戦国時代

戦国時代の軍の役職について簡単に解説 「侍大将、足軽大将、足軽組頭 ~他」

戦国時代の軍の役職について簡単に解説

戦国時代の小説や漫画、ゲームを楽しんでいると、様々な家臣たちの役職が出てきて頭を悩ませることがある。

現代の日本なら、平社員、課長、部長、社長など、シンプルな組織構造でわかりやすいが、戦国時代では様々な役職、呼び名が登場し、頭が混乱する方も多いのではないだろうか。

今回は組頭や足軽、侍大将などの役職をわかりやすく整理してみたいと思う。

戦場における役割を整理整頓する

戦国時代の軍の役職について簡単に解説

画像 : 武家奉公人 public domain

まずは、一般的な戦場での役職を上から簡単にまとめていく。

総大将、大将軍
侍大将、侍大将軍、番頭、部将
足軽大将、弓大将、槍大将、鉄砲大将
足軽組頭弓組頭、槍組頭、鉄砲組頭
足軽小頭
槍組足軽弓足軽、鉄砲足軽

これらの階級は主に戦場における役職や役割を示すが、戦地から離れれば立場は変わることがあるので、その点に留意する必要がある。

では、それぞれの役割について詳しく見ていこう。

■総大将、大将軍(大名がいるなら自動的にここ)

軍勢の指揮官として、最も分かりやすいポジションであるといえるだろう。
大名が率いる戦役ならば、大名がその役割を果たし、大名が不在の場合は指名された人物が指揮官としてこの地位に就くことが一般的である。

大名以外で分かりやすい例として、織田信長が晩年に各方面の軍勢(例えば北陸方面軍や中国方面軍など)を編成し、それぞれに総大将を指名したケースが挙げられる。羽柴秀吉が中国方面軍の総大将を務めたことは広く知られている。

■侍大将、侍大将軍、番頭、部将

画像 : 後藤又兵衛 public domain

様々な呼び方があるが、基本的な役割は同じである。

この地位は、軍全体を幾つかの隊に分けた時の各隊の指揮官のことを指す。たとえば、北条氏は赤・白・青・黄・黒の五色に分けて五隊に編成し、北条綱成は黄隊の侍大将を務めていた。
通常、ここには最も優れた人材が配置され、戦局を的確に判断し合理的な行動をとれる人物が多いほど、その軍勢は強かったといえよう。

後藤又兵衛可児才蔵など、猛将として名を馳せた人物が多く存在する。徳川の家臣団では本多忠勝榊原康政などが有名である。

■足軽大将、弓大将、槍大将、鉄砲大将(○○部将、○○頭となることも)

足軽たちを指揮する立場にあるのがこの役職だ。様々な呼称があるため、その定義を特定するのは難しい。

戦国時代には戦闘規模が拡大し、単独の侍大将では全体を統括することが難しくなったため、この役職が生まれたとも言えるだろう。

■足軽組頭、弓組頭、槍組頭、鉄砲組頭(足軽百人組の頭などが該当する)

足軽大将の直属の下に置かれ、一定数の部下をまとめる立場にある役職がこれに該当する。

秀吉は1562年に出世し、足軽百人組の頭となっている。

■足軽小頭(場所によっては足軽小頭が足軽組頭がほぼ同じ意味だったりする)

足軽組頭をさらにを分割し、約10人ほどの隊を率いる役職である。

軍によってはこの役職が存在しない場合もあるが、これは足軽組頭とほぼ同様の意味で使われるケースがあるからだ。

これは部隊の規模にもよるのだろう。

■槍組足軽、弓足軽、鉄砲足軽など

いわゆる一般的な足軽だ。
足軽は下級武士の立ち位置にあり、戦いがあるたびに金銭で雇われる雑兵とは異なる。

秀吉は1554年ごろ、信長の小者として仕え始めたが、その時点では足軽以下だった可能性が高い。
しかし、1560年の桶狭間の戦いには参戦しており、この頃には足軽にはなっていたはずだ。

1574年、秀吉は近江長浜城の城主となっているが、この頃には侍大将的な地位にいたことになるだろう。
1554年に小者として織田軍に参加し、20年後に城主の地位を手に入れたことを考えると、そのスピードは驚異的である。

晩年の織田信長の軍で考える

戦国時代の軍の役職について簡単に解説

画像 : 織田信長 public domain

大名によって区分けや身分が異なってくるので、ここでは晩年の織田軍団を例に見ていきたい。

時期としては本能寺の変の直前頃である。

織田信長(大名)

信忠軍・連枝衆・部将・外様衆・吏僚・旗本

このように大きく6つのグループ構成となっており、その中でさらに区分される形となっていた。

こちらも簡潔に紹介していこう。

○信忠軍

いわゆる「跡継ぎ」として軍を分けている形であり、その下に旗本や部将(侍大将)などが構成されていた。

○連枝衆

いわゆる「信長の親族の集まり」である。

信長は親族が非常に多かったので、兄弟やいとこ、子供、親戚を含めた構成となっていた。

○部将

独立した軍を動かす事が可能であり、武家の家臣団の中で最高位に該当する家老もここに入る。

戦場では総大将として指揮を任される立場であり、信長の晩年には各方面軍が次々と創設され、その軍団長がこの地位に就いた。

例えば、羽柴秀吉が中国方面軍を担当していた時の地位はここである。

○外様衆

徳川体制における「外様」は一般的には「遅く従属した者たち」が該当するが、織田軍の場合は少し違うようだ。

元々管領や奉行衆に属すなど身分は高かったものの「武将や吏僚として使えない」と信長に判断された者たちが属していた。

○吏僚

吏僚は政務に携わる内政担当の者たちで、右筆・奉行衆・同朋衆といった役職が該当する。

信長配下でわかりやすいのは村井貞勝だろう。

○旗本

いわゆる「馬廻・小姓」といった家臣団で、信長の直轄軍といった立ち位置になる。

佐々成政前田利家も若い頃はここからスタートしている。

おわりに

織田軍の構成は一例ではあるが、わかりやすいので是非参考にしてほしい。

このように、戦場では様々な特質に枝分かれした役職が重要な役割を果たしたのである。

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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