光る君へ

【光る君へ】 三条天皇の眼病は怨霊の祟り?『大鏡』を読んでみた

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?

一条天皇の次に皇位を継承する三条天皇(居貞親王)は、冷泉天皇の皇子で花山天皇の異母兄弟に当たります。

約5年にわたり皇位に就いていたものの、絶えず叔父(※)の藤原道長から、譲位するように圧力をかけられ続けました。

(※)三条天皇の母は道長の姉・藤原超子(ちょうし。故人)です。

道長にしてみれば、自分の血を引く敦成親王(あつひら。一条天皇と藤原彰子の皇子。当時は春宮)を早く皇位に就け、権力を磐石にしたかったのです。

三条天皇は、後ろ盾となる両親も舅(藤原娍子の父・藤原済時)も亡くしており、道長に太刀打ちできる力はありません。
さらに三条天皇は眼病を患っており、これも譲位を迫られる弱点となっています。

この眼病の理由について、平安時代の歴史物語『大鏡』には、こんな記述がありました。

果たして何があったのか、さっそく読んでみましょう。

三条天皇の頭上に怨霊が!?

三条天皇。画像:Wikipedia Public Domain

……院にならせたまひて、御目を御覧ぜざりしこそいとみじかりしか。こと人の見奉るには、いさゝ変らせ給ふ事おはしまさゞりければ、そらごとのやうにぞおはしましける。御まなこなどもいと清らかにおはしけり。いかなるをりにか、時々は御覧ずる時もありけり。……

(中略)

……この御目のためには、よろづにつくろひおはしましけれど、そのしるしあることもなき、いといみじき事なり。もとより御風重くおはしますに、医師(くすし)どもの「大小寒の水を御ぐしに沃(いさせ)給へ」と申しければ、こほりふたがりたる水を多くかけさせ給ひけるに、いといみじくふるひわなゝかせ給ひて、御色もたがひおはし給ひたりけるなむ、いとあはれにかなしく人々見まゐらせける、とぞうけたまはりし。御病により、金液丹といふ薬をめしたりけるを人々「その薬くひたる人は、かく目をなむ疾(や)む」など、人は申しゝかど、まことには桓算供奉の御物怪(ものゝけ)にあらはれて申しけるは、物怪「御首にのりゐて、左右のはねをうちおほひ申したるに、うちはぶき動かすをりに、少し御覧ずるなり」とこそいひ侍りけれ。……

※『大鏡』六十七代 三條院天皇

【意訳】三条天皇が皇位に就かれてから、お目が見える期間は短かった。

外見は特に眼の異常があるようにも思えなかったので、冗談を言っているようにも見える。

眼球もいたって綺麗であったし、時々はちゃんと見えていたともいう。

(中略)

眼の治療にはあらゆる手を尽くされたが、特に快癒の兆しもなく、事態は深刻であった。

薬師らは「冷水で髪を洗うといいでしょう」とアドバイスするので、表面が凍りついた冷水を浴びたところ、大層凍えてしまう。

寒さのあまり全身をわなわなと震わせ、顔色もすっかり青ざめてしまい、人々は哀れに思ったそうな。

そんな中、特効薬として金液丹(きんえきたん)なる丸薬を服用していたが、これは水銀化合物である。

神経がやられてしまうため「この薬を飲んだ者は、みんな眼を病んでしまう」と心配したが、果たして眼病はどんどん進行していった。

しかし、三条天皇の眼が見えなくなるのは、実は物怪(もののけ)の仕業だということである。

※ちなみに人の怨霊は物怪(もののけ)と読み、人以外の怨霊は物怪(もっけ)と呼ぶ。

物怪は、桓算供奉(かんさんぐぶ)が化けたもので、翼を生やして三条天皇の頭上にとまって言うには

「私が左右の翼で主上(おかみ。三条天皇)の眼を覆い隠しているから見えないのです。時々私が羽ばたくと、その瞬間だけ見えるようになるのです」とのことであった。

道理で、眼に異常がないのに眼が見えないわけである。

桓算供奉とは何者?

三条天皇の眼病は怨霊の祟り?

