御成敗式目(ごせいばいしきもく)。特に日本史ファンでなくても、歴史の授業で「いー(良い)兄さんに(1232・貞永元年)」なんて語呂合わせを覚えた方も多いのではないでしょうか。
テストに出るから、何となく呪文のように覚えた(させられた)この単語。何かの法律であろうことはうっすら覚えています。
しかし、なぜこれを学び覚えるべきなのか(日本の歴史においてどのような意味を持つのか)、その価値を教えてくれる先生はまれでしょう。もしいたら、よほど教育に情熱を持っているはずです。
そこで今回は、御成敗式目の凄さをごくざっくりと紹介。テストの点数は増えないでしょうが、制定した北条泰時(ほうじょう やすとき)の尊い精神に感動できるかも知れません。
みんなが解る、公平なルールづくりを
御成敗式目の何が凄いのか。まずは結論から行きましょう。
(1)公平公正の精神
(2)誰にでもわかりやすく書かれている
(3)日本で初めての国産ルール
これだけ暗記して解散!でもいいのですが、せっかくなので泰時が、京都に赴任している弟の北条重時(しげとき)にあてたこちらの書状をご覧ください。面倒な方は【意訳】まで読み飛ばしても大丈夫です。
「……(前略)……さてこの色目をつくられ候ことハ、なにを本説として被註載之由人さためて謗難を加ふる事候歟、ま事にさせる本文にすがりたる事ハ候はねども、たゝだうりのをすところを被記候者也。かように兼日にさだめ候はずして、或はことの理非をつぎにして、其人のつよきよはきにより、或御裁許ふりたる事を、わすらかしておこしたて候。かくのごとく候ゆえに、かねて御成敗の躰をさだめて、人の高下を論ぜず、偏頗なく裁定せられ候はむために、子細記録しをかれ候者也。この状は、法令のおしへに違するところなど少々候へども、たとへば律令格式は、まなをしりて候もののために、やがて漢字を見候がごとし。かなばかりをしれるもののためには、まなにむかひ候時は人の目をしいたるがごとくにて候へば、この式目はたゞかなをしれるものの世間におほく候ごとく、あまねく人に心えやすからせむために、武家の人へのはからひのためばかりに候。これによりて、京都の御沙汰、律令のおきて、聊もあらたまるべきにあらず候也。凡法令のおしへ、めでたく候なれども、武家のならひ、民間の法、それをうかゞひしりたる物は、百千が中に、一両もありがたく候歟。仍諸人しらず候処に、俄に注意をもて理非を勘候時に、法令の官人心にまかせて軽重の文どもをひきかむがへ候なる間、甚勘録一同ならず候ゆへに、人皆迷惑と云々。これによりて、文盲の輩も、かねて思惟し御成敗も変々ならず候はむために、この色目を注置れ候者也。京都人々の中に謗難を加事候はゞ、此趣を御心え候て御問答あるべく候。
恐々謹言
貞永元年九月十一日 武蔵守 在一
駿河守殿」※『北条重時宛北条泰時書簡』より
【意訳】さて、今回この式目を作ったのだが、中には「何を根拠としたのか」という批判もあるだろう。ただ道理のままを明文化したまでである。
これまではこのような定めがなく、理非を二の次にして、訴える者の身分や力関係によって勝敗が決まってしまっていた。
そのような現状を改め、公正な裁判を実現するために今回の式目を定めたのである。
訴訟については律令が存在するものの、その内容は漢文で書かれているため、読めない者が多い。そこでみんなが読んで覚えられるよう、今回の式目は仮名で書いた。
別にこれは京都のやり方を否定するものではない。およそ法令の教えは結構なものであるが、武士や庶民の中にそれを理解する者が百人・千人に一人もいないのが現状である。
いざ訴訟となった時、よく分からないものをいきなり持ち出したところで、人々にとって正しい裁きはできない。とうぜん判決にも納得できまい。
なので文盲の者でも訴訟を理解し、判決に納得できるよう今回の式目を作ったのである。
もし京都の人々(主に公家たち)から批判を受けたら、この主旨をもとに受け答えするように。
貞永元年(1232年)9月11日 泰時より、重時殿へ
……これまでの訴訟は、原告と被告の「どっちが正しいか」よりも「どっちが(身分や利権など)力を持っているか」で判決が下され、とても公平とは言い難い状況でした。
また、律令があっても漢文で書かれているなど多くの庶民には読めず、とうぜん理解できないので理不尽な判決にも抗議しようがありません。
だから泰時はまず分かりやすく平仮名などを用いて条文を書き、教養に疎い武士や庶民たちでも条文が読め、内容を理解できるようにしたのです。
こうすることで、インチキがあればそれを正しやすくなり、結果として公平な判決を出しやすくなりました。
御成敗式目の制定から数百年の歳月を経た現代の法律も、泰時の精神を見習って誰もが理解しやすい条文に書き直して欲しいものです。
日本初の国産ルール、武家社会の基本法に
ここまで御成敗式目の歴史的意義について(1)公平公正の精神(2)誰にでもわかりやすく書かれている点を紹介して来ましたが、(3)日本で初めての独自法とは何でしょうか。
御成敗式目が制定される前からあった律令は中国大陸から輸入されたものであり、武士の世が終わりを告げた明治時代以降の法律は欧米列強から輸入されたもの。
対する御成敗式目は武士や庶民の生活文化に即した慣習や道徳を明文化したものであり、日本で初めての国産ルールと言えるでしょう。
これは日本の法制史上において特筆すべきポイントであり、その嚆矢となった泰時の功績は多大なものでした。
令和4年(2022年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトでも主人公の北条義時(演:小栗旬)や政子(演:小池栄子)の死後、北条泰時(演:坂口健太郎)による御成敗式目の制定と、小倉百人一首の成立(嘉禎元・1235年ごろ)まで年表で紹介しています。
かつて源頼朝(演:大泉洋)が切り拓いた武士の世を守り抜く義時。それを盤石のものとするべく秩序と公正を明文化した泰時は、本作における「3人目の主人公」と言えるでしょう。
義時の前には頼朝がおり、義時の後には泰時が続く。かくして武士の世が誕生し、鎌倉幕府が滅んだ後も数百年にわたり武家の基本法として生き続けた御成敗式目。
公平な社会の実現を願った泰時の思いが、これからの日本にも反映されることを願ってやみません。
※参考文献:
- 石井進ら編『中世政治社会思想 上』岩波書店、1994年2月
- 長又高夫『御成敗式目編纂の基礎的研究』汲古書院、2017年11月
何がさすがなのか?タイトルの意味が分かりません
結局、北条得宗家をよくするためにまず最初に作ったのでは?
角田さんの記事はいつもタイトルが大げさなきがするのはわたしだけ?