鎌倉時代

鎌倉時代、武士や庶民がどんなものを食べていたのか?調べてみました!

鎌倉グルメと聞いて、皆さんは何を想像しますか?

腰越漁港から水揚げされる「生しらす」や坂ノ下の「権五郎力餅」、お土産の定番「鳩サブレ」や最近だと転売までされるほど人気の「クルミッ子」、あるいはオバマ大統領が来日時に食べた抹茶アイスや、鎌倉海老(伊勢エビ)なんかを挙げる方もいるかも知れません。

戦後のころまで、伊勢の方でも鎌倉海老と呼んでいたとか(イメージ)

まぁ言うまでもなく筆者ども地元民はこうしたものを平素から食べている訳ではなく、全国どこでもそう大して変わらないであろう食事を摂っているのですが、

「鎌倉時代の人々は、どんなものを食べていたのだろう?」

そんな疑問が湧いてくるのは、きっと筆者だけではない筈です。

と言う訳で今回は、中世の鎌倉住民たちがどんなものをどのように食べていたのか、鎌倉市内の出土品や史料などから、その食文化を紹介したいと思います。

海の幸、山の幸、里の幸

鎌倉は豊かな自然に恵まれているため、山海の幸を味わう機会が多かったようです。

イメージ。歌川広重「魚づくし すずき 金目鯛にしそ」

例えば海の幸では、鮫(サメ)や鯛(タイ)、石鯛(イシダイ)に黒鯛(クロダイ)、鱸(スズキ)や鯔(ボラ)、鮪(マグロ)、鮙(カジキ)、鰤(ブリ)、鰹(カツオ)など、現代でも馴染みの深い魚が食べられていました。

もちろん近海で獲れない魚は海を通じて交易していたか、あるいはちょっと遠洋まで出張ったか、荒波を乗り越える海の男たちの活躍ぶりが目に浮かびます。

貝類の出土も多く、特に栄螺(サザエ)、鮑(アワビ)、赤螺(アカニシ)、蛤(ハマグリ)などが好まれたようです。

他にも海豚(イルカ)や鯨(クジラ)が打ち上げられることもあったようで、例えば貞応3年(1224年)に由比ガ浜に大魚(鯨と推定)が打ち上がり、人々がこぞって肉を買い求めてこれを焙り、油を採った時は鎌倉じゅうに異臭が立ち込めたとか。

対する山の幸は、武士と言えば弓射の技量が不可欠ですから、盛んに狩猟が行われ、さまざまな動物たちの肉が食卓に供されました。

とは言え、鎌倉時代は既に都市化が進んでいたため、少し遠くへ出張って腕を振るったり、買い求めたりしたようです。

例えば二階堂・永福寺(ようふくじ)奥の杉ヶ谷(すぎがやつ)の発掘調査では、室町時代の屋敷跡から狩猟用の弓と共に動物たちの骨が出土。

鹿、犬、雉(キジ)、野兎、鼠、土竜(モグラ)、蛙(カエル)……鹿は現代でも紅葉(もみじ)鍋、犬は隣国の朝鮮や中国で食べられていますが、モグラやカエルまで食べていたんですね。

「お、食糧発見!」頼朝公や義時たちも食べたのだろうか(イメージ)

現代でも食用にされているウシガエルは大正時代に輸入されたもので、当時は『日本書紀』にも記述のある蝦蟇(がま、ヒキガエル)が食べられており、その肉を煮た「毛瀰(もみ)」は美味しかったと言います。

さて、狩猟や採取ばかりでなく農耕によっても食糧が確保されていましたが、米や麦をはじめ、茸(キノコ)や筍(タケノコ)、蓮根(レンコン)や山芋、瓜に牛蒡(ゴボウ)、蕪に大根と言った野菜類も豊富に食べられていました。

また、柿や胡桃(クルミ)、生姜(ショウガ)に山葵(ワサビ)なども食べられ、バリエーションに富んだ食卓が思い起こされます。

鎌倉の都市化が進むにつれてこうした食材を土産(どさん。地産地消)だけでまかなうことは難しく、全国各地から年貢を集めるための流通網が発達していったのでした。

調理法や食器など

さて、中世鎌倉の食材が集まったら、今度は調理方法についても知りたいところ。

基本的に切ったりこねたりすり下ろしたり、煮たり焼いたりというのは現代と変わらなかったようですが、それらの作業は床に座って行われました。

『暮帰絵詞』より、俎で調理する武士(イメージ)

そのため食材が床に近づかないよう、食器やまな板なども足のついたものが多く、また平ための食器については折敷(おしき)に並べられています。

食材を切るのに欠かせない包丁については当時の遺跡からは出土しておらず、絵巻物などから各自が持っていた小刀などを用いたようです。

味については料理自体につけるのではなく、塩や醤(ひしお。塩漬けの発酵調味料)、あるいは酢や煎汁(いろり。出汁)など各自の好みでつけました。

先ほど食材のところで登場した山葵や生姜についても、薬味として添えられていたかも知れません。

食器については従来の土器に加えて漆器や陶器も普及しはじめ、中には現代の鎌倉彫を思わせる彫刻入りのものや、螺鈿(らでん。貝殻をはめ込む技法)が施された食器も食卓を彩りました。

また使い捨ての土器(かわらけ)や箸なども多く出土しており、当時の鎌倉では武士や庶民の交流が盛んだったことを示しています。

『暮帰絵詞』より、山もり饂飩(素麺?)にみんなニコニコ(イメージ)

他にも大陸から渡来した禅宗の広がりとともに、精進料理や点心など新たな食品加工技術が普及。お茶や豆腐、饂飩(うどん)や饅頭(まんじゅう)、羊羹(ようかん)などが庶民の間でも楽しまれるようになったのでした。

令和4年(2022年)好評放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも武士たちの酒宴や食事シーンが多く出てくるでしょうから、ぜひ注目して視たいところです。

※参考資料:

  • 「鎌倉グルメin中世 展示解説パンフレット」鎌倉歴史文化交流館、2019年5月
  • 石毛直道 監修『調理とたべもの 講座 食の文化 三』味の素食の文化センター、1999年3月

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角田晶生(つのだ あきお)

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