皇の意向によって還俗することになるのである。一度出家した人間が還俗するなど、異例のことであり批判の目が集まるのは言うまでもない。特に娘の彰子の入内を計画していた藤原道長にとっては到底面白くない話であった。結局のところ定子は、一条天皇の寵愛を受けながらも宮廷では肩身の狭い生活を送ることになる。

後ろ盾を失くし、宮中でも厳しい立場に立たされた中宮定子。そんな定子に7年間仕え、近くで彼女を支え続けたのが清少納言だった。定子の宮廷生活は決して華やかなものだけではなく、権力争いに巻き込まれ厳しい立場にも立たされた彼女の宮廷生活には確かに影もあった。けれど、『枕草紙』において定子の不遇な立場を綴っている描写は一切ない。時折清少納言自身の愚痴のような呟きが漏れることこそあれど、没落してからの定子の立場を綴ったことはなかった。

あくまで穏やかで、輝きのある宮廷生活のみを綴った『枕草子』を読んでいると清少納言と中宮定子の心地よい関係性が浮かび上がって来るように思える。

最後に

世界最古のエッセイ、『枕草子』は清少納言が主人、中宮定子から紙を授かったことから誕生した。

そして、そこに描かれたのは日々の穏やかな季節の移ろい、宮廷生活の中で清少納言が心を惹かれたちょっとしたもの、中宮定子の華やかな生活ばかりである。清少納言は主人の中宮定子が輝いていた頃のみに焦点を当て、同時に定子を纏っていた薄暗い影は一切そこには書かなかったのである。実際は不遇な人生を辿った中宮定子だったが、私たちが『枕草子』を読むときそこに暗い顔をした定子の姿は見られない。ただただ明るく、輝きに満ちた定子の姿が浮かぶばかりである。

そしてこれこそが、実は清少納言の思惑通りではないのだろうかとは思わずにいられないのだ。

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