イメージ

……ということでしたが、果たして桓算供奉(かんさんぐぶ)とは、何者なのでしょうか。

この桓算供奉は『大鏡』や『平家物語』に登場する僧侶の怨霊で、数々の祟りを起こしたと言います。

ただし、この桓算供奉が何の怨みで怨霊になったのか、なぜ三条天皇に害をなすのかはよく分かりません。

ちなみに供奉とは、宮中に奉仕していた高僧の職で、内供(ないく)などとも呼ばれました。

なお桓算供奉のモデルは、護念院律師と呼ばれた高僧・賀静(がしょう)ではないかという説があります。

賀静は、仁和3年(887年)から、康保4年(967年)1月9日にかけて生きた天台宗の僧侶で、天台座主の座をかけて争うも敗れ、無念の内に世を去りました。その怨霊が、三条天皇らに祟りをなしたというのです。

事を重く見た朝廷は、長和5年(1016年)6月19日に、僧正法印大和尚(そうじょうほういんだいおしょう)の称号を追贈。

その怨みを慰めたのでした。

終わりに

果たして金液丹のせいなのか桓算供奉のせいなのか、あるいは両方なのか、三条天皇の眼病が治ることはなく譲位を決断します。

三条天皇「我が皇子・敦明親王を春宮(皇太子)にしてくれるなら……」

道長「いいでしょう。お約束しましょう」

かくして三条天皇は、長和5年(1016年)1月29日に敦成親王(後一条天皇)へ皇位を譲ったのでした。

しかし、敦明親王は三条天皇の崩御後、道長によって春宮を辞退させられ、皇位は敦良親王(あつなが。後朱雀天皇)へと移っていきます。

まんまと皇統を奪われてしまった三条天皇の無念は、察するに余りあるものです。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、この場面がどのように描かれるのか、楽しみに見守っていきましょう。
※参考文献:
倉本一宏『三条天皇 心にもあらでうき世に長らへば』ミネルヴァ書房、2010年7月
佐藤球 校註『大鏡』国立国会図書館デジタルコレクション
文 / 角田晶生(つのだ あきお)

 

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『ロシア史上最も恐れられた皇帝』イヴァン雷帝の凶暴すぎた治世 〜…
  2. 神話や伝説に登場する「乗り物の怪異」 ~朧車からフライング・ダッ…
  3. 2026年大河【豊臣兄弟】 主役の豊臣秀長と腹心・藤堂高虎の深い…
  4. 織田信長の最強の家臣団の仕組み 「実力主義で選ばれた武将たち」
  5. 70年以上「鉄の肺」と共に生き抜いた弁護士 〜ポール・アレクサ…
  6. 『始皇帝、激怒』李信率いる20万の秦軍が大敗 ~老将・王翦はなぜ…
  7. 朝廷から特別な崇敬を受けた「二十二社」を紹介 ~王城鎮守を任され…
  8. 【最下層の踊り子から皇后へ】東ローマ帝国を救った「伝説の女帝」テ…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『海から来た怪物たち』世界各地に伝わる“半魚人”の神話と伝承

「半魚人」とはその名の通り、魚と人間をかけ合わせたような怪物であり、神話や幻想の世界において…

武士の嗜み「武芸四門」とは?武田軍の最高指揮官・山県昌景(橋本さとし演)かく語りき【どうする家康】

武田軍の最高指揮官山県昌景 やまがた・まさかげ(飯富昌景 おぶ・まさかげ)[橋本さとし]…

鬼玄蕃・佐久間盛政【秀吉に惜しまれながら斬首された若き猛将】

佐久間盛政とは猛将・柴田勝家の甥で「鬼玄蕃(おにげんば)」と異名が付けられた無類の強さを…

学校のプールの歴史について調べてみた

本格的な夏の到来前だというのに早くも連日真夏日やら猛暑日やらを記録している日本列島、地球温暖化を実感…

【人間の埋葬の歴史】 人類はいつごろから死者を埋葬し始めたのか?

古代の洞窟には、死者を埋葬した記録が残されている。世界中の多くの文化で、故人を埋葬し…

アーカイブ

PAGE TOP